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2003/6/18 No.188 週刊メールジャーナル 読者数12117人(前回)
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りそなショックの本質が読めないマスメディアの不勉強
竹中大臣は金融システム改革の当て馬にすぎない
金融ジャーナリスト 斎藤 裕
りそな銀行に対する巨額な公的資金の投入はなぜ行われたのか。
どのマスメディアも、監査法人による突然の方針決定がりそなの足を引っ張
ったとか、金融庁による銀行への圧力があったとかなかったとか、あるいわ小
泉首相の経済政策に対する抵抗勢力による権力闘争の仕掛けだとか、そんな視
点からの報道ばかりに熱を上げている。
もちろん、りそなの国有化事件を、政局に利用しようとする有象無象が、さ
まざまの陰謀説を振りまいているのも事実だし、謀略めいた仕掛けの話題が人
口に膾炙するのも、この国のマスメディアの性癖ゆえであろう。
だが、こうした視点からだけでは、本当は、何が起こっているのか、ことの
本質は理解できないはずだ。
どのマスメディアも、単なる興味本位でしか記事を作っていない。この国の
金融システムをどのような形にしようとして、どの勢力が実権を振るっている
のか、ことの本質にたいする追求心をまるで持とうとしていない。
今回の事件では、生保危機を誘発することを恐れて、株主責任を誰にもとら
せようとしなかったといったような重要な問題点は残してはいるが、問題の本
質は、金融庁の描く、日本の金融システムの将来ビジョンが着々と進んでいる
という点にあるのだ。
◆りそなショックは金融システム将来ビジョンの一里塚にすぎない
この、金融システムの将来ビジョンについては、なぜか、どのマスメディア
も真正面から取り上げようとしていない。
りそな問題と金融の将来ビジョンとのかかわりについて、何らの評価も加え
ず、ノータッチでいるのは、あまりにも鈍感だ。あるいわ、マスメディアの不
勉強ぶりを疑わざるをえない。
自分の国の金融システムはどうあるべきか、いまどうなろうとしているのか、
国民が無関心ではおられないはずだが、そこをミスリードするようでは、もは
やマスメディアは、ジャーナリズムではないと言わざるをえない。
この国の金融ビジョンは、昨年の金融審議会答申「中長期に展望した我が国
金融システムの将来ビジョン」に描かれている。
ここで描かれているのは、大銀行を中心にした金融システムは温存しつつ、
これまでのような融資中心で、そのリスクのほとんどを銀行が抱えることにな
る産業金融のシステムから、市場型金融システムに改革しようという発想だ。
この点は、実は抵抗勢力も同じ方向を志向しているといってもいい。ただ、
りそなショックの問題では、この将来ビジョンへの導入プロセスや責任問題を
めぐって、これを政局の材料にしようとしているに過ぎないのだ。(マスメデ
ィアはその謀略に乗せられて振り回されているだけだ)
◆竹中大臣は米国流金融システムづくりの傀儡にすぎない
例えば、金融審答申では、収益力を高めるためにはリスクに応じた利ざやを
取りなさいといっている。つまり、リスク評価が市場で決まる仕組みの導入を
説いているのだ。
こうした市場型金融が最も発展しているのが米国。これと同じシステムを日
本にも作ろうとしているわけだ。
その狙いは、1400兆円の個人金融資産を産業金融システムに取り込むこ
とにある。
つまり郵貯や銀行の窓口を使い、「自己責任原則」を宣伝しつつ、リターン
が変動する商品である国債、社債、投信といった金融商品を、積極的に買わせ
ようとの腹だ。
この中心になるのが4大メガバンク。
この「将来ビジョン」のシナリオは、米国の強い要請で描かれておりこれを
進めているのが金融庁。
米国信奉者である竹中は、将来ビジョンへの移行・改革で旧大蔵省、現金融
庁の責任問題を起こさない限りは、使い勝手のいい駒だといえる。
小泉首相にとっても、金融問題で何らかの責任問題が発生した場合には、簡
単に首を切ることのできる便利な存在なのだ。
◆この国の個人金融資産が財政失政の救済に利用される?
こうした点では、こんどのりそな銀行への公的資金導入は「金融危機への予
防対応」と竹中が言いくるめ、金融庁へ飛び火する事態を防ぐのに成功した。
しかも金融庁は、今後どうにでも使うことのできる「国営・りそなバンク」
を手に入れたわけだ。
その使い道としては、今後、オーバーバンキングの名目で行う、地銀、信金、
信組といった中小金融機関の再編・統合の受け皿にするつもりだろう。
いま、地銀などは、自己資本比率とリスク管理の恫喝で、金融庁の顔色をう
かがわざるをえない立場に追い込まれている。
金融庁(金融審)の要望するリスク管理を導入すれば、地域経済が破滅する
のは目に見えている。
今後も起きるであろう金融界の“変事”の本質をみるポイントは「市場化」だ。
市場化とは、銀行のリスクを最小限にして、金融資産を動かすことで収益を
得る仕組み。
しかも、市場化を進めることで、財政難という財務省の最も頭の痛いテーマ
も個人金融資産を取り込むことによって回避できる。
日銀が、ドル介入(ドル債購入)しなくても、米国への資金供給をし易くす
るシステムになる。
週刊誌では、新紙幣発行を契機に資産(預金)凍結がされるーーなどと騒い
でいるが、そうした劇薬を使わずとも、一般大衆が知らず知らずのうちに金融
資産が吸い上げられる仕組みが着々と進んでいるのだ。
りそな銀行は、こうした4大メガバンク中心の金融システム改造のシナリオ
からはずされたともいえる。
<編集後記>
(執筆者紹介)
齋藤 裕(さいとう ひろし)
1947年生まれ。通信社で銀行、証券といった金融分野を担当したのちに
独立。フリーランサーとして週刊誌、月刊誌などに執筆、評論活動をやってい
る。信条は様々に変化する事象の中で何が本質かを見抜くこと