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「時の記念日に想う日本経済の流れ」
経済調査部門 主任研究員 石川達哉
1.10年単位で見た過去50年の日本経済の流れ
6月10日は時の記念日である。宮中に漏刻(水時計)が設置され、時が告げられるようになった天智10年4月25日、西暦で言えば671年6月10日に起源があるとされている。そして、文部省によって設立された「生活改善同盟」が人々に時間を尊重する意識を高めてもらおうという願いから、記念日として定めたのが1920(大正9)年のことである。
変化の激しい現代に生きる我々にとっては、時間の大切さを改めて説かれる必要はないかもしれない。むしろ、刻々の時の流れの中で色々な雑事に忙殺され、大きな流れの中で物事のありようを見極める心の余裕がなくなっていることを戒めるべきであろう。人の一生は短いようで長い。一国経済の「興亡と盛衰」を呑み込んでしまうに十分な長さかもしれない。
前置きが長くなってしまったが、今回のテーマは、長期的な視点で見た日本経済の流れである。
(1)高度経済成長と第1次石油危機
2003年を基点として過去50年間の日本経済の推移を遡ると、偶然の符合か、節目となる年が10年間隔で存在する。
50年前の1953年は、多くの経済指標の点で、戦前の経済活動水準を回復し、凌駕した年である。そして、神武、岩戸、いざなぎと続く好景気の前夜の年に当たる。すなわち、戦後復興を終え、高度経済成長に向けた助走が始まったのがこの時期である。そうした認識は数年後に確固たるものとなり、1956年度経済白書が「もはや戦後ではない」という名文句を残すことになる。消費ブームが到来した1953年においては、生産に続いて、一人当たりの消費水準が戦前の実績を上回るようになったのである。また、現在の国民経済計算体系の先輩格に当たる初の国民所得統計が公表されたのもこの年である。
その国民経済計算統計で見たとき、今となっては信じられないほど高い実質経済成長率を続けていたのが、1973年までの20年間である。時計の針を1953年から10年進めた1963年は高度経済成長の真っ只中にあり、日本のOECD加盟が承認されている。晴れて先進国倶楽部の正会員になったというところである。高成長による税収増加が当たり前だったこの時期は、建設国債も赤字国債も発行せずに財政支出を賄うことができていた。
その10年後の1973年とは、変動相場制に移行した年であり、第1次石油危機を迎える年である。日の出の勢いを続けていた日本が初めて迎えた挫折の経験であり、人々が高度経済成長時代の終焉を認識した曲がり角と言えるであろう。過剰流動性を背景に国内要因で物価が上昇していたところへ原油価格の急騰という外的ショックが加わったのである。
翌1974年は戦後初めてマイナス成長になるとともに、「狂乱物価」が生じた。消費者物価上昇率は一時26%にも達し、金融引き締めでこれが沈静化すると、今度は景気の落ち込みが深刻化した。政府は財政支出を拡大し、その財源手当てや税収減の落ち込み分を賄うため、国債の大量発行が始まった。赤字国債の発行は、早くもこの年から毎年のこととなったのである。
(2)構造転換とバブルの生成・崩壊
だが、驚くべきことに、10年後の1983年には財政再建が本格的に進められているのである。1980年を財政再建元年と位置づけ、国家予算における一般歳出に関して、1982年にゼロシーリングが行われたが、1983年にはマイナスシーリングへと進められたのである。そうした取り組みが可能だったのは、環境と意志の両方によるものであろう。
第1次石油危機後のわずか10年間のうちに、2回目の石油危機も乗り切り、構造転換を果たしたのである。企業は自らを省エネ体質へと転換させ、生産性と国際競争力を高めることに成功した。家計もパニック的な行動に走ることはなくなり、金融政策も機敏に発動されるようになった。そして、行財政改革や民営化が断行され、小さな政府が志向されたのである。
これに続く次の10年間は、ジェットコースターのような展開である。それを象徴するのは、1980年代末に生じた地価・株価の上昇とその後の下落である。バブルが崩壊するまでは、いざなぎ景気に次ぐ拡張期間となったものの、その後の転落も激烈だった。そうしたなかで、前年の総合経済対策と同様の公共投資拡大に減税を組み合わせた、総事業規模13兆円の新総合経済対策が策定されたのが1993年である。
積年の目標であった赤字国債脱却が実現したのは1991年から1993年までの3年間にとどまり、翌1994年からは赤字国債発行が再開された。つまり、現在にいたるまでの一連の景気対策、経済対策が開始されたのがこの時期である。当然、対策が度重ねられるにつれて財政赤字は拡大していった。
(3)閉塞感増す現在
そして、その10年後が2003年である。低い成長率と高い失業率、物価の全般的下落、地価・株価の低迷、不良債権の増大、政府債務の累積...。この間に起こったことについては、説明不要であろう。それでも、GDPの水準は実質値で見ても、名目値で見てもバブルの絶頂期を大きく上回っている。問題は将来に対する閉塞感が増していることであろう。将来の日本を担うべき新卒者が厳しい就職難に直面していることは、企業と市場の調整力が機能不全に陥っていることの象徴である。また、金融機関の経営破綻が金融システム不安へと発展する恐れはないか、財政が持続可能な経路を辿っていけるのかなど、これまで社会を支えてきたシステムの包容力やその将来に対する信頼感も揺らぎつつある。
もっとも、日本の政府債務残高は先進国最大になってしまったが、国債利回りは最低記録を更新し続けている。景気が低迷し、物価上昇率はマイナスとなり、超金融緩和が続けられているとはいえ、巨大な財政赤字と政府債務残高を抱える国の国債利回りが0.5%前後にとどまっているのである。額面通り解釈すれば、将来の財政破綻を回避するということも含めて、政府の財政運営が市場から信認されているということになる。しかし、その信認が将来、急に崩れる可能性もあることを否定することはできない。
2.日本経済は何処へ向かうか
1953年時点において、その後の50年間の日本経済の展開を見通すことができた人は、果たして存在しただろうか。そう考えると、将来を正しく予見するということは人智を超えた領域に属すると言ってよいであろう。ただし、それは将来を展望するということの意義を否定するものでは決してない。完全予見などできないからこそ、今やるべきことを実行するとともに、時の流れという時間軸の中で予想し得る変化に対して事前の準備を行うことが重要なのである。
今後50年間に関して、ほぼ確実なのは高齢化と人口減少が同時進行することである。こうしたなかで問われるのは、生産性上昇や社会の活力をいかにして確保するかであろう。特に、経済、金融にかかわる現行の社会システムが高齢化社会の下でも有効に機能するかどうかが、ポイントである。もし、現行システムに修正が必要ならば、残された時間は少ない。
団塊の世代が60歳に達し、引退を始めるのが2007年頃からだからである。65歳には大半の人は引退するので、2010年代半ばには貯蓄投資バランスが大きく変わる事態も考えられる。家計貯蓄率がマイナスに転じたり、経常収支が赤字になったりしても、不思議ではない。
その意味で、今後の日本経済の流れにきわめて大きな影響力を持つのが公的年金制度である。そして、年金財政への直接的影響に限らず、数のうえでも、それに続く世代の行動の先例となり得るという意味でも、影響力が大きいのが団塊の世代である。団塊の世代の人々が現役労働者にとどまっている今こそが、年金制度改革や税制改革を行うべき最大にして最後のチャンスかもしれない。
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