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(回答先: ヴェネツィアについて 投稿者 おかゆ 日時 2003 年 7 月 22 日 06:10:40)
レス遅れましてすいません。 ご投稿が画面で下の方に埋もれてしまっていました。
もちろんイタリア人の方が西洋史を良く知っているでしょうから、私は憶測するだけです。 参考にならないかもしれません。
フェニキア人の交易範囲は黒海に及んでいるはずです。
カルタゴの植民地は北米にもあったと言われています。
8〜11世紀に黒海とカスピ海との間にハザール帝国がありました。 断定はできませんが、その関係かも。
プリェートニェヴァ 『ハザール謎の帝国』 新潮社
アーサー・ケストラー『ユダヤ人とは誰か』
イスラムが勃興した頃、カスピ海から黒海にかけてハザール王国という遊牧民の王国があり、サラセン帝国の侵攻をはねかえしました。
ビザンチン帝国とサラセン帝国にはさまれたハザール王国は、国家としての独立をたもつために、キリスト教もイスラム教も斥け、ユダヤ教に国をあげて改宗したと言われています(生存の都合?)。
『謎の帝国ハザール』は、旧ソ連の考古学の権威によるハザール王国の紹介です。
民族の沿革から王国の成り立ち、サラセン帝国との死闘を語り、考古学の知見を動員して、地名の比定をおこなっています。
ハザール王国は奇妙な国でして、アメリカ合衆国みたいな多民族国家として運営されていたようです。 何か実験国家のように見えます。 そして、滅亡のときに、なぜかほとんど痕跡を残さないように注意して中央アジアから立ち去ったようです。