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(回答先: 「良き事」のために 投稿者 Q太郎 日時 2003 年 8 月 04 日 20:49:57)
Q太郎さん、はじめまして。
私の問いに、真剣にお答え頂きありがとうございます。
>私も10年ほど昔になりますが、
「人道主義」と言うけれども、「人道主義」の「人道」の定義はなんだろう、と考えていた事があります。今もわかりません。なぜかはたぶんわかっていただけると思います。
何となくですが、理解できます。
世の中の「常識」や「定義」とかいうものって私は、実はすべてが「嘘」なのではないかと最近思っています。正反対なんじゃないかとね。簡単に言えば騙されている、ってことです。
>最近、特に2001年の9.11以降、一方からの「善」を考えることが出来なくなった状況で、様々な事を見るにつけて感じるのは、全ては一見「良き事」に見える事を達成するために行われるのではないか、という考えが頭をもたげてきました。
今使っている「善」というのは、あくまで一方から見たときに「善」に見えるものであって、それを別の角度から見たり、時代が変わって振り返る時でも「善」とされるかどうかはわからない
仮の「善」です。(略)
まさに騙されているのかも?ってことですかね。
各人たちが「善」とすることを我々が耳元で「悪」なんだよ、と言っても駄目ですからね。これは。
1人1人が判断しますし、またそうでないといけませんからね。これを「洗脳」とか「マインドコントロール」とか言うんだと私は思っているんですけどね。
>資本主義が要請してきた「真・善・美」はあらゆる面において、今や残念ながら、イメージ的に消費可能なものだけが、貨幣と交換されるシステムに成り下がりました。つまりイメージが現実を凌駕していくという現象が先進国といわれる国々で氾濫して、そのイメージの外側にどのような現実があるのかを決して直視しようとはしなくなっていきます。日本のマスメディアの情報の偏りと視聴者の無関心または無力感を見ていれば、察することの出来る話です。
そうなんですよね。最近私もマスメディアをここ阿修羅でかなり批判しています。
「洗脳装置」ですからね。世論作りとか世論誘導装置ですね。
>今回のイラク戦争が一番異様だったのは、どんな理由があるにせよ、アメリカ政府がアメリカという国を守るという大義名分で、彼らが「われわれの世界」と思っている世界を「善」または「是」とし、それを守るためには他の人間を攻撃しても良いという理屈を実行してしまった事です。しかしながら、これは残念ながら人間の支配―被支配の歴史において今に始まった事ではないのではないかと思います。(略)
単純に言うなら、今ここで平和な生活を享受していると思われる私たちも、既にこの世界で生きている以上片棒を担いで歩いているのではないか。そのように感じられます。
片棒を担いでいるのは事実でしょう。そう思います。間接的にですが。
しかし、「犯人」ではありません。
逆の言い方をすれば、被害者です。だから目を覚まさないといけませんね。
どうやったら目を覚ませるのかを問題にしたいです。
>陰謀論は数多くあり、その陰謀論を自分で消化して、仮に、「こいつが犯人でこいつだけが諸悪の元凶だ」といったところで本当のところ、それは何の解決にも導く事ができないのではないかと思っています。仮に陰謀の黒幕を暴いたところで、彼らは責任を何も感じないのではないかと思っています。(略)
確かに「陰謀論」なのでしょうが、事実のようですからねえ。
人間を大量に殺していますから、責任は認めさせて、その上で裁かなければならないと考えます。
経済システムにしてもそうです。「犯人」は確信犯ですから、罪の意識はありますしね。
やはり、経済と言う名の「お金」が問題(原因)なのですかねえ。
でもその「お金」も「犯人」たちが作り出した、芸術ですから「根」は深いですね。かなり深い。
>私たちが求めるイメージ的な「良き事」にとりつかれている限りは、この連鎖がやむ事はありません。美しいもの、新しいもの、カッコイイもの、面白いもの、そうしたものを求め続ける限り、それらが再生産されては消費されます。
はい。その通りだと想います。
「お金」や「経済」が無くなれば、戦争は無くなるのかなあ。
でも、「お金」や「経済」を無くすのは、戦争を無くすことよりも難しそうですね。
>彼らが経済的優位を保つには、イメージ戦略が有効です。(略)
そしてイメージ的に憧れてきた国と肩を並べるぐらい繁栄した頃に、自分たちの民族や歴史的アイデンティティを失ってしまって、米国に忠実についていかざるを得なくなったのが、今の日本ではないかと感じています。
これがまさに「犯人」たちの奥義ですね。搾取するための。
>こうしてみていくと、「自己利益の追求こそが正義である」という経済活動における不文律が、全ての面で優先され暗黙の了解の内に承諾されてきた事、これこそが戦争の元凶ではないのかと思います。(略)
ようするに「経済利益」ということでしょうか。まあ、「お金」ですね。
「お金」を増やすことの正義ですか。この辺の価値観はどうやったら変わるんだろう。
でも、「お金」だけじゃ無いように思うんだよなあ。戦争って。
>そして、経済的繁栄が「良き事」とされる場合、「自分たちを繁栄させてくれる」人間に、皆盲目的についていきます。この「盲目的」がやっかいです。拝金カルトになった社会から宗教の寄せ集めカルト「オウム」が出てきた事は写し鏡のように感じます。経済的に裕福だという事が全てにおいて優先される「善」である限り、そうした国際金融勢力に負けず劣らず、人間は金を得ようとします。本当の「富」がそれで手に入るのかは謎です。
私の極論としての結論は「良き事」を追求する事で戦争が起きている、というものです。
おっしゃる意味は分かります。
でも私が問題にしたいのは、誘導された人間ではなく、戦争の「犯人」です。
『「自分たちを繁栄させてくれる」人間に、皆盲目的についていきます。』この人たちは被害者ですから、あくまでも「犯人」だけを追及したいと思っています。
>ただしこの結論の「良き事」が、自然の摂理に則った普遍的な意味での『善』ではない事は最初にお断りした通りです。今実際に生きていく毎日の生活の中で追及されている「良き事」が果たして本当に「良き事」なのか?これが私たちがまず私たちにつきつけるべき問いであり、新しい世界の捉え方を模索する鍵になるのではないでしょうか。
私は、「これこれの言っているのはこうだから、こうなんだ」というわかりやすい説明ではないのでたくさん穴があると思います。ひょっとしたら答えになっていないかもしれません。
長文、かつまとまりのない文章で申し訳ありません。
うまく伝わるのかどうか、書きたい事が書けたのかは良くわかりませんが、
これが議論の叩き台になれば幸いです。
それでは。
Q太郎さんの言っておられる、問題意識は私も殆んど同意です。
そういった問題について、私なりにかなり考えた時期もありました。
我々人類は絶対にこのままではいけません。この「犯人」たちをどうにかしなければなりません。
この「犯人」たちをどうしたらいいのか、これが私の考える難問です。
Q太郎さん、ありがとうございました。
とても参考になりました。
Q太郎さん、これからも色んな議論に参加してくれることを望みます。
どうもでした。