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(回答先: 恥ずかしい質問をさせて下さい。 投稿者 エンセン 日時 2003 年 8 月 04 日 17:03:04)
エンセンさん、はじめまして、こんにちは。
かかる設問は、苦闘しつつも己自身で応答していくべきものであることは、おそらくエンセン氏も承知していると想います。ただし、何故戦争を防ごうとしないのか、殆ど敵が明白であるにも拘わらず敵にたいして直接行動をとらないのか、そうした問いに答えていくための拠り処はやはり己自身つまり己の意識形成の過程に求める他はないと思料します。さらに、たとえルサンチマンとして受け取ったメッセージであっても現実との間に如何に架橋できるかに回答案出の成否が懸かっているとも言えるでしょう。
卑近な例で申し訳ありませんが、予め答えが用意されているワーク・ブック学習に慣らされた世代に接すると、個別性(個別のリアリティー)の欠如を痛感します。しかし、エンセン氏が提出されているような設問に答えていくためには、少なくともそうした個別性にたいする諒解が基調になるのではないでしょうか。
国家権力についても同様です。別に戦争状態の只中でなくても、この日本においてもその一端を感受することは、自身の問題意識を直接的に公にするまでもなく何らかの抵抗権の行使を表明するだけで可能でしょう。そして、どこまで国家権力と認識できるかは、ルサンチマンの大いさによるのかも知れませんし、単に当事者の想像力に負っているのかも知れません。
それはさて置き、ロジェ・カイヨワによる、人類にとって戦争を不可避とする宿命論的な社会生物学的・文化人類学的考察:『戦争論―われわれの内にひそむ女神ベローナ』(1963)、戦争の大義を考察した:『聖なるものの社会学』(1951)は、戦争について考える上で幾らかは参考になると思われます。後者はややもすると先の大戦の肯定へと誘導するものとして引き合いに出され兼ねないので、不本意なところがありますが、エンセン氏のバランス感覚を信じたいと思います。(既読でしたら、失敬。)
各国の戦争体験者や国家権力による蹂躙を受けた人間にとっては怨嗟を越えてと語るのは空文句に響くでしょうし、きっと密かにそのときを期して人々は準備を重ねていると思います。そのように想像ができないのは、戦前・戦中世代が受け取ったリアリティーが我々戦後世代にきちんと伝承されていないためか、幸いにして日本が苛酷な他人支配を受けて来なかったという歴史的経緯が、世界認識に曖昧さを包蔵させている原因になっていると見ています。
しかしながら、virtualな言辞を以って如何に紡いでみても、それ自体では事象のリアルな諸相を捉えることは難しいのではないでしょうか。それでも、その苦闘の極致から「赦す」という解を見出し、無限定な他者に答えを与えようとしているのがアルファンド氏であるし、氏はその上で「あきらめちゃぁいけない」と語ってもいます。
私などはまだまだ俗物ですし、また内心でも俗物でいたいと思っているようですから、そう簡単には「赦す」訳にはいかんのでしょう。裏でコントロ−ルしながら、高みの見物を決め込んでいる彼等の首根っこを掴まえて我々のフィールドに引き摺り下ろしてから赦すのでなければ、リアルに「赦す」ことにはならぬと考えているような次第です。日本の支配層といえる存在の尻尾の先ぐらいには触ったとの思いは少なくともありますが、阿修羅をロムしている人達の中にも事実通の人が潜在的にはかなりいると思われるので、さらに多くのヴィヴィドな話を聞きたいものです。支配層に属していると自負している本人の投稿であれば尚の事です。
ところで、おそらく誰にとっても敵と切り結ぶこと自体はそれほど難しいことではないと思いますが、その後の事に関して無策であるのは愚行の謗りを免れませんので、十分な方策を講じておくことが肝要です。しかし、真の敵に肉迫することも叶わず、何よりも切り結ぶ最前線の相手が自身と同階層の人達であることの理不尽さを如何に克服するかといった問題があり、それにはやはり大義が必要となるでしょう。そして、今日においては民族的・国家的なそれではなく、人類的・地球的なパースペクティブに立脚した大義を打ち立てなければならぬでしょうし、そうでなければ人類は生物以上の存在意義を創造できないばかりか、何万年にわたるすべての死が無駄死と言わざるを得ないことになってしまいます。
阿修羅に集う論者によって重ねられている論考の方行に注目している者として、今俎上に乗せられているような支配構造への移行が受容すべき人類の生態の趨勢を叙述しているものだとしても、可能なかぎり漸進的かつ時代解消的に推進していくための智慧の結集に必ずや人々は目覚め得ると期待しています。
敵がずっこける前に我々がずっこけることのないようにしながら、サボタージュさながら彼等の仕掛けを柔らかに拒絶しつつ、そのときまで非戦を貫きながらとにかく凌いでいく他はないと思うのですが、如何でしょうか。
顔が見えないインターネットの世界ゆえに、つい直截な反応を求めがちですが、暫しの間踏み止まることを慣わしにして、先ずは深く思考してまいりましょう。
今後共宜しく。