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(回答先: Re: アルちゃんへの愛のレス 投稿者 ドタンバン 日時 2003 年 7 月 16 日 04:04:11)
今日は実に良い日だ。
ドタちゃん、あんたが卑怯者でなくて心から嬉しい。
あんたが心のキャッチボールに応じてくれた以上、俺も手加減抜きの豪速球でお返ししよう。
俺の究極の哲学は「燃え」だ。魂の底から湧き起こる衝動、欲求、情念だ。それは「原初の炎」、「全ての始まり」、「永遠のかけら」。そこにおいては「イデア」も「至高」もさらになお、その一つのカタチに過ぎない。
「愛」もまたしかり。
それは俺にとっての「絶対」の一つ。そして人の身に降り立ったときに「抑制」した、俺の行動原理。
しかし、今は全て解き放ってあんたにぶつけよう。
あんたのそれは、「愛」じゃない。
本当の「愛」は「権利」などというみみっちいガラクタには縁が無い。そんなものの果てに「真の愛」などありはしない。
人間は、殺してきたし、殺されてきた。何も人間同士に限った話ではない。人は生きるために殺し、喰らう。植物。動物。知らず知らずのうちに踏み潰した虫。風に舞って胃に運ばれ何の意識も無く溶かす細菌。俺たちは日々、数え切れない命を躊躇うことさえ出来ずに、奪い、生きている。
そこに「罪」を感じるのか? そこに「罪」を感じるべきなのか?
それが「罪」ならば、なぜ、「世界」はそうなのだ?
果てしなく「罪」を重ね重ねて、最期に下される「罰」を待つ・・・
それもよかろう。
しかし、俺はもう十分に悩み苦しんだ。そしてそこに何もないと、知っている。
「殺される」ことは「喜び」なんだよ、ドタちゃん。
この「世界」は、そうして成っているんだよ。
そしてその全てが、「愛」なんだ。
あんたは「愛を学ぶための遠い旅路」と言った。
何を分からないフリをしているんだ?
「殺されること」も「殺すこと」も、「愛」の一つのカタチだぜ?
それから逃げて学ばないなら、何のための命だ? 何のための人生だ?
人生から何も学んでないのはあんただ。
命の本質ってものが分かっちゃいないのは、あんただ。
死ぬのはただの「くぎり」、ほんの暫くの「別れ」に過ぎないんだよ。
そこで泣くのは自由だ。
そこで苦しむのは自由だ。
ただ目の前から姿を消したというだけで涙し、泣き叫ぶのは自由だ。
母を求める赤子のように・・・
俺はそれに「愛」を感じる。
途方も無く愛しく思う。
この上ない美しさ、目の眩むばかりの輝かしさ。
胸が張り裂けるばかりの、「喜び」。
だから、俺はあんたに「愛」を感じる。
あんたのストレートな魂の咆哮を、この上なく愛しく思う。
俺は強くも、情け深くも、責任感もねえ男だが、それでもあんたにこう言って抱きしめてやりたい。
「大丈夫、大丈夫だ。何も寂しくなんか無い。誰もいなくなったりはしない。俺が、そばについててやる。」
「真の愛」を生きたいのなら、あきらめちゃいけない。
俺たちは、全てを赦せるんだよ。