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http://www.tokyo-np.co.jp/00/ken/20030829/ftu_____ken_____001.shtml
医療の在り方をめぐる議論が活発だ。患者側に十分な医療情報が届いておらず、高齢社会に対応した地域の医療システムができていないなど、多くの課題を抱えている。医療不信が高まる中、何を、どう変えたらいいのか。東京で先に開かれた医師や市民団体によるフォーラムから探った。 (田島 真一)
■よい医師を患者がつくる
フォーラムは非営利の政策シンクタンク「構想日本」(事務局東京)が催した。冒頭から医療不信をめぐり、意見の応酬があった。
せんぽ東京高輪病院心臓血管外科医長の堀見洋継さんは「マスコミや患者側から、医者に対する不平不満をひしひしと感じる。医者同士では『そんなにひどく言わなくてもいいのに』と話題になる」と打ち明ける。「私たちの立場から言うと、医者が悪いのは患者側も悪いからではないか。いい医者をつくるのは患者だと思う」
例えば、心臓手術のために転院してくると「先生にお任せします」という患者が大多数という。「自分の体のことをよく知り、意見をぶつけてきてほしい。医者側に自浄作用があるとは言い難い。自分の暮らす地域の中に安心してかかれる病院をつくるという心構えを持ってほしい」と“お任せ医療”からの脱皮を求める。
これに対し、医療事故市民オンブズマン・メディオ副議長の伊藤隼也さんは「そもそも医療情報は患者に閉ざされている。情報公開が叫ばれている世の中で、これほど情報格差の激しい世界はない」。実際、どの医療機関にかかるか選ぶ材料さえ、患者には乏しい。「患者が医者を育てるというのは正論だが、できる状況にない。むしろ、それをやらなければいけないのは医療業界側ではないか」と指摘する。
人口千三百人の長野県南相木村で診療所長を務める色平哲郎さんは「病院や大都市では医療者の方が情報を持ち、専門家が患者さんにまなざしを注ぎますが、村では逆に、私が村人から『見られる』立場になります。ビクビクした気持ちにもなりますが、それが患者さんの気持ちを推し量るきっかけにもなっていると思います」。“医者語”でなく“村語”で話さなくては、村人からの信頼は得られない。「医学部では教えてもらえない人と人とのつながりの原点が、村にこそあるのかもしれません」
病院は患者のためのものだったはずなのに、そこで働く人のものになってしまったともいう。「一般の人たちも、医療を性悪説、性善説の一方で見るのでなく、的確なアドバイスを入れていくことが大切ではないでしょうか」と説く。
医療への不信感を拭(ぬぐ)い、よりよい改革を進めるための「処方せん」は何か。東大先端科学技術研究センター特任教授の江里口正純さんは「医学生など医療関係者の教育が重要だと思う。受験勉強で難しいところへと医学部へ来たが、明らかに医師に向いていないという学生もいる」と憂う。堀見さんは「いい病院のモデルを早くつくってしまうこと。四百床ぐらいの総合病院で、医師でなく経営にたけた人が管理するのがいい」と期待する。
色平さんは、さらに進む社会の高齢化も見据える。「団塊の世代の人たちは、自分の親が入っているような高齢者施設に入りたいと思うでしょうか。小規模、多機能、地域密着型のケア体制をつくることが肝要と考えます」。伊藤さんは「カンフル剤として言えば、日本の医学部の半分はいらない。病院の数も多すぎる。いいかげんな医療をしているところほどもうかるシステムをやめ、情報を公開し、頑張っている医療機関が報われるようにしないといけない」と説いた。