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(回答先: カルタゴとフェニキア:シオニストと『彼ら』 投稿者 あっしら 日時 2003 年 8 月 24 日 03:09:43)
あっしら様、
あたくしの質問への解説をありがとうございました。
途中またサーバーが落ちていたりしてレスが遅れましたが、
再びヴェニスの起源について。
あっしら様のレス:
『カルタゴはフェニキアの植民都市が起源ですから、「カルタゴ人の起源もフェニキア」や「ヴェニスに来たのはフェニキア人」というのは、トンデモではなく、同じ見方をしていると言えます。
(ローマ帝国から忌み嫌われて国土を破壊されたカルタゴの支配者は、カルタゴ人と名乗ることなく、地中海沿岸に拠点をつくっていきました。ある人たちはローマ帝国内で活動が認められていたユダヤ人と名乗り、カルタゴ時代に蓄積した貨幣的富を元手に商売に励みました。カルタゴ人は、カルタゴが滅亡した時点で歴史から消滅したことになります。フェニキア人もそれに近いかたちで消滅しています)』
そうなんです、フェニキア人である、という見方については共通しているんですが。
しかし、ただ一つ『ヴェニスの歴史マニア氏』の認識であっしら様と相容れないところは、
彼がヴェニスに来たのは、カルタゴ経由のフェニキア人でなく、あっしら様の用語をお借りすると、
『東地中海を基盤としていた母国フェニキア』あたりから直接来た人々だったのだ、としている点だけです。
『それには根拠あるの?』と尋ねると『あるとも』と言っていましたが
何せ仕事中で出典まで聞き出すことは叶いませんでした。
それに、彼だってどこで読んだか憶えているかどうか。
再びあっしら様曰く:
『ヴェニスを興したのは、新バビロニア起源の価値観を基礎とした海洋商業集団といったほうが誤りがすくないのかなと思っています。』
こういうことであれば『ヴェニスの歴史マニア氏』の意見と符合しますね。
あたくしはヴェニスへフェニキア人が入植し始めた年代は知りませんが、彼の言うことは
『ヴェニスは、母国フェニキアから見てカルタゴがそうであったと同様、
フェニキアの孫ではなく息子に相当し、カルタゴから見て(歳の離れた?)弟に相当する』
と解釈するべきなのか、と思いました。
あれからオスマントルコ衰退期からの英国の動きを見直しています。
また何かのついでに書くかも知れません。
ではまた、ごきげんよう。