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西欧はイスラームから多大な教えを受けたにもかかわらず、中世以来イスラームを貶めることに躍起になってきました。その一例はダンテの「神曲」にも見ることができます。中でも「右手にコーラン左手に剣」はイスラームを貶めるために西欧キリスト教世界が発明した傑作と言えましょう。
この発明品がボロボロになり通用しなくなると、イラン・イスラーム革命を契機に「イスラム原理主義」なるものを発明しました。これは、欧米がイスラームを貶めるための第二の傑作といえましょう。
多様なイスラーム運動の内実など一切お構いなしに、「イスラム原理主義組織○○○」とやれば一定の負のイメージを植え付けることが可能なのです。
「イスラム原理主義」はキリスト教原理主義にヒントを得て創作された用語です。両宗教をきちんと比較・検討したうえで作りだした用語なら、欧米が作りだした用語であろうと全く問題はありません。
「イスラム原理主義」という用語が妥当だとする人たちは、キリスト教原理主義者とは聖書の一字一句を絶対視する人たちのことであるから、クルアーン(コーラン)を一字一句絶対視ムスリムをイスラム原理主義者と呼んで構わない、といった論を展開します。
この論の背景には、二つの宗教は簡単に比較が可能であり、それは次のようなものであるという前提があります。
キリスト教 イスラーム
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開祖 イエス・キリスト ムハンマド
聖典 新約聖書+(旧約) クルアーン
信仰の対象 神・イエス・聖霊 アッラー
この比較は誰もが簡単に納得できるものですが、実はここに大きな落とし穴があります。両宗教の内的構造を踏まえたうえで簡単な比較表を作れば次のようなものになります。
キリスト教 イスラーム
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開祖 イエス・キリスト ムハンマド
神の啓示 イエス(の人格) クルアーン
啓示の記録 新約聖書 ハディース
使徒 聖パウロ等 ムハンマド
信仰の対象 神・イエス・聖霊 アッラー
この比較は私の創作ではなく、ウィルフレッド・カントウエル・スミスが提示したものです。スミスは基本的にはエドワード・サイードが指摘するところのオリエンタリストであると私は見ていますが、この比較に関しては、かなりの妥当性があると考えています。
キリスト教原理主義者は「啓示の記録」である新約聖書を一字一句絶対的なものとしますが、ムスリムのハディース(預言者ムハンマドの言行録)に対する態度は「鏡」と言ったようなものであり、ハディースの一字一句を絶対視するような態度はとりません。
イスラームにおけるクルアーン解釈には長い歴史が有り、論理的に厳密に解釈しようとするザーヒリーヤ派と、内的意味を重要視するバーティニーヤ派に分けることができます。バーティニーヤ派の中でも深く神秘主義に傾くスーフィー(イスラーム神秘主義者)たちの中には、クルアーンは七層に解釈することができると主張する人たちもいます。
これらを踏まえれば、事件があるたびにマスコミで使用される「イスラム原理主義」なる用語がいかに根拠のないものか分かるはずです。
日本の中東研究者たちの間でも、「イスラム原理主義とは何か」といった不毛な議論がなされていますが、彼らに顕著なのは、欧米の政治的な言説操作に全く無知な点です。また彼らは議論の出発点にボタンの掛け違えがあることも認識していないようです。