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情報革命の破綻 [ル・モンド・ディプロマティーク]
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投稿者 あっしら 日時 2003 年 8 月 04 日 20:07:07:Mo7ApAlflbQ6s


ダン・シラー(Dan Schiller)
イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校教授
訳・佐藤健彦


 アメリカの電気通信業界では、過去20年間に数十の企業が倒産した。2002年10月には通信機器最大手のルーセント・テクノロジーが10期(四半期)連続で赤字となり、膨大な損失を計上した。2002年8月の時点ですでに50万人を超えた人員解雇は今もなお続いており、1996年以降に生み出された分を上回る雇用が破壊された。

 他の地域の状況もアメリカよりましだとは言い難い。ヨーロッパでは、バイアテルやKPNクエストのような企業の倒産を見てもわかるように、電気通信市場が縮小しつつある。株式時価総額は2000年3月から2002年11月の間に7000億ドル以上も目減りし、大手7社の負債総額は「ベルギーの国民総生産の規模を超えた」(1)。ドイツテレコムが最近発表した負債額はドイツ史上最大となり、フランステレコムでも財政状況は、巨額の(そして物議をかもした)公金投入によってかろうじて救われた始末だった。世界的に事業を展開する野心的な日本企業、NTTドコモの株式時価総額は、2000年2月から2002年12月の間に1800億ドル減少した。

 このような事態にいたるまでの経緯、そして今後の見通しを検討してみたい。かなり最近まで、電気通信は伝統的に独占事業とされ、企業間競争はこの制度の下では稀な例外でしかなかった。驚くべきことに、アメリカの規制機関の中には、競争など「破滅的」で「浪費のもと」だとして非難するものさえあった(2)。独占の方法や形態は様々だった。アメリカでは長いこと、国家による業界の規制が、全米最大の電話会社AT&Tの政治力や経済力と密接に結びついていた。ヨーロッパでは、かつて植民地経営のために電気通信網が重要視されていたこともあり、国家主導経済の伝統に沿って郵電省が設置されていた。

 第二次世界大戦後、ソ連流の社会主義の「封じ込め」を目指したアメリカは、共産主義の脅威に対する砦として、電気通信産業の強化を急いだ。米軍占領下のドイツと日本では、電気通信制度が(予想されたように)民間事業としてではなく、かつての郵電省のような省庁の設置という形で復興された。

 独立を果たしたアジア、アフリカ、そしてラテンアメリカの多くの国では、それまで外国の利益に奉仕させられていた電気通信事業が、政府の歳入源となる公営独占事業に転換された。1946年のアルゼンチン、49年の中国、また40年から72年にかけてのメキシコのように事情は様々に異なっていたが、反帝民族主義という世界的な流れの中で、電気通信事業の公営化が進められた。カストロ時代のキューバや、アジェンデ時代のチリでは、主権国家の確立を象徴する行為として、国内市場をアメリカ企業に委ねていた事業特許を破棄した。アメリカはこのことをいまだに許してはいない。

 こうして電気通信は活動範囲を明確に規定された産業となり、その事業方式は厳しい統制を受けるようになっていった。しかし、これらの独占体制が各国を通じて同じように機能したわけではない。20世紀後半、自由主義世界の先進国では、電話会社が段階的な料金引き下げによって家庭の電話加入を促進するとともに、労働組合に守られた給料の良い雇用を作り出した。後進国の事態はまったく異なっていた。アジア、アフリカそしてラテンアメリカでは、電話料金は高いままで、通信網も都市部を除いては十分に整備されなかった。中流家庭では長いこと加入を待たされる場合も多く、接続料や加入料は容易に払える金額ではなかった。その反面、国家が事業を独占した結果、少なからぬ国で、労働協約によって守られた比較的安定した雇用が生み出された。インドやブラジルで見られたように、郵電省が輸入に代わる経済刺激策として働く場合もあった。

 しかし、50年代の終わりともなると、電気通信制度にも来るべき変化の予兆が見え始めるようになった。60年代には、独占体制の抜本的な見直しに通じる考え方が広まっていく。アメリカで68年に民主党のジョンソン大統領の下、通信政策委員会が設置されたことは、180度の方向転換を示すものだった。「競争」が電気通信分野の公式政策となったのだ(3)。その後の政権は全て、民主党か共和党かに関係なく、電気通信産業では規制は例外にとどめるという方針を堅持した。以来数十年にわたり、この分野の規制に関与してきた両党の政治家は、電気通信の自由化の先陣を切ったのは自分たちであると、事あるごとに自慢してきた。

 これらの変化は、きわめて強力かつ組織的な勢力によって推し進められてきた。需要の面では、連邦政府が数十年にわたって国防目的で電子工学、航空宇宙学、情報工学の分野に投じてきた予算が、インターネットを含めた様々な新しい情報ネットワーク管理・情報処理技術の開発資金となった。こうしてIBMやゼネラル・エレクトリックなどの有力企業が、電気通信機器・サービス市場でAT&Tに対抗する構えを見せた。

 需要の点から考えると、この分野の独占を揺るがす上で、それ以上に重要な役割を果たすことになるのが、通信ネットワーク機器・サービスの企業ユーザーだった。かなり早い段階から、大手通信会社のユーザー企業は結束を強めて、「分野不問」の独占体制を攻撃した。事業展開のためには通信ネットワークのシステムやサービスに依存せざるを得ないから、使用料が高すぎ、提供サービスの専門分化が進まない現状では、急速な成長は望めなくなってしまうというのが彼らの言い分だった。

巨額の投資

 70年代になって世界的な収益減に直面した大企業ユーザーは、独占を解体し、通信ネットワーク・システムの開発を営利事業とすることを求めるようになる。彼らは政策決定者たちに対し、やや回りくどい方法ながらも、アメリカは見過ごすべきではない好機を前にしているのだとほのめかした。それは資本蓄積プロセスの新たな拡大期を意味していた。
 アメリカの政策決定者たちは、市場参入の自由化および有力ユーザー向けのシステムとサービスの急速な構築を金科玉条として、数千の大企業、その経営部門と技術部門、またハイテク通信ネットワークのサービス事業者やシステム事業者に強大な権限を与えた。

 続く35年間で、アメリカの電気通信制度の発展は、その方向性においても特徴においても抜本的に見直されることになる。大学研究者や実業界のアナリストが高らかに「情報革命」を謳う一方で、ますます高まるネットワークへの投資意欲に支えられて、新興企業による市場発展の新たなサイクルが始動した。企業や軍による投資は加速し、電気通信を基盤とするハイテク革命が広がった(4)。

 他方では、農業から工業まで、小売からサービスまで、あらゆる部門の大企業に、組織や技術上の変化が起こった。90年に発表された報告によると、電気通信のユーザー企業上位100社の年間支出は「2000万ドルから10億ドルにわたり、平均支出額は5000万ドルから1億ドルの範囲であった」(5)。1989年の大口ユーザー企業10社にはゼネラルモーターズ、ゼネラル・エレクトリック、シティコープ、IBM、アメリカン・エキスプレス、ウェスティングハウス、マクドネル・ダグラス、シアーズ、フォード、ボーイングが名を連ね、ネットワークが様々に応用されるようになったことを示している(6)。投資額もまた巨額になった。ブームの最盛期だった2000年には、電気通信へのアメリカ企業の支出額は2580億ドルに上った(7)。

 コンピューター処理の予約システム、電子送金、チケットの自動発行、間断なき在庫管理、コンピュータ支援設計、テレマーケティング、小売業者のフリーダイヤル、政府機関、医療サービス・保険業など、応用分野も多様化した。電子戦場や情報戦争を構想する軍産複合体の戦略立案者たちは、「キラー・アプリケーション」に多大な関心を示している。

 ネットワーク・サービスは仕事だけでなく、家庭をも侵略しつつある。2002年アメリカでは、電話勧誘が日に1億400万件もあり、テレマーケティング分野の年間売上総額は6000億ドルに上った。デジタル資本主義は、その日常の営みをますますネットワークに頼るようになり、行政から教育、バイオテクノロジーにいたるまで、増加する一方の情報集約的部門に市場メカニズムを導入しようとする。

 電気通信の大口消費者が主に多国籍企業であることから、アメリカ流のモデルを広めようとする圧力が急激に高まっている(8)。アメリカ政府だけでなく、世界銀行、国際通貨基金(IMF)その他の大規模組織もまた、ひたすら自由化を推進しようとする。アメリカの有力集団が足場を固めるにつれて、彼らのやり方が二国間交渉、アメリカの貿易法制、多国間イニシアティブに影響を及ぼすようになった。

 しかし、国家横断的ネットワーク資本主義が真に地球規模となるのは、ソ連式社会主義の崩壊と中国の資本主義への転向など、1980年代の終わりから90年代に世界的な大変化が起きてからだ。それに続き、国際的なM&Aの嵐が巻き起こった。その総額は87年の1000億ドル足らずから、2000年には11兆4000億ドルにまで増大した(9)。M&Aによる資本の再編により、それまで国単位で統合されていた市場と生産システムは、「企業が享受する市場がますます地球規模となるような財とサービスの世界市場(・・・)と国際的な生産システム」に変貌した(10)。この多国籍化はネットワークに依存すると同時に、企業に新たな技術革新の波を引き起こし、ネットワークの発展を促している。

 電気通信産業にこれほどの激変が起きたのは史上初めてのことである。1984年から99年にかけ、世界的に公有資産の大規模な売却が進められる中で、電気通信事業の民営化収入は2240億ドルに上った。99年までに、国際電気通信連合(ITU)の189の加盟国のほぼ半数が、完全あるいは部分的な民営化を実施した。18カ国では完全に民営化し、30カ国ではそうする方針だった。電気通信事業の民営化が多国籍企業の地域市場への進出を促すために組織されたことは明らかである。

 こうして、「国家的大企業」によって運営されていた統合ネットワークが、規模の点でもサービスの多様性という点でも、多国籍企業に凌駕される事態が生まれた。結果として、会計、人事、在庫管理、営業、マーケティング、研究開発など、単純業務を含めた企業の業務で、通信事業者とユーザー企業はますますネットワークを統合するようになった。ネットワークのシステムとサービスに革命を起こした巨大企業は、国境を越えた市場で活動する余地を手に入れ、情報の商品化を通じてさらに市場を発展させた。

 巨額の投資がこのデジタル資本主義に生産基盤と支配機構、つまり国境を越えて組織され、増え続ける事業者によって担われるネットワークを提供することになった。90年代を通じて、金融市場は既存あるいは新規の事業者からの資金需要に積極的に応じた。一群の新興企業は低コストの融資を受けて、多種多様なテクノロジーを使った広大なネットワークを築き上げ、AT&T、ワールドコム、スプリントなどの巨大企業もそれに追随した。大都市の金融街を相互に結びつける複数の競合ネットワークが、毎年数十億ドルを費やして構築されていった。

瓦解の足音

 事業分野を問わず、企業自身もまた自社の独自システムの拡張や更新に必要な機材とソフトに数十億ドルを投資した。90年代後半にアメリカの、次いで世界的な経済成長を支えたのが、通信ネットワークへの投資だったことは確かである。これにより、情報伝送能力の飛躍的な増大が起こった。その主役は、きわめて収益性の高い大容量バックボーンであり、また急激に普及したインターネットだった。大都市圏相互や大都市圏内、さらに大陸間のバックボーンでも、既存ネットワークの通信容量は新しいシステムによって著しく増大した。
 こうした展開は、数年間にわたって経済・金融ジャーナリズムを魅了してきたが、理想化すべきではない。市場システムのネットワーク化の真の効果は、このシステムに結びついた実体経済と同じく矛盾に満ちている。数々の電子雑貨が生まれ、とりわけアッパー・ミドルクラスの投資家が証券取引で多大な利益を上げる中で、真面目な政治的反論は抑えつけられてしまっていた。しかしながら、90年代の終わりともなると、このシステムの脆さが目につくようになってきた。筆者は98年、ワールドコムによるMCIの公開株式買付(TBO)に関して経済政策研究所(EPI)に提出した報告の中で、特に経済的な観点から「MCIワールドコム合併は犯してはならない過ち」であったと予測していた(11)。その後の事実は、この失敗がやがて瓦解に変わり、しかも打撃を受けたのがこれら2社にとどまらなかったことを示している。

 瓦解の原因は、90年代中頃に起こった4つの出来事に遡る。96年のアメリカ電気通信法、97年の世界貿易機構(WTO)の多国間電気通信協定、インターネットの爆発的発展、そして97-98年のアジア金融危機に対してアメリカが見せた反応の4つである。

 アメリカ電気通信法は、同一市場での地域事業者と全国事業者の競争条件を固定することで自由化を強化した。同法は通信業界全体にM&Aの波を巻き起こし、企業は関連市場で足場を築きつつ、ライバルの機先を制しようと懸命になった。

 WTOの多国間電気通信協定は、この部門の国内事業者の協調を図るものであり、69の締約国に対し、多国間の紛争解決システムによって裏打ちされた一連の義務の遵守を課した。この協定により、ネットワーク機器・サービス市場への参入条件が世界的に統一された。2000年初頭には、外資系企業が自社の保有・管理するネットワークを使って国際電話サービスを提供することを認める国が25カ国に及んだ。

 こうして新たな投資対象が生まれた。最近民営化された電話会社の株式や、自社事業あるいは合弁事業での国内ネットワークや国際ネットワークの構築プロジェクトなどだ。経済成長が緩慢だった数十年間が終わり、世界中いたるところで回線網の近代化と拡張が進められ、電話の台数は爆発的に増加した。携帯電話はわずか10年の間に数千万台から10億台に増えた。

 競争もまた激化した。携帯電話会社、地域あるいは国際規模の電話会社、インターネット電話のプロバイダーのいずれもが、新しいネットワークや外国市場に投資することで、最大の市場シェアを取ろうとしのぎを削った。イギリスの大手携帯電話会社ボーダフォンは、自社株の高値を利用して総額3000億ドルの買収を実行し、世界29カ国に数百万の顧客を得た。ヨーロッパ全域では、フランステレコムやドイツテレコムのように最近民営化された歴史的事業者が、国内市場で携帯電話の事業免許を得るため、また外国市場に投資するために借入を行い、そこに自社の命運を賭けた。フランステレコムが1999年から2000年に買収に投じた費用は880億ユーロに上る。それに比べると、日本のNTTドコモが外国の携帯電話市場に投資した150億ドルも多額とは思えないほどだ。

 そして、インターネットの目覚ましい発展が、通信業界の乱戦模様にさらに拍車をかけた。「インターネット戦略」が必要だというのが、各社経営陣の流行のスローガンとなった。通信業界だけでなく、あらゆる業界で、金に糸目をつけず、目的を問わず、とにかくインターネットに投資することが、安易に戦略としてまかり通った。そして、インターネットの奔流を捌くべき電気通信インフラの開発という名目で、目のくらむような新規の巨額投資が正当化された。アメリカでは地域電話会社の設備投資が1996年から2000年の間に倍増し、約1000億ドルに達した。技術の進歩がネットワークの通信容量を100倍に増やし、さらに投資熱をかき立てた。あまりに増えすぎた通信事業者は、なおも追加の投資を呼びかけつつ、ますます競争的になった環境の中で戦略的な地位を強化することに自社の存在意義があるのだと訴え続けている。

 さらに、一見すると電気通信部門の破綻を促すことになる問題とは無関係に見えるマクロ経済の動きがある。1997年から98年にアジアを揺さぶった金融危機への対応として、アメリカは金融緩和政策に踏み切った。こうしてアメリカは金融化された資本主義の「獣心」を解き放った。すでに過熱していた証券市場は燃え上がり、なかでもネットワーク企業がその寵児となる。過去数年間の投資家主導時代に引き続き、これらの企業にはドル、円、マルク、ポンド、フランなど様々な通貨が投資されるようになった。すさまじい激動が起こるのは時間の問題だった。それは新しいテクノロジーに関連した株の暴落へといたることになる。

 そのような事態の中で、きわめつけに恥知らずな誇大宣伝が、慧眼としてまかり通るようになった。通信容量への需要は倍々ゲームで伸びると発表することが当然となり、技術の進歩と投機に押されて国際ネットワークの容量は5年間で500倍に増大した。しかし十分予想できたように、そこには需要が伴わなかった。

公的な措置

 この頃から、多くのアメリカ企業の財務責任者が投資家や株主を安心させるため、帳簿を不正操作し始めた。一番ひどい例であるワールドコムの場合は、利益を90億ドル以上も水増ししたと思われる。このような脆弱な財務体質が電気通信業界全体を侵している。その筆頭が、ネオリベラリズムの拠点たるアメリカである。インサイダー取引、会計詐欺、企業の財務状況を管理する銀行担当者と当の企業の投資担当者との癒着、その他いろいろな形での経営陣の横領や汚職。こうしたことが、アメリカの政策決定者から批判され続けてきた日本と同じくらい、アメリカを蝕んでいるのだ。
 広義の電気通信関連部門の中でこの事態を無傷で乗り越えられる企業はなく、競争は今や共食い状態に変わりつつある。ルーセント、ノーテル、アルカテルなどの大手機器メーカーでは、新興企業に投資することで売上げを伸ばしていたものもあり、収入の激減を見ることになった。インターネットの「配管」メーカーとして、黒字決算を維持しているシスコでさえ、売上げの減少と株価の下落を免れることはできなかった。地域レベルでは、数十の通信サービス会社が倒産している。アメリカでは既存の地域電話会社によって管理される回線の数が、1929年から33年の大恐慌以来はじめて減少に転じた。

 これらの企業は、子会社が手がける携帯電話サービスの顧客が固定電話の利用をやめ、また同時に2回線を用いることなしに大容量を享受できるADSLサービスを売り出したという点で、実際には自らの首を絞めたことになる。無線電話のサービス会社とメーカーは2001年1月以来、株式時価総額の65%(8500億ドル)を失ったという。1990年代にインフラストラクチャーの未曾有の発展を見せ、世界最大の国内ネットワークを持つようになった中国ですら、市場の飽和が懸念されている。

 10年間にわたり潤沢な資金にどっぷりと漬かってきた電気通信業界は、突如として資金源を失ってしまった。過去には無謀な投資に走っていた民間の投資家は、今では不信感を募らせている。この業界は不安定にすぎる、有り体に言えば変動が激しすぎると見られているのだ。株価の暴落があろうとなかろうと、個人も企業も通信手段を必要とすることに変わりはないから安定した需要があるといっても、慢性的に過剰設備を抱え、熾烈な競争が展開されているというのは致命的である。電気通信業界の再編が、地球規模で起こりつつある。破産に追い込まれたグローバル・クロッシングは、香港系企業ハチソン・ワンポアとシンガポール・テクノロジーズ・テレメディアに身売りすることになっている。ただし規制当局の許可はまだ下りていない。資産の売却額は2億5000万ドルとされ、グローバル・クロッシングが200億ドルを投じた光ファイバー・ネットワークの価値は100分の1にしか見積もられなかった。

 このような大混乱の中でも、「競争」という公式の看板が降ろされる気配はない。しかし、コンピューター・ユーザーの視点から見れば、自由化はいくつかの重要な点で無残な失敗に終わったと言える。

 電話サービスの料金は、多くの国で不公平なものになった。長距離電話の料金が安くなったことで、大口ユーザー企業や中流の加入者は利益を得たが、市内通話は相変わらず割高である。発展途上国では、90年代に顕著だった回線拡張の動きが急に止まり、数百万の人々が加入契約を反故にされた。新興企業によって作り出された雇用には、労働協約による権利保護の枠外に置かれたものが増えている。ハイテク「搾取工場」と化したコールセンターでは、おそろしく安い賃金で数百万人が働いている。

 サービスの質が低下した例も多い。自由化以前はわずかな地位しか占めていなかった広告に、業界全体が頼るようになってきている。その上、それぞれの企業がライバル企業と同じような職種と管理体制を作り上げることにならざるを得なかった。管理と営業に多大なコストがかけられたが、こうしたコストは概して高すぎ、競争が激化するにつれてユーザーと納税者に転嫁されるようになった。こうした競争の規制には膨大なコストがかかり、規制当局が制度の持続的な運用を可能にするようなルールを設けようと努めたのは、言うまでもないことだ。

 電気通信業界の構造問題を軽減すべく、抜本的な変化が進められつつある。大容量インターネットの展開を加速するための政府措置、経営困難に陥っている企業への公的支援(これが合併のゴーサインとなることは確実である)などが議論されている。さらに、痛手を負った電気通信業界に対し、「テロ対策」と「治安」を大義名分とした統制が強化されようとしている。政策立案者たちは、これらの措置を組み合わせて実施すれば、過剰状態の通信ネットワークを減少させ、使用料を引き上げ、投資家を呼び戻すことができると決めてかかっている。つまり、この業界を救うために個人、納税者、そしてサラリーマンたちが協賛を求められているのだ。

 この目論見はうまくいくだろうか。サービスの質が落ち、個人向けの料金が上がり、従業員が雇用不安と解雇に脅える一方で、多国籍企業や軍が利用する通信ネットワークは発展する。こんな状態が無限に続くのだろうか。この流れを変えるには、世論が結束していくしかない。しかし、社会の上から闘争心を煽り立てるムードを押しつけられている現状を見る限り、そのような見込みはまだ薄いと言わざるを得ない。

(1) Financial Times, 26 November 2002.
(2) Henk Brands and Evan T. Leo, The Law and Regulation of Telecommunications Carriers, Artech House, Boston, 1999.
(3) Final report of the Task Force on Communications Policy, Washington, 1968.
(4) ダン・シラー「日常を侵食する商品広告」(ル・モンド・ディプロマティーク2001年5月号)、「世界のメディア商品の現状」(同2002年5月号)参照。
(5) US Congress, Office of Technological Assessment, Critical Connections : Communications for the Future, Washington, January 1990.
(6) Ibid
(7) 商務省発表のデータを元にして計算した金額。
(8) Dan Schiller, Telematics and Government, Ablex, Norwood, 1982.
(9) UNCTAD, World Investment Report 2000. Cross-border Mergers and Acquisitions and Development, United Nations, New-York, 2000.
(10) Ibid
(11) Dan Schiller, Bad Deal of the Century, Economic Policy Institute, Washington, 1998.

(2003年7月号)
All rights reserved, 2003, Le Monde diplomatique + Sato Takehiko + Saito Kagumi

http://www.diplo.jp/articles03/0307-5.html

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