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(回答先: アルくんはおそらく阿修羅から独立して自分自身のサイトを立ち上げ、主催した方がいいと思うけどね。 投稿者 水鏡 日時 2003 年 7 月 20 日 16:54:12)
水鏡さん、こんちは。
ご助言はありがたく受け取っておくよ。
確かに自分のサイトを持ってそこで好きなことをやるってことの方がスマートだとは思う。
だけどな、俺はここがさ、「阿修羅」が好きなんだよ。
俺は別に自分と波長の合う連中を集めたくてこんなことを始めたんじゃないんだ。
もちろん波長の合うヤツと話すのは楽しいさ。
でも俺は寧ろ波長の合わないヤツらとこそ、腹を割って語り合いたいんだよ。
管理人さんと異質だってんなら、寧ろ管理人さんとこそ話したい。
「夢」の意味するところは、単に「深層意識の恐れ」が投影されただけだと思う。
俺は何度か自分の好きだったサイトが閉鎖されるという体験をしてきた。
そのたびに大小の精神的ダメージを受け、ちょっとしたトラウマになっていた。
もし今のネットライフにおいて中心を占める「阿修羅」までなくなっちまったら。
その、あえて考えようとしなかった「心のトゲ」が、「夢」となって表れたんだと思うんだ。
俺が初めてここに来てトップページを読んだときに、何を感じたと思う?
「人類の希望」だよ。
ちょっと照れるが、俺は確かに「希望」を感じた。
だから俺は自分が“呼ばれた”と強く信じられた。
俺はさ、「阿修羅」に“惚れた”んだよ。
あんたが危惧してるように、俺はある意味「阿修羅」を“乗っ取ってみたい”と考えている。
人聞きの悪い話だけどな。
俺の「未来予想図」の一つとして、『奴ら』が完成させた「世界支配」を“乗っ取る”というものがあるんだ。
「体制」というものはただの道具だ。
使い方によっては本当に「人類の幸福」を支えるものになるんだよ。
『奴ら』は「支配」のために人類を「分裂」させて、かつ「個性」を「画一化」させる。
俺たちは「幸福」のために人類が「融和」し、かつ「個性」が「多様」となることを望む。
「世界政府」なんてのはただの道具なんだ。ただの“便利な”道具なんだ。
それを“造る”のは『奴ら』に任せてもいい。
だが、本当にそれを“生かす”のは“俺たち”だ。
俺はそのための「練習」、あるいはそれがホントに上手くいくかどうかの「実験」の意味も込めて、これをやっている。
そして上手くいったならば、“ここ”を拠点として「反撃」していきたい。
「阿修羅」もまたそれを望んでいるように、そうして欲しがっているように思える。
俺は「阿修羅」に、“運命”感じちゃってんだ。
もし管理人さんから直接に「出てってくれ」と言われても、だからどうするか分からない。
スゴスゴ立ち去るかも知れないし、かつての中央線みたいに居座ろうと踏ん張るかもしれない。
管理人さんは確かにこのサイトの「親」だが、それだけだ。
みんなから罵声を浴びせられても続けるならば、俺はきっと“摩り減る”だろう。
そうなったら最悪だ。
それでも、俺はここに居たがるかも知れない。
俺を確実に追い出す手はあるんだ。
それは実に簡単なこと。
トップページからわずか二行の文を削るだけ。
そうすれば俺はショボくれて去り、二度と書き込むことは無い。
そしてそれが何かは管理人さんには分かってると思う。
その二行のどちらかがある限り、俺はここにいたい。
一時的に消しただけの場合でも、復活したことに気付いたらすぐ戻ってくる。
好きなんだから、しょうがねえさ。
そういうわけで、俺が自分のサイトで始めるのは「阿修羅が無くなったとき」と、「フラレたとき」だけだ。
情報の整理のために立ち上げることもあるかも知れないが、それもまだ先の話。
だからさ、堪忍してくれや。
俺がやろうとしてることがつまらなそうに思えたり、あまり魅力を感じないヤツもいるだろう。
しかし、俺には「意志」がある。
“変えたい”という「意志」がある。
それを押しとどめることは不可能だ。
この世は「無常」。止まらない。
だから俺の好きにさせたくなかったら、「自分」でどうにかするしかない。
「自分」の望む「阿修羅」のあり方へと“変えていく”しかない。
それを面倒に感じてここから立ち去るというのであれば、俺にはどうしようもない。
しかし、その背中に向けて俺はこう言う。
「あんたはそれで楽しいのか? あんたはそれで面白いのか!?」
俺は誰にも去って欲しくない。
人には去らなきゃいけないときもあるかも知れない。
距離を置いて見ることも、ときには必要だろう。
だけど、いつかは戻ってきて欲しい。
永い旅路の中で、安らぎを求めて立ち寄って欲しいんだ。
インターネットは「喜びの道具」だ。「幸せのおもちゃ」だ。
「現実」だけじゃあ“つまらない”。
「ネット」だけじゃあ“面白くない”。
“使いこなす”んだ。「全て」を。
俺は全身全霊をかけて、この「世界」を楽しむ。