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河南省におけるエイズ拡散の「かさぶた」を剥がす 2000年11月28日
http://www.asyura.com/0306/health5/msg/120.html
投稿者 てんさい(い) 日時 2003 年 6 月 02 日 21:37:02:KqrEdYmDwf7cM

(回答先: Re: 関連して 投稿者 ES 日時 2003 年 6 月 01 日 23:13:01)


http://members.tripod.co.jp/israel7/scab.htm
以下の記事は01’7月までインターネット上に公表されていたものです。

そして01’8月やっと、中国政府が世界各国に河南省のエイズ問題を公式に発表しました。

それと同時に下記の記事のホームページにはアクセス不能になりました。

私の推測ではありますが、中国政府がこの重大なるエイズ問題を世界に公表したにも関わらず、

国連や外国調査部門の査察を拒否している理由が、下記の記事の中に隠されているものと思

われます。

(注)下記の記事は文楼村の多数の人達も、公安に見つからないように隠し持っていたものです。

   00‘11月 原文のHPが復活していました。 http://www.aizhi.org/jkwz/bloodwound.txt

参考まで

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河南省におけるエイズ拡散の「かさぶた」を剥がす

作者:何愛芳  2000年11月28日火曜日

新世紀最初のエイズデーの前夜に記す

1995年から1996年以降、河南省におけるエイズの流行は中国国内における医療関係者
の警戒と注意をずっと引起してきている。中国で最も有名なエイズ専門家で、中国科
学院の曽毅院士を含む多くの専門家が様々なケース、様々な方式によって次ぎのよう
な警告を発している。「河南におけるエイズの流行は本当で、かなり深刻であり、国
難にまで進んでいく可能性がある」。しかし河南省の劉全喜衛生庁長は当時胸を張っ
て「河南にエイズはない」と言った。専門家は「劉庁長のこうした発言は、棺桶を見
ないうちは涙を流さないというもので、エイズは5〜10年の潜伏期間があり、その時に
なって大量の死者が出たとしてもまだ口を紡ぐことができるだろうか」と言った。劉
全喜は「それまで私の口はかたく、私の秘密があなた方に発見されなければそれでい
いのだ」と考えている。専門家の予言は容赦なく、人々もそれを目にしたいとは望ん
でいなかったが、2000年に入ってからそれは現実となってきた。河南省には現在50万
〜70万のエイズ、B型肝炎、C型肝炎の感染者がおり、河南省南部の多くの県や市町村
では、今年になって奇妙なことに墓の数がやたらと増えるようになった。一部の村で
は一年の内に30人に近い青年、中年が亡くなっており、これらの人に共通しているの
は「血を売ったことがある」ということだた。

善良で素朴な中原の農民にはどうしても彼らがエイズと関係することに思い至らない。
それはむしろ金持ちの慎みに欠ける行為によって得られた不治の病であった。貧困の
ため血頭の「血を少し貸してくれれば、すぐ返し、その上お金もあげる」という甘い
囁きの下、真面目な農民は毎年農作業にせいを出すその太くてたくましい腕を差し出
した。本当のところ、それは自らの生命を悪魔に差し出すものであった。この針、こ
の採血のプラスチック管と血袋、この遠心機、この一緒に集められた血液、特にこの
戻された血液が、すでに閻魔大王が差し向けた寿命を催促する小鬼を伴って、農民の
体内へと進入した。

血頭たちは血液や血しょうを求めてどうするのか?当然、都市の生物製剤会社や病院
に売るのである。聡明で計算に巧みな上海人や天下に「九頭島」(ずるい人間)と称
されることで有名な武漢人も、1992年以降、河南の血頭たちがこれら大量の汚染され
た血液を上海や武漢の生物製剤会社に持ち込んで、アルブミンやグロブリン、インター
フェロン、血小板因子といった一シリーズの栄養剤に作り上げ、全国に販売させてい
たとは想像すらできなかった。これら栄養剤がさらに都市の人々にエイズやB型肝炎、
C型肝炎などその他疾病に感染させたのか、知る由もないが、この地下売血活動は今で
も河南で秘密に躍動している。

1992年は中国全体が金儲けの熱に浮かされていた。金儲けのことしか頭にないこの庁
長がその地位に就くや、「改革局」、「開発局」、「血液センター」、「万達公司」、
「発展センター」、「生物薬品公司」などを設立し、「内では許認可、外では血しょ
う」という自らの新思考法を打出した。

内では許認可というのは、河南省衛生庁の印鑑の威力を十分に発揮して、証明書を出
すことで、目的は金集めであった。外では血しょうというのは、大量に採血し、採血
後は血しょうだけを求め、赤血球を売血者に戻すというもので、採集された血しょう
は製薬会社に売られた。本文では、血しょうのその後の成行きを中心として、人を激
怒させるその内幕を暴露する。

河南省衛生庁のある退職顧問は次のように語った。劉全喜は1993年初の衛生システム
内部会議の席上で、以下のように語った。「第三の産業を大いに発展させて、血液セ
ンターを興さなければならない。河南省の人口は9000万で、その80%以上が農民であ
る。この7000万余の農民中、1−3%は売血を望んでおり、売血を恐れていない。彼ら
は毎年平均1〜2回売血する。これら血液を集めて生物製品公司に買ってもらえば、1億
元近い価値を創出できる。同時に農民を貧困から救う一つの手助けにもなる。どうし
て我々はこの面でもっと頭を働かせることができないのか?一方で富み、一方で福を
造出する。私が思うに、血液センターを興すことは一つの方法で、内と外を結びつけ、
海外の資金を導入する。中国にエイズはなく、血液はクリーンだから、外国は必ず求
めてくる。また、社会の資金を結びつけ、人を動かして社会全体に血液センターを興
し、河南の人口資源という長所を十分に発揮して、河南の衛生システムの改革を推進
しなくてはならない」。

血液センターは呼びかけに応じ、先ず開封に設置された。河南省衛生庁は積極的に現
場会を呼びかけ開催し、全省で展開された。各県の防疫センター、婦女幼児保健セン
ターの血液収集センターが設立、農村の血液センターが作られ、軍隊、物資、石炭、
工場などの血液センターが設立、一部県の政治協商会議、人民代表大会も血液センター
の隊列に加わり、あっという間に、河南には200余りもの「合法血液センター」と数え
切れない非合法の血液センターが生まれた。

幾つかの血液センターは小さなトラクターの上に、遠心機と繰り返し使用した何本か
のプラスチック管と針を置いていた。彼らは採血のため村に入り、サービスを掲げ、
その場で商売をした。全国の生物製薬公司が河南に来て血しょうを買った。彼らには、
中原の農民の血液を吸い取って、金銭に換えるという共通の目標があった。

より大きな買主を探すため、劉全喜は売血代表団を引率して、1993年と1994年の2回、
米国へ飛んだ。米国の幾つかの血液製品会社と売血案件を交渉し、同時に米国の会社
が河南で工場を建設し、現地で加工の上輸出するよう求めた。そうすれば、輸送に便
利なだけでなく、税関の血液輸出不許可検査を避けることができ、効果はより増すこ
とになる。米国の会社に対する劉全喜の誘惑は、「河南は血液ソースが広く集中して
いて、採集に便利、血液はクリーンでエイズがなく、血液ソースは安い」というもの
だった。河南は人口で中国第2の省(当時)であることを考慮し、彼は敢えて売血する
最初の中国共産党員となった。米国は専用機を差し向け、この「中国第一の大血頭」
を送迎した。事後、彼と彼の随員がいつでも米国の専用機はどうだというと、米国は
その通り重視して差し向けた。

米国の会社も何回か河南に来て視察したが、後、米国側の投資プロジェクトが大きす
ぎたため、実現するには副庁長クラスの部門が必要か、省政府または省経済計画委員
会(当時)に引き継がれる可能性もあり、そうなると劉全喜の権限を超えてしまうの
で、劉全喜は興味を失い、途中で頓挫してしまった。

漯河市衛生局のある「要員」によると、劉全喜は省直の衛生システム部門から、資
金20万元余りと設備を導入し、自分の妹に指示して、自分の田舎の県城に血液センター
を設立させた。旧漯河市衛生局の劉挙周局長(現河南省衛生庁副庁長)の支持の下、
あっという間に西平、上蔡、西華、許昌、太康、尉氏など6つの採血ポイントを発展さ
せた。これは劉家の血液センターであったから、彼らはやりたい放題で、無茶苦茶に
採血し、中には売血者を殴る行為も行われた。例えばかつて小新聞が追及した血頭記
事に対し、彼らは「お前たちが衛生庁に知らせても、俺たちは怖くない」と言った。

中牟県のある小血頭は裏を知らずに、尉氏劉家の血液センターから遠くないところで
非合法で血しょうを採集していた。買主の血頭が見つからなかったため、河南省血液
センターに行って買主を探そううとしたが、結果劉全喜によって当該センターの子分
のところに配属させられ、偽装した子分があれこれ駆け引きして、相手の弱みを握り、
功を立てようとあせる子分に連日連夜押しかけられ、安く買い叩かれてしまった。こ
の事件は劉全喜がその地位を確立する過程で起きたもので、劉全喜の「大血頭」とし
ての地位は彼自身で築いたものの、「ボス」としての地位は子分が彼のために築いた
ものである。

河南省は発達した省ではなく、沿海に依拠するでも、辺境に依拠するでもない。中原
の中心部そのものの省である。90年代初め、河南の経済と社会環境には広い範囲に及
ぶ麻薬や売春などの現象が発生する可能性はなかった。誰が一体、河南省衛生庁の一
人の高官の奇抜な金儲けの夢によって、彼らがたちまち死の淵へ突き落とされるなど
想像しただろうか?

もし商丘の鄭炳欽衛生局長が胡万休を重用したと誰かが言うとすれば、それは彼が素
人で医学のことに門外漢であったため、他人に愚弄された結果だとうことであり、事
情を知っている人は信じるかもしれない。もし劉全喜が最初からエイズを中原の男た
ちに広めようとしたといえば、必ずしも信じてもらえないだろう。劉全喜の問題は、
最初は金儲けに急ぎ、利に聡く知識がなく、夜郎自大で、河南にエイズはあり得ない
と考えていたことである。後、血液センターがコントロールを失い、問題が出たとき、
劉全喜は自分が責任を負うことと、劉家の内幕が暴露されることを恐れて、口に蓋を
し、上も下も欺いて、うそを言い、引延し戦術から報復まで手段を選ばなかったこと
で、これは量的変化から質的変化への過程である。

1995年、1996年、河南の最前線で働く医療従事者が当地でエイズの陽性患者を発見し
た。血液検査で実証するために、彼らは結果を上海、北京、南京、武漢に送った。検
査の結果、国の専門家はびっくりした。河南ではすでにエイズが深刻だったのだ。こ
れら専門家が河南へ実証に行ったとき、誰も彼らを農村に案内しようとしなかった。

ある医者は次ぎのように言った。「1995年、河南東部にある某都市近辺の、物資局と
衛生局が共同経営する血液センターで、売血者10人の血液を検査したところ、その内
3人にエイズウイルスの抗体陽性が見つかった。南方の某市へ送って、再検査したとこ
ろ、エイズウイルスに間違いなかった。当地の衛生局長に報告したところ、衛生局長
は逆に訓戒して『省衛生庁が血液センターを認可するには十分慎重を期している。エ
イズだなどとでたらめを言って、血液センターの収入を妨害するな』と言った。3人の
売血者は開封や柘城、商丘一帯で日常的に売血しており、血しょうが採集されていた。
これらの血しょうは通常、上海の大会社に売られていた」。

外地の専門家が河南に来てエイズの状況を調査するというニュースは劉全喜をびっく
りさせた。同時に彼は、彼の一方で富み一方で福を造出する、内は許認可に依拠し外
は血しょうに依拠するという政策の破綻を意識した。

曽毅院士が河南に来ると飲み食いで接待しまくり、オフィスのデスクには座らせない。
つまり最前線には触れさせない。衛生部にはそれはデマだったと報告させ、省政府に
は個人の憶測に耳を傾けるなと報告させる。そうしないと省の経済発展に影響する。
周口防疫センターのある医師が呼びかけに応じず、外地の専門家に情報と便宜を与え
ようとすると、劉全喜はその医者の仕事を奪ってしまった。

エイズの潜伏期間の長さが劉全喜を長持ちさせた。省の高級官僚は医学のことが分か
らず、このことも劉全喜に付け入る隙を与えた。当時は死人も出ておらず、表面的に
は問題なく、省の高官も深く追及はしたくなかった。

省防疫センターの2人の専門家が内幕を暴露した。

1996年、社会と専門家の圧力の下、河南省衛生局は「自ら」の力を発揮し、全省13県
に対し、売血者のエイズ重点検査を実施した。調査人員を6つのグループに分け、10万
人の献血者を調査した。秘密を守るため、劉全喜は参加者と調査者全員に、データを
交換せず、外部に情報を漏らさないよう要求した。各グループごとに報告させたが、
沈丘県の調査に参加したある人員は、「沈丘のデータは84%がエイズウイルス陽性だ
った」と語った。尉氏、西平、上蔡も深刻で、最低でも一つの県で67%であった。調
査の個別数字が明らかにされたことから、専門家は、当時河南省では少なくとも10万
人の売血者がエイズに感染していたと推測している。なぜなら河南は当時100万人近い
売血者を持っていたからである。また、劉全喜のためにエイズを隠した連中は、ほと
んどが劉全喜によって重用された。

外に対し、劉全喜は河南の一部でエイズが発見されたが、広がりは見せていないと宣
言した。また、劉全喜は一部でエイズ感染率は高いと報じられているが、これは調査
中の田舎の医者が標本サンプルを理解しておらず、陽性の標本1本を何本かに分けてし
まったためだと説明した。専門家は陽性標本1本を何本かに分けてしまうことなどあり
得ないと反駁した。

ある信頼できる消息筋によると、河南省衛生庁の党組織会議では、今回の調査結果を
めぐり、激しい論争が展開された。劉全喜は、今回のデータはどうしても公表しては
ならず、報告してもいけないと主張した。ある副庁長は報告すべきだと主張した。そ
こでこの副庁長は批判された。目下多くのことはこのようで、明らかに間違いと分か
っていても、実施されてしまう。

高継潔は河南中医学院一付院の産婦人科医で、退職後は性病についての研究に従事し
ている。最初、彼女は裏通りなどに貼られている性病広告について調査したが、調査
を進めるうち、彼女の調査に反対する主勢力はそれら人を騙して財をなすニセ医者で
はなく、彼女が元々自分を支持してくれるはずだと考えていた政府衛生部門、つまり
河南省衛生庁であることに気がついた。この屈強な老婦人はその小さな体で、彼女が
まだ知らない本当の敵に立ち向かった。彼女は頻繁に中央指導者や省の指導者に上書
した。また自分の見解や見方をマスコミに訴えた。わずかな退職金で宣伝資料を印刷
し、田舎のエイズ患者、特に子供や婦人を教育、社会やマスコミから賞賛された。彼
女はこれにより「民間のエイズ予防第一人者」の尊称を受け、中国内外の新聞、テレ
ビ、インターネットによって報道された。

高継潔は劉全喜の思惑を狂わせた。社会の圧力の下、血液市場の整理が始まった。劉
全喜は権力と金銭の面でまだ有利だと考えた。劉全喜はエイズの潜伏期間に、血液市
場を整理し、数年前河南にばら撒いた禍を覆い隠そうとした。国でエイズを問題にし
始めた時、河南の問題はそれほど目だっていなかった。

高継潔の叫びと大河報、鄭州晩報など何人かの記者の記事が、劉全喜をさらに高い政
治レベルでの騒音へと向かわせた。劉全喜は手下に指示して、高継潔やその家族に迫
害を加えた。また一定の人間関係を通じ、大河報の医療記者王熙衝を転属させた。19
98年末のある日、劉全喜は、大河報が河南のエイズに関する報道を近々掲載すると聞
きつけ、すぐに彼の手下である、新聞社と関係の深い韓××に命じ、8万元でその文
章を印刷前に大型の広告と取り替えてしまった。劉全喜はまた幾つかの不正な手段を
用い、河南で影響力のある新聞の医療記者を転属させてしまった。これらの記者は、
劉全喜の意図通りにエイズの状況を報道するなど考えてもいなかった。

1999年7月のある深夜、鄭州警察は鄭州から開封へ向かう途中で血しょうを運搬してい
た血液商人のグループを捕まえた。記者がニュースを聞きつけて、現場に赴くと、一
人の警官が記者に「これら犯人は、昨晩、全員逃亡した」と言った。本当に逃亡した
のか?密に調査した結果、ある警官がそっと「ある省公安庁の“要員”が犯人を釈放
するよう電話をかけてきたのだ。これらグループは男2人女2人の4人で、その内1人は
劉全喜の妹だった」と語った。記者はすぐその血液グループの拠点にかけつけたが、
すでにもぬけの殻だった。移転のスピードの速さは、通常の賊の能力ではなかった。
記者は再度この事件を処理した交番にかけつけたが、警官は「彼らは皆逃亡した」と
言うだけで、一点の「痕跡」すら残っていなかった。

河南農村のエイズ患者は益々増え、エイズは家族や子供にまで感染していった。北京
の幾つかの大病院では、外来エイズ患者のほとんどが河南からであることに気付いて
いた。患者の一部は彼らの身元を教えたがらなかったが、喋ると河南人特有の訛があ
ったし、その服装から見て、農民であることはすぐに分かった。中国科学院の曽毅院
士と北京の専門家は何度も河南の衛生担当官に、現地のエイズの状況に注意を払い、
エイズの予防治療ポイントを設置し、可能なら国が援助すると話した。劉全喜の答え
はノーであった。衛生部疾病規制主管のある司長は、ある非公式の会議上で、「河南
の劉全喜の話は内容がなく、ウソで、彼の口には本当のことがない」と言った。

劉全喜が高継潔や新聞記者と知恵比べをしているちょうどその時、武漢の桂希恩が中
原のこのど真ん中に足を踏み入れてきた。彼は彼の学生の招きに応じ、河南の上蔡県
で立会い診察を行った。ざっと河南を巡っただけで、この専門家は、河南農村のエイ
ズ感染率が60%以上に達していることに気付いた。彼の文章と資料は北京の上層部を
驚かせ、また河南省衛生庁の役人をも飛びあがらせた。

曽毅は院士であったけれど、1995年にはもう河南省のエイズについて関心を向け始め
ていた。当時の社会背景はこの科学の泰斗に実証を与えることはできず、また各方面
の支持やこの病魔の蔓延に対する適時のコントロールを引き起こさなかった。彼は当
時残念ながら留まることしかできなかった。河南では棺桶を見るまでは涙を流せない。
1999年桂希恩の秘密調査が曽毅の挫折を、高継潔の死を恐れず何度も農村へ出かけ、
患者と接触したその叫びを実証した。マスコミがやっと注目し始めた。

大河報、鄭州晩報、城市早報の何人かの記者が激怒した。彼らは匿名でエイズの文章
を大量に掲載、ある記者は高継潔の民間人によるエイズ予防運動は暗に河南省衛生庁
の怠慢を批判していると宣伝した。劉全喜は省委宣伝部を通じ、新聞社に圧力を加え、
この方面のニュースを封殺した。記者は外から河南を包囲し始めた。

外部からの強い批判により、河南省衛生庁は1999年と2000年の2回、小規模ながら人を
農村へ派遣して調査を行った。河南省防疫センターの匿名希望のある人員は次のよう
に述べた。駐馬店の上蔡県でサンプル調査を実施したとき、新聞で報じられているよ
りももっと深刻な状況であることが分かった。この県の城南ろ崗、邵店郷はさらに深
刻で、一家3人が死んだところもあった。ろ崗郷の文×村はかつてマスコミに何度も紹
介されている。邵店郷の状況はろ崗よりなお深刻で、この郷の十離×村に住んでいた
ある女性は、93年、94年の売血でエイズに感染し、最近は発熱で実際我慢できなくな
ったため首吊り自殺した。後には5歳と2歳の子供が残された。子供と子供の父親もエ
イズ陽性であった。さらに、当該県衛星局のある幹部はかつてホテルを経営していた
が、ホテルの一従業員にエイズが発見され、それ以来客がこのホテルに寄り付かなく
なり、この幹部はこのため大損をした。当地の人は、彼らのエイズは汝南県から伝染
してきたものだと言う。なぜならば、その地の売血と血液センターは彼らより早かっ
たから。この工作人員はくれぐれも情報提供したことを口外しないようにと頼んだ。

河南省衛生防疫センターのある専門家によると、河南のエイズは主に周口、駐馬店、
信陽、漯(サンズイに累)河、開封、商丘、南陽、許昌および平頂山など黄河以南
の地域で発生している。ここの農民は貧しく、人口密度が高く、自然資源が乏しいの
で、一部の農民は貧しさから抜け出すのに焦り、加えて血頭の誘惑があり、知らず知
らず死の淵へと跳び込んでしまったのだ。この専門家の見積もりによると、目下全省
のエイズ感染者は少なくとも50万人以上だが、彼は詳しい事情は話したくないと言っ
た。地理的に見て、エイズの深刻な発病地区は漯(サンズイに累)河近辺に集中し
ているが、これは劉全喜の親戚が経営する血液センターと関係するのではと、私が尋
ねると、それはあり得ないとの答えが返ってきたが、各地に血液センターが氾濫し、
操作も出鱈目なのが、エイズが河南南部で流行した大きな原因ではと考えられている。
河南北部の状況ははっきりしていない。

このところ高継潔は彼女に対する規制がこれまでと同じという状況の下で、何人かの
役人が彼女の家庭生活に熱心になり始めていることに気付いている。彼女の、そのか
つてずっと迫害を受けたと報じられた娘も一部役人の働きかけによって河南中医学院
一付院に勤務できるようになった。湖北の桂希恩教授も、河南が彼の調査を歓迎し、
資金援助するというニュースを受けた。条件は如何なる資料データも対外に公表しな
いというもので、河南省衛生部門は彼の口を塞ごうとしている。

実際、幸せな家もあれば不幸な家もある。若い後輩たちが劉全喜にくっついて出世し
ようとしているとき、河南省衛生部門の何人かの役人がB型肝炎、C型肝炎に罹って入
院した。おそらく彼自身でも、どうして感染したのかはっきり分からないだろう。か
つて陰性だった血液製剤が原因なのか?つまり彼らには感染が血液製剤に拠るものだ
と証明できる証拠があるが、果たして彼らはそれを口にすることができるだろうか?
誰か彼らに言わせることのできる者はいるだろうか?省人民病院高級幹部病棟のある
看護婦は言う。「この一年、劉全喜はしばしば入院している。高血圧とか、血糖値が
高いとか、しょっちゅう風邪を引いて力がない。医者が『庁長は生体の抵抗力が少し
低下しているので、アルブミンでも注射しましょう』と言うと、劉全喜の顔色が変わ
り、両手をふるわせ、声はしどろもどろになって『アルブミンは注射しない、アルブ
ミンは注射しない』 と繰り返す。彼らをからかう神様は本当にいるのだ」。

それら真面目な農民の死亡は人々に次のことを提示している。エイズの潜伏期間はす
でに発病の時期を迎えている。マスコミの報道により、劉全喜のエイズ「かさぶた」
は隠し切れなくなってきている。この農民に育てられた子供は、農民に害を与え、同
時に都市住民の生命の安全をも脅かしている。結局のところ、この血案はどれだけの
人の健康に影響するのだろう。おそらく懸案となる。大都市のある高級役人がある日
突然エイズに罹った。彼は血しょう剤から製造した栄養剤を使用したのか、それとも
娼婦から感染させられたのか、誰も分からない。このような庁長が人口の最も多い省
の人民の健康を握っていることが、最も懸念され、心配される点なのだ。


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