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(回答先: インターネット=公道。 投稿者 アイテ 日時 2003 年 8 月 23 日 11:13:15)
アイテさん、こんばんわ。読ませていただきました。
同感します。
車の好きな人は、機械構造もよく研究しています。
バイクの好きな人も、部品とかよく研究しています。
しかし、自分で車なりバイクを改造して乗れば、罰則されてしまいます。
パソコンはその点、改造機・自作機が可能である地平を
マニアがきりひらいてまいりました。これは貴重であると思います。
MS社も95年WIN95の発売とインターネット閲覧ソフトにより
一挙に世界独占へと上昇しました。
それまではMS社もMS−DOSの公開などで
ソフトウエアづくりコミュニティから好かれていたのではないでしょうか・・・
もともとパソコンは対話型通信形態です。
コンピュータは人間と機械とのコミュニケーションですから
車とかバイクのように自己完結した機械ではありません。
車とバイクが自己完結した機械でなければ欠陥車で、事故を起こしてしまいます。
また印刷機なども自己完結した機械でないと、印刷工が大怪我をしてしまいます。
パソコンは自己完結した機械でないがゆえに、改造機・自作機が可能なのだと思います。
通信の要素が大きいからです。
無線通信マニアも自分でアンテナを立てたり、自分で組み立てたりします。
コミュニケーション機器は自己完結ではないからです。
双方向機器だからでしょう。
パソコンも双方向機器です。
80年代から90年代前半、日本の代表的パソコンメーカーは
NEC、富士通、東芝でした。
NECも富士通も通信機器メーカーでした。
通信機器製造の技術とパソコン製造は相性が良かったのです。
ゆえにNECは日本で最初のパソコン通信PC−VANを立ち上げました。
続いて富士通がニフティ・サーブを立ち上げました。
電話回線に接続すれば、パソコンは端末機となりました。
パソコンの内臓それ自体が、人間と機械の高速通信機器だったからです。
当時、MS社のMS−DOS公開でパソコン通信コミュニティでは
マニアがさまざまなソフトを提供してくれました。
ソフト会社もパソコンメーカーもこのコミュティを無視することはできなかった
ばかりでなく、意見をとりいれ、協働的なスタイルで
商品を開発していったと思います。
その協働的作風が転換したのは、1995年からでした。
MS社の帝国的独占が開始されたのです。
インターネットとはアイテさんが、おっしゃるように公道です。
ゆえに可能性があると自分は思っております。
パソコン通信時代のコミュニティ精神はまだ死んでおりません。
日本の言論においてもパソコン通信コミュティの実践の内実は
これから現出してくるであろうと思います。
その人々はインターネットで何ができるのか? をじっくりと
検証してきたのではないかと、と思われます。
パソコン通信コミュニティに参加した無名の言論人は
それまで、印刷雑誌としてのミニコミを作っていた人々でした。
また、まんが同人誌をつくっていた人々は
一挙にパソコン通信コミュティに参加しました。
これらの人々が、MS社OSを見限ったとき
パソコンとインターネット公道の可能性はひろがると確信しております。
構造はゆえに生涯学習です。