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トルコは1529年のウイーン包囲に見られるように欧州の直接の脅威で
したが1571年レパント沖の開戦でウイーンとハプスブルク家の連合艦隊にやられ
て地中海を制覇していたトルコ艦隊はかなり勢力を削がれます。よってこれ以後
がハプスブルク家の世界支配の開始であります。
ジェノバの長期金利が1.125%の最低値を付けたのが1618年でそれは日の没するこ
との無い帝国ハプスブルク家の没落を導く30年戦争の始まりでした。
そのハプスブルク家の欧州支配が崩れて各国国国民国家が成立するきっかけにな
るのが30年戦争(神聖ローマ帝国を舞台に1618年から1648年まで続いた政治・宗教戦争)
です。
1627年にハプスブルク家が破産宣告して資金提供していたジェノバが破綻したの
です。
30年戦争(1618-1648)
ドイツのカトリック・プロテスタント両派諸侯の内戦として始まり、プロテスタ
ント信徒保護を名目とするデンマーク・スウェーデンの干渉、反ハプスブルグの
フランスの直接介入で、オランダ・イギリス・スペインもそれぞれ両派につき、
国際戦争化した。ウェストファリア条約で終戦となった。皇帝派が勝利したもの
の、ドイツは皇帝権の弱化で、領邦が事実上独立し分裂が長く続き、戦場となっ
た国土の荒廃が甚だしく、近代化が著しく遅れた。
ウェストファリア条約(1648)
30年戦争の講和条約。ドイツのウェストファリア地方のミュンスターとオスナ
ブリュックの2市で講和会議が開かれた。運営方式と条約内容から、近代国際会
議の始まりといわれる。内容は、アウグスブルグ宗教和議の確認とカルヴァン派
の承認、スイス・オランダの独立の国際的公認、ドイツ領の削減、帝国議会へのフ
ランス・スウェーデン代表の出席・議決権の承認など。フランス=ブルボン家の両
ハプスブルグ家に対する全面的優位の確立であった。
このように長期な戦争は, 近代では17世紀の30年戦争, 18世紀から19世紀にかけ
てのナポレオン戦争という前例があるだけである。 このように戦争が長期にわた
って執拗に戦われたのは, 戦争が利害の争いでなくて思想の争いになったからで
ある (30年戦争は宗教戦争であったが, 17世紀には思想とは宗教のことであった)。
参考
http://www.asyura.com/2002/war14/msg/616.html