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終戦時の旧日本軍の毒ガス兵器の実態について政府が73年にまとめた調査報告書と、調査の基になったバックデータの多くやヒアリング記録が、いずれも所在不明になっていることが分かった。環境省は毒ガス兵器の廃棄状況などについて改めて全国調査を始めたが、手がかりになるはずの詳細な資料を欠くため、再調査の成果を懸念する声も出ている。
73年調査について同省が把握している資料は手書きの「旧軍毒ガス弾等の全国調査結果報告(案)」とその要約版のみ。データの「出所」や情報提供者名が記されたとみられる正式の報告書と、大部分のバックデータは「省内を探したが、見つからない」(環境リスク評価室)という。
「報告(案)」などによると、終戦直後に国内で保管されていた毒ガスは3870トンで、大半が海洋投棄された。だが今年に入って、茨城県神栖町で毒ガスが分解したとみられる有機ヒ素化合物が検出されるなど、73年の調査から漏れた毒ガスが大量に存在する可能性が出てきたため、再調査が始まった。
再調査の柱は(1)終戦時の保管状況(2)廃棄状況(3)戦後の毒ガス被害。同省は73年の調査結果を手がかりに、関係市町村の協力で埋もれた資料を探すなどしている。
しかし「報告(案)」には、例えば今回問題の起きた「茨城県」の毒ガスについて「教育用イペリット少量 昭和20 8 練兵場で焼却 危険予測材料なし」とあるものの、誰がどの練兵場で焼却したかは記されていない。バックデータがないと追跡調査は極めて難しい。終戦後半世紀余りたち、事情を知る人も一層減っているとみられる。
環境省企画課は「町史や地元の資料館でも調査し、出来る限りのことを明らかにしたい」と強調し、米国にも担当者を派遣して米軍資料を調べる方針。しかし明治大大学院で毒ガス研究をしている松野誠也さん(日本現代史)は「バックデータが一部しかないままで調べられることはごくわずか。本当にないのか徹底的に捜すべきだ」と話す。
同省官房総務課によると、73年当時の「文書管理規定」では、書類の保存期間は重要度に応じ「永久保存」から「1年保存」までの6ランクに分けられていた。だが毒ガス報告書がどのランクだったかは不明という。【川上晃弘】
[毎日新聞6月13日] ( 2003-06-13-15:00 )
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/20030613k0000e040078000c.html