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(回答先: クライン孝子の日記 (2003/06/03) 投稿者 孝子ファン 日時 2003 年 6 月 03 日 14:28:01)
この人の言葉、賛成する部分も多いのだが、
「ちょうどイラク戦争勃発から終戦まで、私、日本にいましたが、そのテレビニュースのいい加減さ、とくに評論家という人たちの無責任発言には呆れてしまいました。で、その後どうしているかって? ケロッとしてるんだもの。」
私はむしろ、イラク戦争を読み間違ったからといって萎縮せずにいて欲しいと考える一人である。今回、報道や反戦運動などに於いて、ばかばかしさ、非現実感、無力感などを植え付けるような要素が盛りだくさんだった。これは各方面のオピニオンリーダーたちの求心力を失わせ、御しやすい白痴化した群れと、留め置くための謀略の一つと考える。反戦運動はまるでオリエンテーリングであった。これは白痴化でなくて何であろう。
参考:19世紀の虚無主義と力の崇拝について木村愛ニさんの投稿
http://www.asyura.com/0304/war34/msg/532.html
今回、踏み込んだ予想をした人の多くが予想を外した。誰かがオフサイドトラップと呼んでいて卓見だと思ったが、まさしくその通りの結果になった。希望的観測や、一部の報道を信用して踏み込んだ予想を立てると、ことごとく裏切られる。情報の質の選別をうんぬんの問題ではない。双方の大本営発表と、特定の勢力の息のかかった報道局の報道から、何が選別できるものか。そして笑えるのが、結局結果は半年前に予想したシナリオ通りで、その後に出てきた情報を加味するとむしろ誤った結論に導かれてしまうという事実である。まさに、寝ていたものの勝ちである。そんな状況下で、出てきた事実の言葉の言い換え程度では読者を満足させることが許されないような人、例えば、売出し中のジャーナリストなどは、この罠にかかった。評論家達の信頼は地に落ちた。オピニオンリーダー達は多かれ少なかれ求心力を失った。しかし、これこそ情報戦争における撹乱の狙いだったのではないかとすら思えるのだ。私は外してしまった評論家は、萎縮する必要はないと考える。イラクにおける治安の問題等、事態はますます深刻である。この時期に、評論家達は黙っていることは、逆に許されないのではないか。萎縮し語らないことで、それこそアメリカの当初の目的は果たされるわけである。今は、反省した上で、相手の計算通りに事が進まないように予防線を張る時期である。この予防線を張れないようでは心もとない。ほとぼりが冷めるのを待つなどと言わず今積極的に語って欲しい。先日、東京大学の藤原教授という人がテレビに出ていたが、相変わらずの口ぶりで語っていて頼もしく思えた。予想を外した人であっても、今は語るべき時である。あれだけ露出したのだから、反省も含め、総括を行うべきだ。
そしてクラインさんは評論家を無責任よばわりするより前に、自分は何を出来たはずだったのか、そしてそれを考えるあまり踏み込んでしまった人間を笑っていい立場にあるのか、良く考えてほしい。まあ、たまたまケロッとする人間が目に付いただけかもしれないが、月並みな皮肉でわかったようなことを言われても、読者を困らせることになるだけだろう。しかし辛口コラムは大変面白かった。この人こそもっと日本で語るべき人の様にも思える。ぜひごらんあれ。