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◆日銀とメディアの友好関係
こんなこともあった。二〇〇〇年三月と四月に、わたしはある大手出版社の月刊誌の編集者と経済ジャーナリストのインタビューを受けた。二人はカメラマンをともなって現われ、インタビューを録音した。インタビューの際に、わたしはのちに『円の支配者』で公表した重要なディテールの大半を説明した。編集者とジャーナリストは専門的な内容をよく理解した。彼らはわたしの説がいかに衝撃的であるかをよく承知し、みるからに興奮していた。
これはすごい記事になります、波紋を呼ぶでしょう、と二人は言った。このインタビュー記事はその月刊誌の二〇〇〇年五月号に掲載されるはずだった。発行期日がきて、五月号がわたしのもとに届いた。もちろん出版社は慣例どおり執筆者に雑誌を送ったのだ。ところが五月号を開いても、わたしのインタビューは載っていなかった。
わたしはすみからすみまで何度も探し、それから不思議に思って編集者に電話した。編集者は明らかにとても困惑し、口ごもりながら記事が掲載されなかったことを詫びるだけだった。なぜ掲載されなかったか、彼は説明しなかった。出版社としてはわたしの記事が掲載されていない五月号を送るというのは非常に体裁の悪いことだから、記事の削除はぎりぎりになって決まったにちがいない。翌日、大手デパートを通じて高価な菓子折りがわたしのオフィスに届けられた。しかし、インタビュー記事はついに掲載されずじまいだった。
その理由はわからないが、わたしとしては何らかの判断が陰で働いたと感じざるを得なかった。わたしがインタビューされ、そのときは担当編集者も強い印象を受けたかに見えたのに、結局その記事は発表されないという出来事は、ほかにも何度かあった。明らかに日銀のメディアヘの触手は非常に広い範囲に伸びているらしい。
この結果、ジャーナリストたちの手によって日銀を守る沈黙の壁が築かれてきた。客観的で批判的なジャーナリズムと専門職としての倫理はどうなったのか:…。こうして、.わたしが一.九八○年代の日銀の窓口指導に関する論文を発表してから、わたし自身の著書を通じてその内容が公表されるまでに、三年の年月がかかった。幸い日本にはまだ、たとえ論議を呼ぶものであろうと真実を語ることを恐れない、ほんとうに独立した出版社があった。
もちろん話はこれで終わったわけではない。いくつかのテレビ局からゴールデンタイムのトークショーや議論のゲストに呼びたいという連絡があった。何度かは準備会議にも出席した。だが結局、『円の支配者』についてのテレビ・インタビューは実現しなかった。あるテレビ局の局員の説明によると、上のほうの誰かが、わたしは「異論の多すぎる」人物で、日銀の問題は「微妙すぎる」と考えたのだという。
◆マネーが政財界を動かす 目銀と経済同友会
もうひとつ、日銀のプリンスが権力をふるうもっと直接的な方法がある。一九四六年から五四年まで日銀総裁だった一万田尚登が、どの企業に資金を提供して生き延びさせ、どの企業への新規融資を打ち切るかを自由に決めていたとき以来、プリンスたちはどのくらいのマネーを創出して誰に渡すかを決定する権限を通じて、引き続き経済に直接的な影響力を行使してきた。
このマネーの流れはジャーナリストの仕事にも影響する。ジャーナリストといえどもほとんどは企業の社員にすぎない。上司が禁ずれば福井を批判することはできない。上司が許さなければ、テレビ・ジャーナリストは批判的なゲストをゴールデンタイム の番組に呼ぶことはできない。そして、これらの上司が心配するのは大株主がどう考えるかであり、マスメディアの主要な収入源が何を望むかである。つまり広告スペースやコマーシャル時問を買ってくれる大企業の意向だ。
ではそのビッグ.ビジネスのボスの最優力侯補は誰か?これは秘密でもなんでもない大企業の幹部の組織である経済同友会は、つねに福井俊彦に好意的だった。これも意外でもなんでもない。彼自身がその幹部の一人だからである。しかも彼の師である元日銀プリンスたちは全員が経済同友会の上級メンバーだったのだ。
このつながりは三重野康の前任者である前川春雄(一九七四年から八四年まで金融政策を支配)、佐々木直(一九六二年から七四年まで金融政策を支配)までさかのぼる。佐々木は七〇年代に経済同友会代表幹事として画期的なレポートを作成し、そのなかで日本経済の構造改革を提唱した。
◆小泉は日銀プリンスの操り人形
政治家でさえも中央銀行のプリンスたちに率いられた日本の「ビッグ.ビジネスと金融の複合体」を無視できないことは、驚くにはあたらない。マネーがあれば、支持 を買える。援助者やスタッフを雇える。何よりも、マネーがあればメディアの支持も獲得できる。政治家が批判も質問もなしに異口同音に福井総裁の任命に賛同したのは、それほど不思議ではない。
旧ソ連の議会が議論もせずに議案を通したのと同じで、日,本の議員にも指示されたときに指示されたとおりに挙手するほかに選択肢がないのだというふうに見える。小泉でさえ対抗する術がないように見える。それどころか、実際には因果関係は逆なのかもしれない。小泉が首相になれたのは九〇年代の長い不景気のおかげで、もっと伝統的な政権や政治家が落ち目になったからだった。
小泉が提唱する徹底した構造改革が人々の耳に聞き入れられたのも、日本の景気低迷が十年に及んだからだった。だがその景気低迷は日銀によって人工的につくられたものだった。それだけでなく、小泉のアイデア自体が新しいものではない。「構造改革なくして景気回復なし」という文句は、ほとんどそっくり前川レポートから拝借してきたものだが、前川レポートは日銀のプリンスたち、前川春雄と三重野康が作成した政策文書で、日本の戦後経済構造の解体を求めていた。
さらにこのレポートは日銀プリンスである佐々木がすでに七〇年代に発表した佐々木レポートの焼き直しだった。したがって小 泉は、日銀プリンスとその後援者が演じるマネーゲームの操り人形だということになる。そうであれば、小泉が福井を任命せざるを得なかったのも不思議ではない。
◆企業安楽死計画 日銀の略奪的融資の総仕上げ
二〇〇三年前半、日本の株式市場が弱かったのは、銀行や一部の大規模債務者に対する政府の政策がはっきりしないためだった。とくに市場は、金融担当大臣に任命された竹中平蔵と日銀の斥侯である木村剛を含むアドバイザーたちに懸念を抱いている。
一九九〇年以来、二〇万二〇〇〇件の破産(主として中小企業)と五〇〇万人以上の失業(公式には三四〇万人)、そしてかなりのデフレをもたらした日本の長期不況の主な「解決策」として木村が提唱したのは、大企業を閉鎖させることだった。木村の「危ない会社三〇社リスト」にあげられた大企業のなかには利益を出している企業もある。だが、同時に銀行に多額の債務を負っており、通常は価値の下落した不動産を 担保としている。
木村は税金を使って銀行を買収し、このリストの企業のプラグを抜くことを提案した。このプランは筋が通らない。@納税者に他人の過ちの償いをさせる理由はなく、これはモラル・ハザードを引き起こす。A不良債権問題には、もっと効率的でコストの低い解決方法がある。たとえば、日銀が不良債権を額面価格で購入するのもそのひとっだ。B倒産が増加すれば、消費者心理も需要も冷え込む。
事実、木村のプランは、元日銀マンで現在はコンサルタント会杜で働く木村が、外国、主としてアメリカのハゲタカ・ファンドの手先となって働いているのではないか、と仮定した場合にだけ、納得できる。ハゲタカ・ファンドが日本で経験している問題は、アジア金融危機以後の韓国とは違って日本では大型倒産の数が依然として限られている、ということなのだ。日銀の信用創造が途絶えて命運を絶たれた多くの零細企業は、ハゲタカ・ファンドにとってはとくに嬉しい獲物ではない。
これらの倒産企業を二束三文で買い叩けば儲けにはなるが、やたらと手間がかかるだろうし、ハゲタカ・ファンドはそんな手間をかける気はない。彼らが最大の利益をあげるために望むのは大型倒産だ。大型倒産で少数の専門家チームが巨額の利益を生みだすことなのである。十年に及ぶ日銀不況にもかかわらず、日本のシステムは持ちこたえており、日銀とその友人たちのハゲタカ・ファンドをがっかりさせている。大企業の死骸の数は依然として限られているからだ。
ここで、「ドクター・デス」木村剛の企業安楽死計画が登場する。彼は、「ゾンビー企業が日本の金融システムにのしかかって、景気回復を阻んでいる」と主張し、「フィナンシャル・タイムズ」がさっそく、その言葉を紹介した。これらの企業は「死なせてやる」べきだ、というのだ(「フィナンシャル・タイムズ」二〇〇二年十月十八日付。ホラー映画のゾンビーの愛らしい写真付き)。
ジャーナリストたちは、お人好しの日本企業が日本の銀行の「略奪的融資」の餌食になったことに言及するのは忘れているが、この略奪的融資は、一九八○年代に窓口指導で信用をコントロールした日銀が仕掛けたものだ。このような略奪的融資は現在、アメリカで問題になっていて、シティグループは最近、略奪的融資を実施したかどで規制当局に罰則を科されている。
略奪的融資とは、高利、あるいは高利のうえに、相手にマイホームなどの資産はあっても返済能力がないことを承知で融資することだ。略奪的融資の目的は過大な(通常は元金の何倍もの)返済額を引き出すことだけでなく、同時に担保実行を強制して資産を奪うことである。言い換えれば誰かの資産を略奪することが目的で、融資はそのための手段なのだ。
二〇〇〇年、二〇〇一年にアメリカでは略奪的融資の行きすぎにメディアが注目し、州と合衆国の立法当局がこのような最悪の融資を禁ずるための法改正に動いている。しかし日本政府の誰も、過去、とりわけ一九八○年代から九〇年代前半にこのような融資の犠牲になり、現在では倒産に直面して外国のハゲタカ・ファンドに資産を投売りするはめになっている多くの零細企業や大企業を援助しようという動きを見せていない。この略奪的融資は日銀の仕業だから、日銀が今度は政策として担保実行を目指すのは、とにかく行動としては一貫している。
◆不安を珊す市場
これだけではまだ足りないというように、木村は昨年九月、もうひとつの輝かしい銀行危機解決プランを提案して識者を驚かせた。いままで銀行は繰り延べ税金資産を (原則として現金が支払い済みなので)中核的自己資本に算入することを認められていた。木村はこの方法を禁ずるべきであると言う。なぜか?これを禁止すれば銀行の資本状況はさらに悪化し、銀行危機と経済危機がさらに進行する。
この時点で、自民党の政治家が阻止に立ち上がった。木村の「問題解決」に任せておいては景気回復はあり得ないと気づいたのだ。そこで、自民党の政治家は木村の不良債権問題「解決」プランを阻んだ。このために不確実性がさらに増大して、市場は不安に陥った。
実際、日銀派(福井、竹中、木村、小泉)と経済重視派の政治家の対立による膠着状態が起これば、日銀が再びマネー・カードを切って、システムから資金をひきあげるかもしれない。日銀にはこの方法で政治家を脅す能力があるから過去十年の実績から見て、日銀はこのカードを使ってさらなる危機を創出することをためらわないだろう。株式市場は後退したのだ。 (P54−P65)
リチャード・ヴェルナー著 「不景気が終わらない本当の理由」より
(私のコメント)
自民党総裁選をにらんで株式市場が賑わっている。小泉再選を支援するものと言う見方もあれば、ポスト小泉を当て込んでの政策転換を見ての買いだとも見える。しかし実際の今回の株価の高騰は、福井日銀総裁のドル買い介入による資金供給が原因であるとの見方が真実だ。さらには日本市場においても短期債券市場において一兆円もの資金供給を行っている。
このように日銀は、景気のコントロール手段を持っていることが証明された。リチャード・ヴェルナー氏は「円の支配者で」その事を告発した。しかしながら日本のエコノミストの多くは、ヴェルナー氏の本を「とんでも本」として非難攻撃した。経済雑誌の多くは無視するか、批判的にヴェルナー氏の本を取り上げた。その一例として吉崎達彦氏のサイトには以下の通り酷評している。
日商岩井総研 吉崎達彦氏の「円の支配者」の書評
http://tameike.net/books/shihaisha.htm
テレビで見かける多くのエコノミストや経済評論家たちは、日銀のマスコミ対策のエージェントに過ぎない。彼らの経歴を見ればアメリカのシンクタンクや大学の留学経験を持ち、彼らのコネによって日本の大学教授やシンクタンクの研究員として採用されて、各方面にネットワークを築いている。アメリカや日銀の「よいしょ記事」さえ書いていれば、彼らはテレビにも出られるし、本も出せるし、日本各地の講演会にも引っ張りだこだ。
その反面、日銀に批判的なリチャード・ヴェルナー氏や、アメリカの経済政策を批判している副島隆彦氏など、著書の出版実績など申し分ないのにテレビのゴールデンタイムの報道番組には、日銀などのマスコミコントロールによって出ることは許されない。日本は民主主義国家であるにもかかわらず、目に見えない検閲制度が引かれているのだ。
一番不思議でならないのは、日本の財界人の経済政策に対する態度だ。特にトヨタの奥田会長の発言には、はたして彼は日本人なのかと疑うほどだ。もはやトヨタやソニーなどの大企業は日本の企業と言うよりアメリカ企業というべきなのだろう。このような日本人の顔をしたアメリカ人が日本の経済界を支配している。そのボス的存在が福井日銀総裁だ。
日本国憲法によれば日本の最高権力者は内閣総理大臣でなければならないはずだ。しかしながら実際の最高権力者は日銀の福井総裁なのだ。小泉首相もってしても福井氏を総裁に指名せざるをえないシステムが出来上がっているのだ。もし彼以外の人物を選んでいれば、小泉首相は親米財界人の支持を失い失脚する。
長年に及ぶ日本の経済の不振をよそに、トヨタやソニーといった多国籍企業は勝ち組としてますます繁栄している。彼らはアメリカ市場を失いたくないばかりに日本経済を犠牲にしているのだ。アメリカにしてみればソニーやトヨタの工場や流通店舗を没収することは朝飯前だ。アメリカはすでにイランやイラクの資産凍結をした実績がある。だからアメリカに進出した企業は人質にとられたと同じ意味を持つ。
もしイランやイラクが核を搭載した大陸間弾道弾をもっていたら、アメリカは資産凍結をすることが出来ただろうか。出来るはずがない。だから本気で日本の国益を考えれば日本も核ミサイルを持つべきなのだ。そうしなければアメリカは資産没収や石油や食料の禁輸で脅しをかけてくる。それに対抗出来なければ独立国家とはいえない。
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu53.htm