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(回答先: 「誰かが支出しない限り、他の誰かの所得は生じない」◆マンデヴィルと経済学の源流◆(関岡正弘) 投稿者 TORA 日時 2003 年 6 月 23 日 10:14:21)
そうなのか?
では例えば、10年前のGNPが450兆円だったとする。
で、今のGnpが500兆円だったとする。
一方で貨幣数量説の関係からMV=PTが成り立つ。
GNPは単純に考えれば、PT=価格×量に相当する。
ではお金はどうか。
支出とはお金の使用でありましょう。とするならば、MV=通貨量×回転数で、Vに当たりませんか?
こう考えると、450兆円から500兆円の増加はどこでもたらされたのでしょうか?
支出がない限り、所得は生じないというのなら、Vの増加ですね?
じゃMは変化しないんですか?
Mが変化しなければ、Vが増加するしかない。しかし経済学は一般にVは安定だとするんですね。(しかもTも一定であると主張する。だからMの増加はPの増加というデタラメになる)
確かに誰かの支出は誰かの所得になるのが、市場メカニズムの原則です。では、消費であれ、投資であれ支出は同等なんですか?
問題は、この誰かの支出が負債由来である場合です。この破綻こそバブルとその崩壊の問題の原因。
支出でなくて、通貨を外生的に供給すれば、それは所得になりえます。
分りやすく例を挙げれば、金本位制における金の新規発掘です。これはVの増加ではなく、Mの増加です。
デフレのとき、Mを合意の上で増加させる、それのどこがいけないのかな?強制的な富の移転や債務の増加や通貨価値の下落ではなく、価値安定かつ所得としての通貨の創造。
そこがどうもわからない。どのくらい供給するかというのが議論対象になるのは分かるんだが、どうして富の移転だとか、使用期限付きの通貨の使用とか、貯蓄課税とか主張するのかさっぱり分からん。成長するためには、必要通貨量は増加する、MVの関係から考えれば、Vは安定的であるべきだから、Mこそが増加するべきである、変化に対する緩衝も考えてMには余剰が必要であるとどうして考えられないのか。全く謎である。もっと楽していいんじゃない?デフレなんだから。