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シジミ:
以下に、二度にわたる誤診から乳癌を見落とされた女性の事例を「朝日新聞」から転載する。
誤診した医師は非難されて当然であり、女性に対し十分な補償とともに心よりの謝罪が必要である。しかし一方、この女性に日本の医療に対する不完全さの認識があればこうした事態は防ぐことができたと考える。
まず、この女性は乳房のしこりについて最初に産婦人科で質問し、乳腺症という診断を受けている。しかし産婦人科は乳癌の専門科ではなく、触診のみで乳癌を診断することは不可能であり(確定診断は組織検査を要する)、医師は精密検査を勧めるべきであった。また女性も、乳腺症の診断にほっとしたと考えられるが、もし産婦人科が乳癌の専門科ではないことを知っておれば、自分で専門の乳腺科もしくは外科を受診したはずである。
次に、5年後にしこりが痛み出してからの「検診」であるが、このとき女性は明らかなミスをおかしている。検診とは自覚症状がないときに受けるものであり、女性の場合は専門の医療機関に受診して精密検査を行なうべきであった。
それにしてもこのときの医師はあまりにひどい。「得意ではないかもしれません」と後に告白しているような自分の技術水準にも関わらず、「脂肪の塊」だと診断している。また「痛みがある」と訴える女性に対して、“癌の進行による痛み”さえ疑っていない。
更に、このような素人医師を指定した市役所の責任は極めて重い。
女性はこの段階で直ちに専門医療機関を受診すべきであった。そうすれば手術で完治できた可能性がある。それから更に2年も放置したという事はあまりに自分の身体に対する扱いが粗末過ぎる。後に女性は外国文献を含む資料を読み漁ったということだがが、あまりに遅すぎる。こうしたことは自分で乳癌を疑った段階で行なうべきことである。
私はこの女性に厳しい言い方をしているが、これは人々が医師に対して間違った見方をしていると考えるからである。医師を信頼しすぎてはいけない。専門外のことに関しては医師は素人と考えた方が良い。本来、医師は自分が専門外の場合、専門医を紹介すべきだが、そうするとは限らない。患者は自分の身は自分で守らなければならない。
最後に「余命6ケ月」の宣告であるが、これも真に受けない方がいい。医師は癌の進行度からそのような結論を出しているが、人の体はそれぞれ違う。「余命3ヶ月」と言われて何年も生きている人はいくらでもいる。また、医療機関の技術レベルはピンからキリまであり、治療法も様々である。「6ヶ月」ということはすぐには死なないということであり、自分の学識を生かして徹底的に生き延びる道を探ることである。
やぶ医者を訴えることは、ふこうにして死ぬとしてその時に夫に託したらよい。
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乳がん、検診で見落とされ…千葉の女性「余命半年」 (朝日新聞)
http://www.asahi.com/health/medical/TKY200308240100.html
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乳がんが見つかる人は年3万人を超え、毎年増え続けている。一方、早く治療すれば、回復の割合が高いのも乳がんの特徴だ。その検診態勢は必ずしも十分ではない。千葉県に住む山口真理子さん(39)の場合――。
県内の郊外の庭付き一戸建て。3人の子供たちに黒いラブラドル犬。そして優しい夫。山口さんは、欲しいものすべてを手に入れたはずだった。
米国の大学を卒業後、外資系製薬会社に就職、留学中に知り合った夫(40)と結婚した。長女(14)、次女(11)に続き、94年に長男(8)が生まれた。直後、出産した産婦人科診療所で、気になっていた乳房のしこりについて尋ねた。
医師は触診後「乳腺症でしょう」と答えた。
5年後の99年夏。しこりが痛みだした。30歳以上を対象とした市の乳がん検診を受けた。出産した産婦人科が指定医療機関になっていた。
「痛みがあるんです」
医師は、触診だけでなく超音波(エコー)検査で調べてくれた。
「乳がんは痛まない。脂肪の塊です」
そのころパソコンインストラクターの仕事を始めた。育児による遅れを取り戻すかのように夢中で働いた。楽しかった。
2年後の01年秋、しこりがはじける感覚が走った。5センチ以上はある。あの産婦人科医を訪ねた。
エコー検査をする医師の顔が一瞬、曇った。そして専門病院での精密検査を勧めた。数日後、大病院でしこりの組織を調べた。結果が出たのはその日の午後。
「悪性でした」
それ以外の主治医の言葉は覚えていない。
12月、摘出手術。7×5×2・5センチのがんだった。摘出したリンパ節すべてに転移していた。
外国の論文を含め、資料を読みあさった。がんの成長には、長い時間がかかる。あの時なぜ、産婦人科医は見逃したのか。産婦人科は乳がんの専門科でないという。では、なぜ検診の指定機関になっているのか。
転移を抑える治療が始まった。放射線治療や抗がん剤。髪は抜け落ち、体中がギシギシ痛む。一日中、寝ている。何もする気にならない。自殺ばかり考えた。
昨夏、夫が歌舞伎に誘ってきた。かつらをかぶって、いやいや出かけた。銀座のカフェでお茶を飲み、相田みつを美術館に行った。そこで夫が掛け軸を買ってくれた。
「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」
無口な夫の、精いっぱいの励ましなのだろう。心がふっきれたような気がした。帰宅後、職場復帰を申し出るメールを上司に打った。
今年6月、主治医のもとでエコー検査をした。その検査結果を夫と一緒に聞きに行った。肝臓に転移していた。冷静に「余命は?」と尋ねた。
「どうしても聞きたいですか?」。主治医の顔はゆがんだ。そして「半年です」と。
夫と一緒に昼食をとった。いつになく饒舌(じょうぜつ)な夫を見ていて、かわいそうで仕方がなかった。その日夕方、仕事を終えて車に乗ったとき、初めて涙がこみあげた。
7月。乳腺症と診断した産婦人科医を訪ねた。
「先生はエコーに自信があるのですか?」
しばらくして医師は答えた。「得意ではないかもしれません」。研修も受けていない。だが、医師は続けた。「私は今後も続けます」
コピーさせてくれたカルテには、一言だけ「乳腺症か!」との検診結果が記されていた。
半年。どうやって生きようか。産婦人科医を訴えようか。だが、いやな思いをして半年を過ごしたくはない。
厚生労働省や市役所を訪ね、検診制度見直しを訴えた。動いてくれるかはわからない。だが、仕事を続けながら訴え続けようと思う。家族には寂しい思いをさせるが。
「残された時間は短いんで」。山口さんは、少しだけ涙ぐんだ。 (08/24 15:42)