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岡潔曰く、
花を見れば花が笑みかけていると思い、小鳥を聞けば小鳥の声が呼びかけていると思う。他が喜んでいれば嬉しく、他が悲しんでいれば悲しく、みんなのために働くことに無上の幸福を感じる。なんの疑いもない。これが心である。
仏教の形式でいえば、これは第八識の下層、時はすべてであるが、他になにもない所、すなわち時そのものである。
仏教が、ここを見落として行き過ぎたのは、その内容を知らないからである。
心の世界を説こうと思えば、初めから心だけで説くのがよいのである。ここで初めからいい直しておこう。
人には心が二つある。そして二つしかない。一つは心理学の対象となっている心であって、この心は、私を入れなければ動かないし、わかり方は必ず意識を通す。これを第一の心ということにする。欧米人は太古以来、この心しか知らないのである。
第二の心は頭頂葉に宿っている。これは無私の心である。わかり方は意識を通さない。
第一の心は、心理学者は知らないだろうが、本当は物質的自然界全体に及んでいる。自然科学者の暗黙の自然の説明が、初めに時間・空間があると思うのはそのためである。人の子は生まれて第四年になればそう思うようになる。
人は本当は第二の心の中の物質的自然界の中に住んでいるのである。
私たちの住んでいる自然は、秋風が吹くときはもの悲しいという情緒に包まれた自然であり、風がやんで時雨が降り出せは、もの懐かしいという情緒に包まれた自然になるであろう。私たちは無量の情緒に包まれた物質的自然界の中に住んでいるのである。
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