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JAPAN 日本経済
Middle Class Blues
中流なき階級社会の暗い影
デフレの進展で
リストラがさらに加速
大卒のホワイトカラーさえ
貧困に怯える時代が来た
千葉香代子
日本が泥沼の不況にあえいでいるというのは、バブル景気の酔いからさめない日本人の過剰な自己憐憫ではないか。東京の人気スポットのにぎわいを見て、そう感じる人がいてもおかしくはない。
丸の内や汐留、六本木の真新しいビルには、流行のショップやレストランを目当てにした客が日夜詰めかけている。銀座や表参道には、欧米の高級ブランドが次々とメガストアを出店している。
もちろん、そうした光景は見かけの繁栄にすぎない面もある。高層ビルの完成ラッシュは、一方でオフィスの供給過剰という深刻な問題を生んでいる。低金利を背景に活況を呈する首都圏のマンション市場でも、目立たない形ではあるが、異変が起きている。
ある不動産会社によれば、4000万円を超えるマンションが1〜2年前から売れなくなった。最近まで売れ筋は4200万〜4400万円だったが、今は3000万円台でないと売れ残る。顧客の主力である大企業のサラリーマンの所得が減っているせいではないかと、この会社は分析している。
解約率も6%から7%に上昇した。購入を決めてから入居までは通常1年ほどかかるが、その間に給料が減ってローンを組めなくなるケースが増えている。大手電機メーカーが相次いで大規模なリストラを行ったころから、そうした傾向が顕著になった。
1極化した階級社会へ
その一方、専有面積140〜160平方メートルで価格は1億〜2億円という、一昔前なら「外国人規格」とみなされそうなマンションが売れ筋になりつつあるという。医師や弁護士、ネット長者などの高額所得者のほか、富裕な高齢者が相続税対策で購入する場合も多い。
売れるのは安いものと高いものばかりという、購買層の2極化。それが意味するものは、単なる景気の沈滞ではない。戦後の経済成長を支えた「1億総中流時代」の終焉と、国民の大多数が貧困層への転落の恐怖にさらされる「1極化した階級社会」の出現だ。
資産デフレから物価デフレ、賃金デフレへと病状が悪化する経済。グローバル化やIT化による産業構造の変化。それらが社会の均質さを失わせ、持てる者と持たざる者を冷酷に選別しつつある。
りそなホールディングスへの公的資金注入は、銀行がいよいよ崖っぷちに追い込まれつつあることを実感させた。春闘では、過去最高益を更新中のトヨタ自動車がベアゼロと定昇廃止に踏み切った。
2003年がさらなる倒産や雇用不安の幕開けだとすれば、中流層の崩壊がさらに加速する可能性もある。それは、サラリーマンの「中流意識」に支えられた日本経済を根底から揺るがしかねない。
中流層の崩壊自体は、今に始まったことではない。91年にバブル 経済が崩壊すると、高卒者の就職難や低賃金のパート労働の拡大、中小企業の倒産などが中流層をじわじわと侵食しはじめた。
それでも、中流層の大部分を占める大卒のホワイトカラーは比較的安泰だった。なかでも大企業の男性正社員とその地位についてくる生涯の生活保障は、そう簡単に揺らぐものではないと思われた。
それが崩れはじめたのは、消費税が5%に増税され、北海道拓殖銀行や山一証券が破綻した97年。追い詰められた企業は、相次いで終身雇用や「生活保障給」的な給与体系を見直しはじめた。
人件費を圧縮しつつ、優秀な社員のやる気を引き出すために成果主義で給与に差をつける。そこでは、給与が下がる社員のほうが圧倒的に多い。その多くは、生活水準の切り下げを余儀なくされる。
大卒の「高卒化」が進む
「年収300万円の時代が本当に来るかもしれない」と言うのは、東京の旅行代理店で働く45歳の営業マン。大学を出て就職した今の会社でリストラも免れて頑張ってきたが、昨年の年収は520万円。同時多発テロの影響で460万円に下がった一昨年よりは回復したが、それでも9年前の水準だ。
約400万円の手取り年収の半分は、バブル期に買ったマンションのローンに消える。コンサートや映画にも行かなくなった。
妻は、近く産休が明けて仕事に復帰する。子供を保育園に預けると年100万円もかかることがわかり、地方から両親に出てきてもらった。60平方メートル、3LDKのマンションに3世代の5人が同居する。「狭いし、家族の間で衝突もあるが、専業主婦でいたい嫁さんだったら生活できなかった」と、この営業マンは言う。
妻が働かなくてもマイホームや最新型の車や家電製品が買えて、子供に良い教育も受けさせてやれる。それが中流感覚だったとすれば、大卒というだけではそれを容易に実現できなくなりつつある。
これまで大卒者が占めていた地位は、MBA(Master of Business Administration:経営学修士号)をもつ社員や弁護士などの専門職に取って代わられる。「大卒の『高卒化』が始まっている」と、階層研究を専門とする東京大学の盛山和夫教授(社会学)は言う。「大卒に与えられていた人生の保障のようなものは、たぶんもうない」
大卒ホワイトカラーの賃金格差の拡大は、90年代末から40代以上で目立ちはじめた。格差の水準はバブル期のほうが大きかったが、当時は収入が増えるなかでの格差拡大だった。
「いま起きているのは収入が減ることもあるなかでの格差拡大、失業不安さえあるなかでの格差拡大だ。ショックははるかに大きい」と、大阪大学の大竹文雄教授(労働経済学)は言う。
大手電機メーカーで事業戦略を担当する45歳の男性は、アメリカでMBAを取得し、年上の上司を何人も追い抜いて部長に昇格したエリート社員。だが赤字決算で給与は10%減り、部長昇格後の最初のボーナスも減ったという。
手取り年収は960万円だが、住宅ローンと3人の子供をかかえて家計は苦しいと、この男性の妻は言う。「引き落としの際に残高不足になるのが怖くて、月1万円の積み立て定期預金も解約した。ユニクロでも2000円を切る特売品しか買わないし、贅沢なことは何もしていないのに」
消費者も「負け組」に転落
パソコンの値崩れやユニクロブームなど、デフレが物価面にとどまっていたうちは、消費者はむしろ「勝ち組」だった。価格の下落で実質所得は増えていたからだ。
だが、ここへきて「いよいよ所得発のデフレが始まったかもしれない」と、中流層の崩壊を前提に日本株を運用している米系投資信託のファンドマネジャーは言う。「以前は、中流が半分ずつ勝ち組と負け組に分かれる2極化をイメージしていた。だが最近は、一握りの勝ち組を除いて多くが下へ落ちる『1極化』のイメージだ」
とはいえ、30年以上も総中流時代が続いた日本で、そんな極端な階層移動が本当に起きるのか。
日本の不況は、「ゴールデン・リセッション」とも呼ばれる。持ち家があれば親と住むこともできるし、子供の借金を親が肩代わりする余裕も残っている。所得減の影響も住宅ローンや子供の有無によって異なり、中流層全体がいきなり貧困化するわけではない。
デフレだけが雇用の流動化を促しているわけでもない。低学歴の生産労働者は、グローバル化によって途上国の低賃金労働者と職を奪い合わなくてはならなくなった。ITを使いこなせるかどうかによる格差も広がった。真っ先に影響を受けたのが高卒の労働者や中小企業で、それが大企業の大卒の社員にも及びはじめたにすぎない。
ファミレスは貧困層の店に
だが、所得や賃金のデフレが中流層を直撃しはじめた兆候はあちこちにある。いわゆる「パラサイト・シングル」など、消費のリード役とされてきた20代、30代女性の動向も微妙だ。
百貨店の三越では、顧客に高齢の高所得者が多い東京・日本橋本店の売り上げは比較的好調だが、若い女性客が多い銀座店は不振。高級ブランドも、バッグ中心のブランドが売り上げを伸ばし続ける一方で、単価が高い宝飾品が中心のブランドは落ち込むなど、優劣がはっきりしはじめている。
中流層の崩壊は、他の多くの企業の命運も左右しかねない。中流層の所得が減れば、マンションでも居酒屋でも客単価が安いところが潤うことになる。
逆に深刻な影響を受けるのが、外食産業など中流のライフスタイルを前提に成長を果たしてきた業界だ。「セルフサービスで値段を下げているファミリーレストランなどは、いずれアメリカにあるような貧困層向けの店になるのではないか」と、米系投資信託のファンドマネジャーは言う。
実際、戦後の日本とアメリカは同じジレンマをかかえていると、ボストン大学のメリー・ホワイト教授(社会学)は言う。かつてのイギリスでは、労働者階級であることに誇りをもつ人々がいた。対照的にアメリカでは、人々が誇りに思える階層は「成功者」という一つしかなくなった。
「今の日本はアメリカ型。取り残された、割を食ったと感じている人が多いと思う」と、ホワイトは言う。「大量消費社会では、とりわけつらいことだ」
勝敗は「立地」で決まる
さらに問題なのは、日本はアメリカに比べて階層間の移動が少ないことだ。94年から同じ世帯の所得変動を追跡調査している慶応大学の樋口美雄教授(労働経済学)によれば、日本では所得階層が下の人はそこにとどまるかさらに下がることが多く、上の人がさらに上がることも減っているという。
ある年に所得が減っても次の年に挽回するといった階層間の移動は、アメリカより少ない。しかも日本では学歴によって所得階層が決まり、それが固定化する傾向が強まっている。
そうした状況におかれた日本のホワイトカラーにとって、中流から上と下のどちらへ移れるかはどこで決まるのか。UFJ総合研究所の山崎元・主任研究員は、二つのポイントを指摘する。
一つは、店に例えれば立地条件のようなもの。同じ世界チャンピオンでも、テニスと卓球では獲得する賞金に大きな差がある。どちらも偉業ではあるのに、お金がよく回るところにいるかどうかで差がつくこともある。
もう一つは、わずかな能力差。野球で打率3割の打者と2割7分の打者では、生産性は1割しか違わない。だが3割打者は2億円の年俸をもらえるのに、2割7分の選手は2000万円だったり、リストラされるかもしれない。4番打者は1人いれば十分だからだ。
その背景には、グローバル競争の激化がある。「全世界で通用するスターは莫大な富を手にするが、地元でしか人気のないスターは普通のサラリーマン並みにしか稼げない。そんな時代になるかもしれない」と、山崎は言う。
そもそも、日本が「総中流」の均一社会だというのは幻想にすぎないという指摘もある。実際、日本人の所得格差は高度成長を経て75年ごろまでは急激に縮小したが、そこからはほぼ横ばいだ。
だが戦後の経済にとって重要だったのは、実態はともかく、国民の大半が自分を中流とみなしてきたことだ。日本の中流意識は「自分も頑張れば隣と同じかよりよいモノが買える、だから競争に参加しよう」という心理だったと、精神科医の和田秀樹は言う。
日本も「普通の国」になる
背伸びをしてでも新製品を買う消費者が多かったからこそ、ウォークマンのような製品をいち早く開発し、短期間に普及させて価格を下げることができた。魅力的な製品は外国の中流層も魅了し、輸出も伸びた。中流層が「自分は中流ではない」と考えれば、そうした循環はストップしかねない。
一方で、雇用の流動化や成果主義の導入はグローバルな競争力を培うチャンスだという見方もある。問題は、大卒のホワイトカラーがそこで発奮するかどうかだ。
大阪大学の大竹は、天気予報の降水確率を見て傘を持っていく比率から、職業階層別の「安定志向度」を調べたことがある。大企業の男性サラリーマンは、自営業者や女性と比べて、傘を持っていく割合が高かった。それだけ安定志向が強いということだ。
「安定しているからこそ大企業に入った人がかなり多いと思う」と、大竹は言う。「雇用や所得が不安定になったとき、それに耐えきれない人がそこに集中している」
総中流をコネとは無縁の平等社会とみなすか、既得権益にこだわる横並び社会とみなすかで、格差のある社会を受け入れるかどうかは変わってくる。市民の間にも、政界や財界の指導層にもまだコンセンサスらしきものはない。
社会全体の底上げが進んだ日本では、所得格差の拡大は必ずしも生活格差の拡大につながらないという見方もある。
「持てる者同士の格差だから、欧米のように階層によって行く店も話す言葉も違うということにはならないのではないか」と、博報堂生活総合研究所の林光主席研究員は言う。「買えるか買えないかというより、買うか買わないかの問題。好きな服は70万円でも買うけど、昼食は牛丼ですませるとか」
確かなのは、自分が金持ちなのか貧乏人なのかを意識しなくてもすむ時代が終わりつつあるということだ。それこそまさに、日本が世界の中で「異質」でなくなったことの証しかもしれない。
中流が半分ずつ
勝ち組と負け組に
分かれるというより
大半が下へ落ちる
1極化のイメージだ
国民の大多数が
中流意識を失えば
消費の大市場が消え
海外での競争力も
脅かしかねない
ニューズウィーク日本版
2003年6月11日号 P.16
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