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山本−笹川−児玉−米国諜報機関ラインを疑う
好評ですので、もう少し書いちゃおう。 まだ大丈夫かしら。
このラインになんで着目するのか?
病理学で言うウイルス感染経路にそっくりだからですね。 その感染経路の界面というか粘膜上で踊るウイルス群が見えます。
私は専門でも界面現象に興味を持っています。
(戦前の笹川良一について)
資料があったので簡単にまとめましょう。
笹川は、17歳で飛行機乗りに弟子入りし、海軍に入隊し、除隊し、故郷の村会議員になります。国粋大衆党、国粋航空連盟を結成します。しかし昭和10年に恐喝罪、業務妨害、暴力行為で有罪判決を受けてしまいます。
国粋会は当初から暴力団的性格がありました。
笹川は航空機の重要性を看破し、大阪に飛行士養成所を開設します(これは「陸軍機密費汚職」の舞台となりましたが細かい話なので省略)。
また、「一機一艦げきめつ主義」を唱え始めます。
山本五十六(当時少将)は笹川の意見に共鳴し、意気投合します。
昭和14年、笹川は、イタリアのムッソリーニ訪問飛行を決行します。 これを仕切ったのは山本五十六です。 山本自身もローマ法王庁を同じ頃訪問しており、ムッソリーニにもコネがあったのです。
笹川の政治的立場は「武力南進論」でした。
これは要するに海軍の主張を民間からサポートしていたものです。
終戦時、特攻隊生みの親である大西中将は切腹しました。
このとき児玉も一緒に自刃しようとしたといわれています(すいません。初歩的な間違いを犯していました。何もしなかったのは、真の生みの親である笹川の方でした)。
笹川良一の仲介で、児玉は海軍航空本部嘱託となりました。
児玉は、1941年12月に海軍航空本部の依頼で、上海に設置した諜報(スパイ)機関(児玉機関)を創設しました。
山本が全体構図をとり仕切っていたのは間違いないでしょう(偉い人は濡れ事には直接手を出しません)。
児玉機関は、銅、潤滑油、雲母、プラチナ等の軍需物資を海軍へ渡していたそうですが、軍の権威を利用し、大陸で拳銃強盗まがいの行為を行っていたといわれています。
笹川はわざわざ占領軍を刺激する政治行動をとり、「志願して」A級戦犯として巣鴨プリズンに入りました。
この入所時には暴力組織(日本天狗党)が歓送したそうです。
昭和23年12月23日(昭和天皇の誕生日です)の深夜に東条以下が絞首刑となりました。
翌日(12月24日)に、岸信介、児玉,笹川らが釈放されました。
この日付にも「黙示」が現れていますね。
(児玉機関の略奪物資についてのエピソード)
東のコダマ、西のササガワは、日本占領体制の地下機関として成長しました。
広島県モーターボート協会会長の岩田幸雄の証言では、昭和20年11月に、児玉機関の財産の一部を飛行機2機に満載し、東京の児玉機関に空輸しています。内容は金塊、ラジウム等の貴金属だったそうです。
12月24日(釈放の日)に、児玉は、笹川に対して依頼をします。
児玉が辻嘉六にラジウム塊を預託し、辻嘉六の庭先に埋設していたのです。
このラジウムの処理を児玉が笹川に委託したのです。
辻嘉六というのは、戦前政界の黒幕です。
児玉は、辻嘉六以上に笹川を信頼していたわけですね。
だけど笹川はお金にはうるさいですよ。
笹川個人を金のことで信頼するのは無理でしょ。
児玉−笹川ともに、より上位の主人がいたのです−米国諜報機関
児玉機関の資金は、戦後いろいろな形で消費されますが、多くは政界資金になったとされています。
最も有名なのは鳩山自由党の資金となったことです。
自由党の結成時には、多数のテキヤ組織が会場を埋めつくしたそうです。
笹川関係者といわれています。
最後に、世界基督統一心霊協会(文鮮明)はCIAの指導下にありました。
その不況活動(原理運動)の日本における最初の拠点は、渋谷区南平台の岸信介の自宅にありました。
理由は明らかですね。
現在日本政治史もこの線上で踊っているのにすぎません。
(最後に妄想)
この流れを見ていて気がつくのは、いろいろなラインが山本五十六に集まるように見えることです。 不思議だ。
だからあれほど馬鹿馬鹿しい作戦行動を立て、南雲中将以下の優秀な司令官達に押しつけたのかな。
真珠湾攻撃も馬鹿馬鹿しいが、ミッドウエイ作戦もそれに劣らぬ凄さです(あっしらさんのご投稿にも要領良くまとめられています。
米国に日本を占領させるための作戦行動みたいに見えて仕方ない。
笹川にはうすうすそれが見えていたから、巣鴨に「自首」できたんでしょうか。
戦後日本のデザインを書いたのは山本ではないかという妄想がよぎります。