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(回答先: あっしらさんへ 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 8 月 09 日 01:36:00)
マルハナバチさん。 こんにちわ。
邱永漢ですか。 私も彼の本は多数読みました。
(貨幣に対する人間の自然性を誘導する以上は、貨幣の根源/源初性を追求する事、そこから価値とは何かを確認する事、望まれる価値観はどう誘起されうるか考える事…これらが必要だと思っています。
これは人間の『身体』に属する脳神経系に生起する現象であり、この身体と脳神経系の創られ来た地球環境との関係性をはらんだ器官の性質と関わっています。これをうまく誘起する事が必要ではないかと想います。
このことを追求する為には、歴史上の古代において貨幣がどういう形で現れ(身体そして環境との結ぼれがあった)、どこで身体性などを失い、その機能性は消滅したのか、何かが知らずに代行しているのかを検証する必要があると
想うのです。)
素晴らしい。 私が書くのを意識的に避けてきた内容そのものです。
貨幣とは麻薬です。 セックスです。 宗教です。
実は恐ろしいものです。 (わかっちゃいるけどやめられない)ものです。
私は近代経済学について組織的な独習もしていません。 雑多な本を読む中でたまたま幾つか経済書を読んだだけですね。
だから断言はできないのですが、近代経済学ではこのような問題の立て方をしていないようです。 近代経済学は何か「隠蔽」に使われているように見えます。
私の知る限り、これに近い問題の立て方をしているのは、経済人類学、エコロジー経済学くらいだと思います。
民俗学の小松和彦氏の憑霊信仰論も良い。 霊と貨幣との深い関係
財、サービス−一般貨幣−財、サービスの交換プロセスについて、柄谷行人氏が執拗に追求していました(探求I、II、III)。
文学ならドストエフスキー。
参考になるのはこれくらいしか思い当たりません。
文系の人ですともっと分かるのかな。