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(回答先: 「理想」とか「世界観」 投稿者 エンセン 日時 2003 年 8 月 02 日 18:46:31)
やあ、エンセンさん。
ほほう、「愉快」と来たか。
いいねえ。
だんだん“あんた”という人間が分かってくるのは楽しいもんだ。
ありがとな。
まあ今後はそれらの陰気で根暗な「趣味」の比重は小さくなるだろうね。
悩むことはやめられないにしてもさ。
さて、あんたの率直な想いと経験を聞かせてもらったワケだが・・・
聞けば聞くほど「力なき市民」がいかにあんたに似合わなかったかがよく分かるよ。
そしてまた逆に、「だからこそ、そうでなければならなかった」ということも。
あんたの中でどんな「革命」が起こったのか。
興味はあるが、今は聞かないでおこう。
「そのとき」が来ればごく自然に教えてもらえるだろうからな。
後日この掲示板においてか。あるいはいつか一緒に呑むときにでも。
そんときは、俺も話すことにしよう。
俺の「理想」もまだまだ茫漠、あやふやなものだ。
その薄靄の中から時折姿を見せる「イデアの結晶」。
「天皇」であったり「彼女」であったり、はたまた「物語の一場面」であったりと様々だが、そうして「カタチ」をもったものは、俺を強く衝き動かす。
まるっきり制御不可能だ。
せいぜいノりやすい精神状況を保つぐらいだな。
だからあんたの言うとおり、まったく焦るもんじゃない。
気長に待たせて頂くよ。
それにしても、「歴史の知識」に相当な準備不足があったとはな〜。
もちろん「そういうもの」には人それぞれの違ったやり方、進み方があるわけだが、やはりあんたにとっては、その「欠落」は重大な問題だろう。
それはもう勉強するしかない。別に孤独にやる必要はないにしても、せっせと着実に積み重ねてくしかないな。
俺なりにアドバイスするならば、「歴史」を学ぶ上での「心構え」を整えておくのが良いだろう。
「歴史」は「物語」だ。
どれだけ「客観的」な記述を心がけようとも、それは根本的に「主観の産物」以外ではあり得ない。
一般的には“くそつまらねえ書き方”であればあるほど「客観的」で「正しい歴史」として扱われてるようだが、そんなのは嘘っぱちだ。
「歴史」は、「出来事の真偽」なんかには大して意味がない。
重要なのは「それが書かれている」という事実そのもの。
それだけが紛れもない「真実」だ。
“決める”のは「自分」だ。
「過去」も「未来」も「今」も、“決定する”のは「自分自身」だ。
「未来」が不確定なように、「過去」もまた定まっていない。
あんたにとって一番良いのを択べばいい。
俺はそうしてる。
「真実」はたった一つだが、それを他人に強制しようとした時点で、それは「虚構」に成り下がる。
まずはいろいろな「虚構」を見て回るのが良いだろう。
ためになる「歴史書」を挙げるなら、「高校レベルの世界史&日本史教科書」だな。
すげえ無味乾燥でつまらないくせに『奴ら』に都合の良い記述は満載という、ある意味芸術的な代物だ。
それを様々な予備知識を詰め込んだ後に読むと、相当に味わい深いものがあるぜ。
俺は受験のときに10回ほど通読したおかげで、大体の世界的な「流れ」をつかめた。
おかげで陰謀論系の書籍が微妙ながらも確かな説得力をもっていることを理解し、今ここにいるわけだ。
あまり手に入れやすいものではないが、機会があったら読んでおくと良い。
あとお薦めするなら小林よしのりの『戦争論1&2&3』だな。
虚飾に塗り固められた「歴史教科書」とは対極的に、徹底的な剥き出しの「主観」による「歴史解釈」だ。
それでいて逆説的ながら、極めて高度な「客観性」を有するものとなっている。(特に3は。)
もしこの一連の作品を読んで何かあんたの「琴線」を爪弾くものがあったなら、もしかしたら俺の「天皇(日本)」へのこだわりに多少の共感を得られるかもしれない。
他には岡田英弘の本なんかがいいと思うが、何にしても積み重ねだな。
面白いのもつまらないのもいろいろ読んで自分なりの「歴史」を創り上げていくしかないさ。
あ、言うまでもないと思うが『赤い楯』は必読な。(これがこのサイトにおける出発点だ。)
理論よりも感情が先に出るっつーのは、一種の祝福だと思う。
いくら自分の周りの生活をよくしてみても、この「社会」全体が放つ“腹立たしさ”は無視できない。
「決着」を積み上げていこう。
「怒り」は大きな「喜びの素」だ。
「知識」は道具だ。
活用しようと思うなら、それは必ず「力」になる。