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(回答先: 西日本新聞:特集記事「ヤミ金融を追う」第1部 [記事5本]【元記事の共通URLはこちらに】 投稿者 あっしら 日時 2003 年 6 月 28 日 19:20:58)
「法規制の何十倍、何百倍という利息で、違法に金を貸し出すヤミ金融。ヤミ業者が横行する背景には、消費者金融などからの借金で身動きが取れなくなった人たちの「需要」がある。甘い誘いに乗って、借金を繰り返す人。保証人になったばかりに、借金地獄に引きずり込まれた人。ヤミ業者への返済に苦しむ多重債務者の姿と心理を追った。」
第2部第1回
由美子(上) 〜茶髪男に写真を撮られ 〜
「写真、撮るよ」。若い茶髪の男は、運転席から振り返った。後部座席に身を沈めた由美子(51)=仮名=が「何に使うんですか」と聞くと、「金を貸した相手の顔を、上の者に見せる決まりなんで」。面倒くさそうな答えが返ってきた。
今年一月。福岡市に住む由美子は、初めて「090金融」に接触した。平日の正午すぎ、JR博多駅近く。呼び出された場所に、乗用車が止まっていた。黒い窓ガラス。車内が見えない。茶髪でやせたおとなしそうな男が一人出てきた。銀行員を思わせるスーツ姿。少し安心した。
後部座席に乗せられ、申込書を渡された。自分や家族の名前、携帯電話番号などを書き込んだ。由美子の携帯につながるのを確認した男が、次に取り出したのがインスタントカメラだった。車内にストロボが光った。
融資は十万円の約束だった。が、男は「借用書は十四万と書いて。手数料とかあるから」。利息は「十日で三万」と言われ、古びた一万円札十枚を渡された。
利息が高すぎるのはもちろん、写真が脅しの材料にされるのも分かっていた。だが「金の工面で頭がいっぱいで」怖さは感じなかった。
車から降りるとき、ダッシュボードに携帯が四つ転がっているのに気付いた。不気味に思ったが、早く銀行に駆け込みたい気持ちにかき消された。
家は内装業。経理を担当する由美子は、十万円の手形決済に迫られていた。
夫は職人肌で亭主関白。朝から晩まで働いてくれたが、バブル期に月百万円あった売り上げは、不況で半分に落ち込んでいた。
数年前、子どもが大学に進学する際、初めて消費者金融に手を出した。「借金は犯罪」が口癖の夫には黙っていた。今年一月、借金は八社で四百四十万円に膨れ上がった。月に二十九万円を返済し続けていた。
不渡りを覚悟したその朝、由美子の携帯が鳴った。「融資しますよ」。昨年来、なぜかヤミ業者から電話が入ることがあった。断り続けていたが、この日ばかりは飛びついた。
「借金でうまく生活できていたから、ヤミでも抵抗感はなかった。返すあてもあったし…」
五日後には、元請け業者から二十万円が振り込まれるはずだった。
当日の午後四時近く、銀行に行った。入金はなかった。ATM(現金自動預払機)コーナーで、三分おきに通帳を入れた。額に汗が噴いた。
夫に電話した。「お父さん、入金ないよ」。「しようがないやんか。相手は逃げんよ」。人のいい夫はそう言って電話を切った。
五日後、利息返済のため、別のヤミ業者に電話した。 「トイチ(十日で一割の利息)、トイチで雪だるま」―商店を営む両親に、高利貸の怖さを教え込まれて育ったはずの由美子は、こうして借金地獄にはまっていった。
[2002/12/17朝刊掲載]
第2部第2回
由美子(中) 〜「返せ」の声朝晩やまず 〜
家族四人で食卓を囲んでいるとき、由美子(51)=仮名=の携帯電話が鳴った。「入金、明日です。分かってますね」。090金融の男からだった。どきっとした。「また、こちらから連絡します」。平静を装い、すぐに切った。だれも気に留めていない様子にほっとした。
由美子が家族に内証でヤミ金融に手を出したのは今年一月。十日後、利息が払えず、ほかのヤミ業者に走った。消費者金融への支払いもあり、ヤミからの借金は一カ月で十社、五十万円にもなった。
業者からの電話は、時も場所も選ばなかった。朝は「今日、入金日ですよ」。昼は一時間ごとに「入金まだ?」。夕方になると「何しとるんか、われ、行くぞー」と、ひょう変した。夜になると別の業者が「明日ですよ」。
その度に、携帯を手に家族のいない廊下やトイレまで駆けた。声の主は、借りた相手とは違った。どの業者と話しているのか、頭が混乱するときもあった。
家にはヤミ業者からのダイレクトメール(DM)が、日に二十通も届くようになっていた。業者間で情報が回ったのだった。三月になると、融資を断るヤミ業者も出てきた。
090業者は、「別の業者を紹介する」と勧めて、カモと狙った相手への貸し込み額を増やしていく。経営者は同じだが、表面上は「違う業者」を装うのが常とう手段。そして「これ以上しゃぶれない」と読めば容赦なく融資を断つ。
由美子は返済日がくると、DMをわしづかみにしてバッグにほうり込み、車で飛び出した。道端に止めた車からDMのヤミ業者に電話をかけまくった。
業者と顔を合わせたくなくて、返済は銀行振り込み。昼間に金策できなければ、夜、コンビニエンスストアの駐車場などで金を渡した。
それでも由美子は高をくくっていた。「いつか返せる」と。
三姉妹の真ん中。両親は幾つかの商店を営み、比較的裕福だった。結婚後も、家計の赤字を一千万円ぐらいは補てんしてもらっていた。老いた両親の援助はもはや期待できないが、「なんとかなる」と思っていた。
綱渡りの生活を重ねるうち、由美子の生活もむしばまれていった。
ほぼ連日、午前三時ぐらいまで、ひとりソファに寝そべって、テレビやビデオを見るようになった。夫が寝た後、未明にそっとドライブに出る日もあった。朝から返済に走り回り、体はくたくたなのに、頭はさえ、眠れなかった。でも、明日のことは考えなかった。
ヤミ業者も土日、祝日は休む。つかの間の安穏が訪れる。友人とお茶を飲みながら、何時間も食べ物やファッションなどについて語り合った。
月曜日。「五万円なら融資します」。電話口からヤミ業者の声。
「私の自由になる金が、まだ五万円ある」。心底ほっとした。もう借金との意識はなかった。
[2002/12/18朝刊掲載]
第2部第3回
由美子(下) 〜 温かい救いの声を私も 〜
息子はボーナスをはたいて買った高級腕時計を黙って差し出した。
「ごめん、必ず返すから」。ヤミ金融の返済に追われる由美子(51)=仮名=は、腕時計を握り締めて質屋に走った。 今年一月にヤミ金融に手を出して四カ月。どこからいくら借りているのか、覚えているはずもなかった。二十社以上はあったろう。毎週二十万円を超える利息返済に駆け回っていた。
ヤミ業者からも融資を断られるようになってからは、家電店で専用カードをつくり、ローンでパソコンなどを買いあさった。行き先は質屋だった。
光熱費の支払いは二の次で、家の電気や水道がときどき止まった。家族の不安げな顔をよそに、由美子は質屋通いを続けた。ヤミの男たちのどう喝から逃れるため、必死だった。
五月、親友に借りた五十万円の返済日。ついに夫と向き合った。「五十万円借りとるけど、どうしても返せん」。これまで言い出せなかった「借金」の言葉。夫は声を荒らげることもなく、自分のカードで六十万円をつくり、渡してくれた。
だが、由美子は親友の元には行かず、ヤミ業者への返済を優先した。恐怖が頭を支配していた。
いつもの銀行で振り込んだ帰り道、ほっとするはずなのに、何かが違った。親友を裏切ったという思いがあった。車の中で泣いた。張りつめていた糸が切れた。
「すみません。サラ金関係の相談先、どこかありませんか」。気の抜けた声で、NTTの番号案内に尋ねた。
メモした三つの電話番号。一つ目は「予約制だから」と断られた。二つ目は「借りたものは返さないと」と諭された。自殺の二文字が頭をよぎった。最後の番号を押した。
「あなたはもう返さなくていいのよ。とにかく、すぐ来なさい」。温かい女性の声が胸に染みた。また涙があふれた。
由美子は「福岡クレジット・サラ金被害をなくす会」(福岡市中央区)の事務所にたどり着いた。どこをどう通ったか、覚えていない。
精査の結果、一月から五月までの間に、由美子はヤミ金融三十社から百二十万円を借り、五、六百万円を支払っていたことが分かった。元本と法定利息を差し引けば、四百万円前後が払い過ぎだった。「業者に利用されただけ。あなたは悪くない」。相談員から何度も励まされた。
震える手で業者に電話した。「過払いなので、もう払いません」
そのまま、由美子は友人宅やサウナを転々とした。家に帰ったのは一週間後。夫らにすべてを打ち明けた。いくつかの業者から脅しの電話がかかった。それも数日でやんだ。ヤミ業者の引き際はあっけなかった。
消費者金融の借金も整理し、今、平穏な生活に戻った由美子は、ときどき「なくす会」の事務所で多重債務者の相談に乗る。「私がそうだったように、自分自身に問題のある人が多い。でも、何とか助けてあげたい。ぎりぎりまで追い詰められたとき、電話口から聞こえたあの相談員の声を、私は一生忘れない」
[2002/12/19朝刊掲載]
第2部第4回
幸枝(1) 〜 幼子抱きしめ冬の海へ 〜
幸枝(32)=仮名=は、真冬の海を望む公園にいた。今年一月の昼下がり、九州のとある田舎町。冷たい風に腕の中の二女がむずかった。足元に白い波が砕けていた。「私が死ねば、借金は終わる」。取り立ての男に財布の中身をぶちまけ、もう一円玉すら残っていなかった。
三年前、自己破産した友人の連帯保証人として五十万円の負債をかぶったときからすべてが始まった。利息が払えずにヤミ金融にも手を出し、一年足らずで借金は六百万円に。返済は週二十万円を超えていた。もう、限界だった。
「みんなで死ぬから、捜さんで」。携帯電話で別れた夫の弘=仮名=に告げた。中学生の長女も連れていた。弘が叫ぶように言った。「長女はおれが育てる、残してくれ。あいつには未来がある」
二女には、障害があった。幸枝はだまって電話を切った。「二人ともあなたの子なのに…」。海が涙に曇った。
「なんで私だけ」。泣いてすがる長女を近くの駅まで引き返して降ろすと、アクセルを踏んだ。そして弘への再びの電話。「駅に迎えに行って」。これで最後だと思った。
どれだけ海を見ていたのか。長女から居場所を聞き出した弘が公園に姿を現し、まくしたてた。「おれがいくら払ってやったと思っとるんか。なんでおれが苦しまないかんのや」
「私が何をしたの。生活費にも使ってないんよ。なんでこんな目に遭わないかんの…」。二女を抱きしめたまま、低いさくを乗り越え、二メートルほど下の海に飛び込んだ。
海の冷たさも、どうやってはいあがったかも覚えていない。スーツがびしょぬれの弘に抱かれた二女の真っ青な顔を見たとき、われに返った。人が数人、何事かと集まっていた。
「この子の命を奪う権利まで、私にはないのに…」。冷え切ったほおを涙が伝った。
幸枝は九州の小さな市で育った。父親を中学生のときに亡くした。母親は物心ついたとき、すでにそばには居ず、父親からも何も聞かされていなかった。
十六歳で弘と結婚したが、二女が生まれてすぐに別れた。兄弟姉妹はおらず、頼りは中学時代の同級生の女性だった。スナックで働く夜は、娘を預かってくれた。
「まとまったお金がいるんだけど、保証人になって…」。彼女からの頼みは断れなかった。旧知の「日掛け金融」業者がいた。以前に集金係をしたことがあった。
二人で訪ねた事務所。「ほんとは個人に貸したらいかんのやけどね」。顔見知りの社長は、人のよさそうな笑顔を見せた。「幸枝ちゃんが保証人なら特別よ」
日掛け業者の貸し付け対象は、法律上は従業員五人以下の小規模零細事業者。毎日集金に回るケースが多い。
友人は五十万円を借りた。返済は一日五千円ずつ百二十日間。幸枝は保証人の欄に名前を書き込んだ。「彼女、毎日返済なんて大丈夫かな」。一瞬頭をよぎった不安は、一週間後に的中した。
[2002/12/20朝刊掲載]
第2部第5回
幸枝(2) 〜 恨めしい朝がすぐまた 〜
長女を学校に送り出した朝、携帯電話が鳴った。「返せんそうや。あんたの友達」。日掛け金融業者からだった。
幸枝(32)=仮名=が友人の連帯保証人になってからほんの一週間。「ちょっと待って」。すぐ友人に電話したが、つながらなかった。また電話が鳴った。「あんた信用して貸したんやから。払ってもらわんと」。これまでは優しかった業者の口調が一変していた。
日掛け金融は、業者が毎日集金に来る。友人の債務は五十万円。五千円を百二十日間払い続ける契約だった。「少しなら立て替えてあげてもいい」と思った。
軒下の洗濯機の中に毎朝、五千円入れておく。それを破ると、「午後五時までに連絡を」とメモが入る。
「ごめんね」。友人は時たま現金を持ってきたが、すぐ途絶えた。そして五百万円の借金を抱え自己破産したことを、やがて弁護士から知らされた。彼女は連絡を絶った。
返済が滞って数日たった夕方、知らない男が三、四人、押し掛けてきた。女所帯と知るや、居間にまで上がり込んだ。「いつ金できると」「元の亭主に電話せんか」。怒鳴り声が響いた。長女は、耳をふさいで泣いた。
翌朝、ブランドもののバッグや財布を売りに行った。次の日は娘のゲーム機とCD。質屋やリサイクルショップで何でも現金に換えた。払っても払っても、すぐに恨めしい朝がやってきた。
「次、給料いつだっけ…」。勤めるスナックの同僚に、ふと漏らした。
「すぐお金貸すとこ、あるらしいよ。空港のそばの看板、見に行ってみたら」。同僚の言葉が救いに思えた。
「安心金利」「女性専用」…。道路沿いのフェンスに張られた090金融の看板。十数社の電話番号を片っ端からメモした。車の中で番号を押した。
借りては返し、また借りる生活だった。業者名、借りた日付、返済日、返済額をノートに書きためた。終わりが来ないことは頭ではわかっていた。それでも、ノートを見れば、取り立ての男たちの姿が浮かぶ。「ここは返さなきゃ大変なことになる。ここも…」
午前一時ごろ、きまって訪れる業者があった。二十五、六歳の男。「いいやんね。利息、まけとくよ」。肉体関係を迫られた。幼い二女を抱いたまま、声を押し殺して家の中を逃げまわった。隣の部屋で眠る長女に気付かれたくなかった。
玄関に出ると、男に腕をつかまれ、車に連れ込まれた。「金つくれないんなら、元のダンナのとこ、行こか」。停車したすきに、逃げた。気が付けば、はだしだった。
近くの交番に駆け込んだ。じっと耳を傾けてくれた年配の警察官は「でもね」と話を遮った。「借りたものは、返さないかんでしょう」「証拠がないとねえ…」
疲れ果て、別れた夫、弘=仮名=に援助を頼んだこともあった。「英語の教材を買ってあげたいから」「二女の病院代がかさんで」。目を合わせられなかった。
その現金を手に、数社の利息返済を終えた帰り道。国道沿いのビルの「法律事務所」の文字が目に入った。「弁護士さんなら」。ビルの階段を駆け上がった。
[2002/12/21朝刊掲載]
第2部第6回
幸枝(3) 〜 弁護士からも見放され 〜
「あんた、なめとるとね。相談料も持たんで」。四十代半ばの男性弁護士は、見下すように言った。ヤミ金融に十数万円の利息を支払った帰り道、とっさに飛び込んだ法律事務所だった。財布には小銭しかなかった。「夕方までに持ってきますから、お願いします」。幸枝(32)=仮名=は、拝むように頭を下げた。
連帯保証人になったばかりに友人の債務を背負い、自らもヤミ金融にすがるようになって数カ月。昼夜、母娘三人の家庭を襲う取り立てにおびえる日が続いていた。
頼み込んで知人に借りた一万円札を財布にしまい、再び事務所を訪ねた。自己破産の手続きを依頼し、弁護士に言われるまま、借入先の一覧を作った。090金融など二十数社からの借金は六百万円近くに上った。
「費用は合わせて四十万円です」。弁護士は事務的な口調だった。「分割にはなりませんか」。おずおずと聞いた。「まとまったお金で払ってもらえんと、この手の相談には乗れません。払わずに逃げる相談者も多いんでね」
「一週間以内に用意します」。あてはなかったが、何とか言い抜けるしかなかった。弁護士はその場で、業者あての通知書類を作った。「一切を当職が受任しました」。張り詰めた気がゆるむのを感じた。
一枚は、自宅玄関に掲示するよう指示された。近所の目が気になった。遠目に分からないよう、セロハンテープで輪をつくり、ドアノブにつり下げた。
自宅に押し掛ける業者は減った。ただ、電話は続いた。「お前ら、沈めてやるけんな」「窓から山、見えるやろ。お前らみたいなやつらが、いっぱい埋まっとるんやぞ」
当時、二女の病気がこじれ、仕事に出られないでいた。別れた夫からは、娘の教材費や病院代などを口実に、十数万円用立ててもらったばかりだった。それも利息返済に消えた。四十万円の弁護士費用は、結局、誰にも相談できなかった。
「もう少し待ってもらえませんか」。弁護士に電話した。返事は冷たかった。「約束が守れない人の相談は、受けられません」。弁護士はその日のうちに、業者あてに自らの解任通知を出した。
「弁護士、辞めたんやろ」。また業者が自宅に来るようになった。
家にいるのが怖かった。昼すぎになると二女を連れ、車で家を出た。夕方、中学から帰る長女を待ち受け、夜遅くまで時間をつぶした。空港近くで飛行機をずっと眺めていたこともある。午前二時をすぎて、恐る恐る帰宅した。
「逃げるしかない」と決心した。ある朝、二女を抱き、長女の腕を引いて車に乗り込んだ。ボストンバッグ一つ。娘たちの着替えが乱雑に詰め込まれていた。
二度と戻るつもりはなかった。出る直前、県警本部に電話をかけた。「交番にも駆け込んだけど無駄だった。警察は助けてくれないんですね…」。応対に出た警察官は「そんなことありません。事情を詳しく話してください」と引き留めるように言った。一方的に電話を切った。
幸枝と二人の娘は二カ月もの間、市内を転々としながら、車の中で寝泊まりを続けた。二〇〇〇年春のことだった。
[2002/12/25朝刊掲載]
第2部第7回
幸枝(4) 〜 母娘のささやかな充足 〜
部屋に上がり込み深夜まで居座る業者。車での拉致…。ヤミ金融の取り立てに耐えかね、幸枝(32)=仮名=は住み慣れた町から逃げ出した。長女の中学にも届けないまま、家財道具も何もかも捨ててきた。
車中生活を続けながら仕事を探した。友人宅にも泊めてもらった。アパートを借りたのは、家を出て八カ月後。この間、学校のことも友達のことも、あえて口にしなかった長女を思い、元の中学に通える隣町を選んだ。
心底望んでいた「平穏な生活」。しかし、長くは続かなかった。
近所に買い物に出た帰り道。幸枝を追い越した白いワゴン車が急停車すると、ゆっくりバックしてきた。「お前、こげんとこで何しよるんか」。助手席の男に見覚えがあった。ヤミ業者だった。
闇の世界で情報が回ったのか、男たちの取り立てがまた始まった。
早朝、ヤミ業者の車に押し込められた。街をゆっくり回る。「金返せとは言わん。保証人探してよ。でないと、いつ帰れるかわからんよ」。たまらず、別れた夫の弘=仮名=に電話し、初めて事情を話した。ただ、六百万円近くに達した借金の額は明かせなかった。「これで終わりにしろ」。十数万円出してくれた。
同じことが何度も続いた。弘の支払いも、二百万円に届こうとしていた。債務は一向に減らない。今年一月、二女を抱いて海に飛び込んだのも、弘に責められ、自暴自棄になった揚げ句だった。二女への自責の念に今もさいなまれる。
「うちにだけ、少しずつ払ってくれればいいから」と、ささやいた業者があった。六月、その業者の手引きでアパートを引き払い、県外に出た。寮付きのスナックを見つけ、勤め始めた。
その業者は親切だった。奥さんが二女を預かってくれたこともあった。優しさが身に染みた。「あそこだけは裏切れない」。寮の所在地を教えた。
この夏、病気で倒れ、支払いが滞った。業者の素顔が現れた。「子どもと一緒に、ビルから突き落とすぞ」
呼び出された団地の一室は、広域暴力団の事務所だった。借りていたのは三十万円。七、八人の男に囲まれ、三百万円の借用書を書かされた。「払わんなら娘、売るぞ」。逆らえなかった。
ワンルームマンションの寮には、今、母娘三人で住む。壁に娘たちが明るく笑う写真が所狭しと並ぶ。「子どもたちが布団で眠れること、安心できることが一番の幸せ」と幸枝も笑顔を見せる。
ほかの業者に居所を突き止められないよう、住民票は移していない。だから、かつて受けていた母子家庭向けの児童扶養手当も宙に浮いたままだ。
「弱者を救うのが警察や弁護士のはず。私は見放されてここまで来た。助けを求める声を無視しないでほしい」と幸枝。 一方で周囲が勧める。「悪い弁護士ばかりじゃない。もう一度相談してみたら」と。しかし、まだ応じる気になれない。
ひとり、多くのヤミ金融業者と闘ってきた三年間。「取り立て地獄からやっと逃れ、ささやかながら手に入れた今の生活なんです」
ひとたび心を許し、裏切られた業者への支払いだけが続いている。
[2002/12/26朝刊掲載]
第2部第8回
民雄(上) 〜 利払いに看板張り行脚 〜
民雄(55)=仮名=は、真夏の宮城県・仙台空港に降り立った。手押し車に載せた荷物の中身は、プラスチック製の「090金融」の看板。A3判コピー用紙ほどの大きさで計百枚、五十キロ近くあった。福岡県内の自宅に届いた宅配便の包みのまま、持ってきた。
ヤミ金融の看板を仙台市内に張って回るのが、「旅」の目的だった。一枚が二百円。二万円で請け負った。
旅費をもらい、午前の便で福岡空港をたった。だが日が高いうちは「仕事」はできない。時間つぶしに観光地をぶらつく気にもならない。「どの辺りにしようか」。レンタカーに看板を積み込み、重い気分で見知らぬ市街地へ向かった。
「利息払えんのやったら、カンバンや」。あるヤミ業者から、こう持ちかけられたのは初夏だった。民雄には090金融だけで十社から百八十万円ほどの借金があった。「学生はすぐごまかしよる。あんたなら安心や」。報酬はそのまま利息支払いに充てられた。
深夜一時を過ぎると、人通りが絶えた。仙台市の国道沿い。ガードレールに専用の留め具で看板を固定する。同業者の看板はほとんどない。090金融“先進地”の福岡とはまるで違う光景。
「この一枚で、何人を自分と同じ目に遭わせるんだろう。何人が、あいつらの罠(わな)に落ちるんだろうか」。罪悪感を振り払うように、懐中電灯のスイッチを入れた。電柱の表示で確認した場所と取り付けた枚数を報告書に書き込んだ。
これまで張った看板は、優に千枚を超える。仙台、新潟、名古屋…。九州は全県回った。
民雄は妻と別れ、福岡県内の小さな町で男手一つ、七人の子を育ててきた。三人は独立したが、末娘はまだ小学生だ。
「もし逮捕されたら…」。目の前で止まったパトカーに身がすくんだこともあった。しかし、「そこ、看板はだめよ」と注意はされても、事情まで聴かれたことはない。ほっとする半面、違法業者の看板をなぜ野放しにするのか、もどかしさも募った。
発端は二月だった。「かみさんの出産費用がいるんよ。三十万」。金融業で集金係をする知人から借金を申し込まれた。民雄は日銭を稼ぐ自営の運送業者。子どもたちを養うのが精いっぱいだった。きっぱり断った。
一週間後、再び訪れた知人は手を合わせた。「うちの社長が民雄さん名義なら貸すというんで、名義だけでも」。二十万円なら、と渋々応じた。
それから三カ月。「社長」から電話があった。「あんた、うちから二十万借りとるやろうが」。知人は行方をくらましていた。「かみさん」も「出産」もすべてうそだった。
十日で一割もの利息をとるトイチ業者だった。利息は月六万円、期限が過ぎると一日千円の罰金を支払わされる。
その月末、予定した仕事が延期になり、早くも利息返済に行き詰まった。駅前の090金融の看板が目に入った。「日銭が入れば、いつでも返せる」。初めてだったが、抵抗感はなかった。
民雄の「地獄」が始まった。返済期日が来る度に、別業者を探した。利息はトイチどころか、週五割や一日一割まであった。いつも「日銭が入れば…」と自分に言い聞かせ、深みにはまっていった。
[2002/12/27朝刊掲載]
第2部第9回
民雄(下) 〜 家族の絆に支えられて 〜
玄関前に車が数台止まった。仙台での看板張りから戻った直後の八月、午後十一時すぎ。「おるんやろ、開けろ」。戸が激しくたたかれた。
黒いスーツやジャンパー姿、角刈りの男たちが七、八人。土足のまま上がり込んできた。看板張りで雇われた業者とは別のヤミ金融業者だった。「金払えんなら、家財道具で払ってもらおうか」
「代物弁済」の書類をつきつけられた。「娘、売られたくないやろ」
知人への名義貸しをきっかけに、民雄(55)=仮名=がヤミ金融に取り込まれて三カ月。借り入れは三百五十万円、月々の返済は八十万円近くに膨れ上がっていた。
「家具で済むなら」。求められるまま署名した。男たちは手当たり次第に運び出した。テレビ、冷蔵庫、布団…仏壇まで。仕事用のトラックも。寝ていた小学生の末娘が、民雄の足にしがみついた。
翌日も取り立て電話は鳴り続けた。子どもたちは、隣町に住む長女のもとへ預けた。ただ一人、がらんとした部屋の隅に腰を下ろし、これまでの生活を思った。
七年前。勤め先の会社が傾いた。民雄は社長に頼まれ、千二百万円の手形に裏書した。結局、倒産。民雄は負債を背負い、自己破産した。
そのころ、妻と別れた。「子どもだけは手放せない」。頑として譲らなかった。高校を出たばかりの長女から二歳の末娘まで、七人の子を抱え、運送業を始めた。末娘をおぶって運転した。
料金が払えず、しばしば水道や電気が止まった。水が出なくなると、子どもたちは、近くのお地蔵さんの傍らの水場に水くみに通った。暗闇の中、ろうそくで数日過ごしたこともある。「クリスマスごっこだよ」。小さな弟、妹たちが無邪気にはしゃいだ。
今、長女に無心し、食堂で働く高校生の四女のバイト料まであてにする自分がいる。「金は稼げばいい。でも家族の信頼や絆(きずな)は、一度失われたら取り戻せない」。悔しさがこみ上げ涙が出た。
地元の弁護士に相談した。「ヤミ金融の債務整理は受けられません」。断られたが、「年29・2%を超す利息は違法。払う必要はない」とアドバイスされた。自分で交渉するしかなかった。
九月、取り立てに来たヤミ金融業者たちに言った。「法で定められた以上の利息を払い続けた。これ以上払えない」。冷や汗が出た。十社のうち半分は手を引いた。
交渉の末、五社には来年三月まで、毎月合わせて二十万円を返すことで折り合った。子どもたちにもすべてを話した。長女らの助けを借りながら支払いは続いている。
利払いの代わりに090金融の看板張りを続けてきた民雄。「今度は報酬、はずむよ」。業者からは今でも依頼がある。「これ以上被害者を増やしたくない」。もう、応じるつもりはない。
「警察が看板を徹底的に取り締まれば、弁護士が積極的に立ち向かえば、ヤミ金融被害は確実に減る」。言いたいことはたくさんある。
その一方で思う。
「人間は弱い。他人に頼れば甘えが残り、同じことを繰り返してしまうだろう。自分の力で苦境を克服してこそ、道は開けるんじゃないか」
今年のクリスマス。家族で決めた。「今回は、ちびちゃんだけ。みんなは我慢」。それぞれの給料から、バイト代から、七人が五百円ずつ出し合い、末娘にプレゼントを買った。
=おわり(社会部・ヤミ金融取材班)
[2002/12/28朝刊掲載]