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(回答先: Re: たしかに、たしかに。 投稿者 ヘイ! 日時 2003 年 7 月 31 日 08:05:56)
たしかに、自分たちが中学でやっていたことが、今では、高校でやっとやるかどうか。
今の高校生たちは、昭和40年代後半の中学生にやっと並ぶかどうかと言ったところ。
しかも、今の生徒、学生はほとんど宿題がない。塾に行くか、それとも勉強しないかの選択肢しかない。
ほぼ、高校生の7割は、家では、ほとんど勉強しないと言われている。ほとんどと言う意味は、試験期間中はある程度勉強するからだが、その割合は、今では、4割行くか行かない位だ。
だから、ほぼ、5割の生徒がまったく勉強しないようになっている。なぜそうなったかと言うと、バブル期の塾通いが一番大きな要因だ。中学生の半数以上が塾通いを始め、高校入試に向かって自分で勉強する機会が、塾による出来合いの勉強をこなせば良いと言う形で失われていった。多くの塾では、勉強は、基本的に答えのあるものをいかにうまく覚えていくかと言う形のものとされる。しかし、実際の勉強は、本来は、社会事象を扱うものだから、自分の個人的な社会体験に裏打ちされた形で物事を理解していって始めて実際の社会の問題を解決するときに役に立つ。それは、だから、優れて個人的な作業なのだ。もちろん、そこら辺をきちんとやっている塾もあるだろうし、個人も多く存在するに違いない。ただ、全体としてみたときに、個人として勉強する習慣がこの10数年でほぼ完全に失われてしまった。
そして、今、推薦入試というまるで公共事業での指名競争入札のような制度が導入されていっている。そして、自分のかっての勤務校である三郷工業技術高校では、おおぴっらに入試不正が行われていた。その手口は、推薦入試で落ちた生徒に一般入試の受験を薦め、薦めたからには、一般入試(学検)での得点がどうでも、つまり最低点でも合格にさせると言うものだった。これ自体が問題で、規約違反なのだが、それ以上に悪いのは、判定会議の資料には、個人名が出てこず、しかも、普通一般には、入試が終わると、誰でも教員であれば内申書も一般入試での得点も自由に見れるものが、一切見せないように、校長室の隣の部屋に新しい金庫をすえつけて保管してしまった。つまり、本当に推薦入試を受けた生徒かどうかは一般の教員には分からないようにしていた。
そして、さらに、定期試験の得点の一覧表を作らないようにしていた。これは、非常に奇妙なことだ。普通は、教員は、定期試験の一覧表を作るのを楽しみにする。なぜなら、誰がどのぐらい得点が伸びたか、落ちたか、それが分かるからだ。勉強を教えると言う立場から見たら、その総決算の一つが、定期試験の結果であり、その一覧表なのだ。自分は英語を教えているが、その中で、どう考えても、定期試験の問題が漏れているとしか思えない出来事が数多くある。一学年を複数の教員で教えていて、リスニング試験は共通問題なので、数日前に出来上がってしまうが、僕は、基本的に、その日の朝早く起きて作っていた。そうすると、リスニング試験のところだけ、それも、ほとんど中一レベルの単語さえ書けないような生徒がlibraryと言う単語がかけていたりした。つまり、不正入試で入学させた生徒に卒業を保障するために、定期試験の問題の横流しをやっていたと言うことだ。
すくなくとも、入試に関しては、明らかにおかしいので、その不正をやっていた会議のテープをとり、裁判に提出したが、裁判所は「入試不正があったようだ」というもんくで、不正を認定することも、県に確認させることもしなかった。県も何も確認しようとしなかった。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/4361/
を参照のこと。不正入試の会議の記録もある。
だから、多分、もうすでに、同じようなことが多くの学校で行われていると言うことなのだ。
その結果が、2003年の6月(?)ごろのサンデー毎日に載った、明治大学の経済系の学生の多くが中学レベルの分数計算ができないと言う状態だ。
学歴を金で買うと言う習慣は、経歴を金で買うと言う形に変化していく。
努力よりも金がものを言うと言う感覚は、必然的に、汚職、賄賂につながっていく。
日本社会が北朝鮮と同じような形なる日は近いかも知れない。