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笹川−児玉−田中角栄−そして中曽根−小泉
(笹川と変わり身の早さ)
世界基督教統一心霊協会(文鮮明)はCIAの管理下にありました。
原理運動の最初の拠点は、渋谷区南平台の岸信介の自宅にありました。
岸は用心深い人です。 なにしろ首を吊られそうになったんですから。
諜報機関の指令は絶対なのです。
首を吊られなかった人間は、首に紐と鈴とを付けられて出所したのでした。
昭和38年、笹川は原理運動の家紋に就任しました。
笹川は国際勝共連合の会長にも就任しています。
ところが、昭和47年、笹川は、突然、反共との絶縁を宣言します。
反米右翼(昭和20年まで): 親米反共(台湾支持)右翼(昭和20〜47年)、反共と台湾と右翼を放棄して国際主義者へ(昭和47年以降)
とても分かりやすいですね。
彼への指令は、比較的高位から出ていることが分かります。
モーターボートレース関係は省略。
(田中角栄潰し)
田中角栄は、後藤田正治を船舶振興会に送り込み、乗っ取ろうとしたといわれています。
しかし後藤田を送り込むことは失敗しました。
そこで田中は、笹川の古文である糸山英太郎の選挙違反を徹底的に取り調べて反攻しました。
しかし船舶振興会の乗っ取りにはけっきょく失敗したようです。
ジェローム・コーエンがロッキード事件の全貌を笹川にリークしました。
昭和50年、笹川はニューヨークのホテルで、コーエンと会談しました。
その勅語、コーエンはロッキード社の情報をチャーチ委員会に持ち込みました。
スキャンダルの炸裂以降、笹川はマスコミに頻繁に登場し、田中と児玉と小佐野をコキおろしました。
このあたりのことは周知かな。
やはり諜報機関が透けて見えます。
このとき児玉の枕元に大西滝治郎中将が立ちます。
児玉はこのときに謀略の全貌を悟ったのかもしれません。
気の毒な人生だった。
後はおまけだね。
「保守本流」は雑多な因子を抱え込みながらも、諜報機関の管理下にありました。
してみると、田中角栄が権力を掌握したことが、どんなに異常なことだったか、よく分かります。
また、笹川が「忠実にして鋭敏」であること、児玉がちょっとオマヌケであることも良く分かりますね。
1973年近辺に世界構造が変質しました。
笹川はそれに真っ先に対応しています。
この時期に日本国は唯一の独立派−角栄を失ったみたいです。
角栄の後継者は裏切り、創政会は目的を失って利権のみに走り、衰退していきます。
この派閥は、小渕首相に至って完全親米路線となり、手打ちをしております。
だから今私たちの目前にあるのは、ただのゾンビです。
現在、その断末魔を見ることができます(橋本派のことだよ)。
中曽根はもちろん保守本流ラインから更に親米的要素を純粋培養したものですね。 海軍だしな。
小泉は、このラインから選抜された人間です。
彼の個人的資質と家系とが、目的から見てぴったりだったから選ばれたのです。
もちろん小泉は中曽根の忠実な子分だよ。
この話は退屈だからこれで良いかな。