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2003年6月27日 金曜日
◆日本のデフレ教訓に利下げ FRBの追加利下げ決定
【ロンドン26日共同】米連邦準備制度理事会(FRB)は、金融政策を小出しにしてデフレを根付かせた日本の失敗を教訓に、予防的な利下げを継続的に実施する政策を採用した−。26日付の英紙フィナンシャル・タイムズは、FRBの追加利下げ決定の背景をこう報じた。
同紙によると、昨年初めからのFRB内での研究の結果、日銀のデフレ対策は当時、経済専門家らの間で支配的だった考えに基づいており、同じ問題に直面したら他国の中央銀行も同様の政策を取っていただろうとの「不快な結論」が出た。
同紙は、デフレから抜け出せなくなり初めて、もっと迅速で思い切った利下げをする必要があったことが明らかになった、と指摘した。
(共同通信)[6月26日11時31分更新]
◆ミニバブルを作った日銀の佐々木直総裁の謎
(前略)
先に、ニクソン・ショック後の日本の外為市場は、ヨ−ロッパ各国の外為市場がすべて閉鎖されている中で、一人6日から27日まで、引き続き開かれ、しかも1ドル=360円レ−トでドルを買い支えたことを述べた。
「これは明らかに日本政府の大きな政策ミスであり、なぜこのような愚行がまかりとおったかは、戦後日本経済史最大の“謎”である」(『日本経済の構造と行動』)
このため、わずか10日間ほどの間に約46億ドルもの外貨が一挙に日本に流入し、円との交換を要求したのである。何故か。円レ−トが切り上がれば、ドル貨を一度円貨にかえて、再びドル貨に転換するだけで、ドル勘定において多額の差益を生むからである。
この時の日銀総裁だったのが、第22代日銀総裁(昭和44年12月17日から昭和49年12月16日)佐々木直である。
系図13を見て欲しい。佐々木直の長男は氏家家から嫁を貰っているが、氏家家は石川家と姻戚関係にあり、石川家は鹿島建設の鹿島家と、鹿島家はベンツの梁瀬家と姻戚関係にある。ヤナセ自動車の元社長、梁瀬長太郎はフリーメーソンである。この系図にはまた、フリーメーソンの下条康麿の名も見える。するとこの日本への外資の大量流入は、やはりフリーメーソンの陰謀だったことになりはしないだろうか。
この外資の大量流入が、土地と株式のバブルを生んだのである。昭和46(1971)年になって、日銀海外資産が3.68兆円も急増した。これは、ほぼ100億ドル以上の外貨の急増に見合うものだ。ニクソン・ショック後の日本経済は、そのマネ−・サプライを外貨増大分だけ一挙に膨張させて、国内の資金をダブつかせた。しかもこの過剰な資金は大部分日銀から直接企業の手に入ったものだ。何故なら、外貨を入手し、それを円レ−トの切上げがある前に円貨と交換すべく迫ったのが商社およびメ−カ−であり、また、商社および輸出メ−カ−は、円レ−トの引き上げを見込んで、積極的に輸出代金の先取り(リ−ズ)の形式で、大量のドルを国内に持ち込んだからである。
昭和46年度の日本経済は不況であった。実質成長率は5.8%で、昭和40(1965)年以来の低さであった。過剰な手許現金を入手した企業と商社は、この不況下で設備投資意欲はわかない。そこで、次に銀行からの借入金の返済を考えたが、取引銀行の圧力が強くて、その抵抗を押してまで返済することは出来ず、取り合えず銀行預金にした。借金の返済に向けられなかった企業や商社の預金の増加分は、ほとんど法人による土地買いおよび株式買いの資金に向けられた。
当時、政府は不況対策のため、金利を引き下げ財政を拡大したが、企業の設備投資は増加せず、むしろ株価引き上げのきっかけを作ってしまった。
この法人の株式買いは、不況下にもかかわらず、株式市場を活発化させた。昭和47年2月末に東証ダウ3000円突破、途中ポンド・ショックで暴落したが、8月には4000円台に上昇し、12月に5000円台の大台に乗せた。これは、ダウ式平均株価の高さそのものにおいて新記録であるばかりか、上昇幅、上昇率においても証券市場空前の画期的な大記録といわれている。
土地も値上がりした。昭和47(1972)年6月11日、通産大臣の田中角栄が『日本列島改造論』を発表すると、この前後から地価が急騰しはじめた。昭和46年度の年間地価上昇率は12.8%であったが、47年4月から9月までの半年間だけで8.4%の上昇率を示した。同じ半年間の六大都市の地価上昇率も、10.3%を記録している。それは、46年10月から47年3月までの半年間が6%であったことから明らかなように、急騰は4月以降生じたものといえる。
『日本列島改造論』に触発されて、土地買いに走ったのは、不動産業者、私鉄、建設会社をはじめ繊維、銀行、保険、非鉄金属などあらゆる業種の企業に及んだが、とりわけすさまじかったのは商社の土地買いであった。
『日本列島改造論』は、昭和60(1985)年に日本のGNPの水準を304兆円(1ドル=308円レ−トで換算すると約1兆ドル)に高めることを目標として、基幹資源産業(コンビナ−ト)を北東地域(苫小牧東部、むつ小川原町、秋田湾など)と西南地域(周防灘、山口、福岡、大分、志布志湾など)に、造船重機械流通加工型コンビナ−トを臨海地域(橘湾、宿毛湾、金武湾など)に、そして内陸型工業を農村地帯に配置して、「過密・過疎の同時解消」を企図したものである。
この書物は、その中に指定された地域の土地は、今買い占めても将来値上がりすること確実であるという安心感を企業に植え付けた。日本の会社は一丸となって、不動産業に手を着けた。田中角栄は財界の支持を受けて総理となり、『日本列島改造論』は、日本列島の土地の先物買いのバイブルとして、ベストセラ−になった。 (後略)
三菱こそフリーメーソンの牙城だ 「亡国日本の悲しみ」:http://www.asyura.com/0306/dispute11/msg/606.html
FRBの追加利下げのニュースを見ると明らかに、日本の中央銀行のバブル後の金融政策に誤りがあったことを指摘している。当時は三重野総裁でしたが、インフレファイターとして登場して、マスコミも平成の鬼平と持ち上げた。しかし政界や経済界からは非難が浴びせられた。
しかしFRBのグリーンスパン議長は、市場を良く知っているだけに、インフレよりもデフレのほうが怖いことを良く知っている。歴代の日銀総裁に言える事は市場というものを良く知らないということだ。22代日銀のプリンスこと佐々木直総裁も市場のことを知らなかった。世界中の外為市場が閉鎖されているにもかかわらず、日本だけは開け続けた。
昨日の「株式日記」でも書いたように、幕末において金銀の交換レートの歪を突いて、外人たちは大儲けをした。幕末の役人達が世間知らずで無能なために、日本の国富が失われた。その悪しき習慣は戦後になっても改まらず、日銀の佐々木直バカ総裁は世界中のドルを買い支えた。現在でも福井日銀バカ総裁は5月の一ヶ月だけでも4兆円もドルを買い支えた。
以前に書いたことですがバブル崩壊後だけでも700兆円もの日本国の富がアメリカに移動した計算が成り立っている。つまり日本の公的債務の668兆円がそっくりアメリカに渡ったという事なのだ。海外へ流出してしまった日本の富は二度と戻ってきはしない。日本の政治家や大蔵省、日銀官僚が無能なばかりに、日本国民はウサギ小屋に生活することを強いられている。
田中角栄首相の「日本列島改造論」は基本政策としては間違いではなかったと思う。しかしそれに伴う諸政策が間違っていたために、地価の高騰が独走してしまった。大蔵省の土地税制はデタラメであったし、日銀の金融の引き締めと緩和のタイミングはデタラメであった。
日本の役人と言うものは何故幕末以来同じ間違いをしでかすのだろう。世界的な金融資本家から見れば赤子の手をひねるように騙され続けている。それに気がつかず小泉首相を支持し続けている国民にも責任があるのだろう。昨日述べたように国会議員を総入れ替えをして、自民党政権を倒すぐらいの覚悟がいるだろう。
その国会は共産党幹部の筆坂議員がセクハラで辞職したり、裏献金疑惑の坂井議員がミニスカ政策秘書と愛人関係にあったり、山崎自民党幹事長の変態プレイなど乱れまくっている。この事だけでも国会議員を総入れ替えする必要があるだろう。そうしなければCIAにそのような情報はつかまれているから、アメリカの言いなりにならざるを得ないのだ。