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少子化問題の解決の日は遠い気がするのは、私だけ?
http://www.matsushima-midori.jp/home/column/column04.html
コラムNo.75 大物ずらりと自民党少子化問題調査会
自民党に少子化問題調査会が発足し、森喜朗前首相が会長に就任、設立の初会合には、なんと中曽根康弘、宮沢喜一、橋本龍太郎、河野洋平、斉藤十朗各氏が並んだ。政調の部会や調査会で、首相、総裁、議長経験者が全部そろうというのは、私の記憶にある限り、私の当選以来、初めてのことである。びっくりすると同時に、森派の事務局から再三、「冒頭から出席するように」と指示があり、その日程が二転三転したのもこのためだったのだと、納得した。統一地方選のさなか、本会議終了後ということもあって、幹部席が重たい割に、一般席の議員の人数が少ない。
設立趣意書によると「これまでの少子化対策は子供を産みたいが負担が大変だという人に対する経済的優遇策を中心とした制度を積み上げてきたが、これでは根本的な解決策にはならない。少子化の原因は未婚化、晩婚化、子供を持つことに関心の少ない人の増加にあるからだ」というわけだ。戦前の産めよ殖やせよ政策を想起させることを懸念して「子供を産む産まないは個人の自由であることは言うまでもない。その前提の上で、国家論、社会制度論、家族制度論、教育論としてタブーを恐れず議論する」ことにしている。たしかに大変な調査会のスタートである。
森氏が最初に「2100年には人口が半減するといわれるが、妙案はすぐには出ない。家族や家庭のあり方について戦後の教育が悪かったのだという人もいるが、そうは考えたくない。私は最近、暇だと思われているのか、いろんな会の会長を持ち込まれるが、これは非常に重いテーマなので、会長を引き受けるにあたって条件をつけた。伊吹文明さんに会長代理、長勢甚遠さんに事務局長をやっていただき、総裁、議長経験者に全員、最高顧問として入っていただくことをお願いした。そのため日程合わせが難しく、予定が度々変わってご迷惑をかけた。また、毎回、政調会長が出席することを要請した」と気配りの人らしい挨拶。
続いて、途中退席した宮沢元首相を除く面々が話したが、これが実に面白かった。
まず、最長老の中曽根元首相が「いちばん庶民の心がわかっている森さんが少子化問題調査会の会長というのは打ってつけのすばらしい人選だ。インテリからは子供を増やす話はうまれない。庶民のテーマだ」。前首相をほめているのかどうか、今ひとつ不明な、こんな挨拶は、大勲位中曽根閣下にしかできない、若手議員は皆、唖然。森会長は、大きな体を揺すって大笑いしていた。
5人の子宝に恵まれた橋本元首相は「末っ子が生まれたとき、小学生だった次女が『パパ、全部そろっているのは学校で私だけよ。すごいのよ』と大喜びしている。祖父母、父母に加え、姉、兄、弟、妹が全部そろったというんだ。今、私には孫が10人いて、夏までには11人になる」と自慢。そのあと、真面目な顔になって、自分が学生相手に続けている剣道に関し「今の子供たちは、我々よりはるかに器用な剣道をするが、勝つ執念に劣っている。我々なら、考えられる限りの手を使っても勝とうとしたものだが」と心配を示した。
河野洋平氏の話は、子息の河野太郎衆議院議員が持論を曲げず、しばしば自民党の党議に反する行動を取る議員であることや、父親のために生体肝移植の提供者になったことを出席者一同、承知しているだけに、笑ったりしんみりしたりの連続だった。「礼儀のできていない息子で、人様に迷惑をかけることもあるようだが」と前置きした上で、「毎日病院に顔を出してくれて、初めて子供の手を握った。ほっぺたをなでられたりもした。本人がこの場にいないから言いますが、この命はせがれにもらったものだ。『よこしたものは中古のものじゃないか、元をただせばおれのものだ』なんて言ってますが。妻を亡くしてからばらばらになっていた家族が、私の寿命をサカナにしてひとつになった」と話した。
この設立総会が始まる前、森会長が私のほうを指差して笑いながら「松島がまず、子供を作らないと」なんて言っている。国会議員は橋本元首相ほどではなくても子だくさんの人が結構多く、1回生議員たちからも「まだ、大丈夫だ。がんばれ」と激励されることがしばしばだ。
私は地元の少年野球の開会式などでよく話すのだが、20歳の頃から、いずれ母親になりたいと思い、将来子供が生まれたら、男の子なら野球、女の子ならバトン(チアリーダー)をやらせたいと夢見ていた。しかし、結婚はしたが、子供を持たないまま、今、46歳である。子供のいない女性が年齢の壁を意識して「どうしても子供がほしい」と真剣に悩んだり、対策を考えたりするのは37歳くらいからしばらくの間ではないかと私は思う。私はちょうど、その頃、新聞記者から政治への道を歩み始め、自分のこととしてはこのテーマから目をそらしてしまった。今、自分が子供を持たなかった分、日本中の子供たちのことを考えたい。また、国会議員として、日本人が滅亡しないために、どうすればいいか、考えていきたいと思う。