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こんにちは、反シオニストさん
「もちろん私は自爆攻撃には反対ですが、パレスチナの人々の武装闘争を完全に否定するわけではありません。ただし、圧倒的な軍事力を誇るイスラエルに対して散発的な武装攻撃を仕掛けるのは得策ではありません。かえってイスラエルに利用されるだけです。戦略的に狙い澄ました「一撃」も可能かと思いますが、パレスチナの政治部門と軍事部門がイスラエルに操られている現状ではとても無理でしょう。」
自爆攻撃(アルジャジーラなどでは、ジハードといい、自殺による攻撃とは、みなしていません。ただし同じアラブでも、精神的に未だに、西欧の植民地時代のなごりをひきずっている国は、カミカゼと表現してます。)が、イスラエルに対して、防ぎようない被害を与えているため、私は、事実上、効果はあると信じています。イスラエルに利用されてしまう以上に、イスラエルが、パレスチナを100パーセント操っていないという証明になると考えます。案外、イスラエルが、ジハードを野放しにしているとも思えたりもしますが、
5月だったかのカサブランカでの連続爆破事件では、自爆によって多数の一般人が被害を受けたことから、イスラム離れにつながったと聞いています。選挙を前にして、イスラム勢力を抑えるために企てられた犯行で、ジハードに走った若者はだまされたとしかいいようがありません。
パレスチナにおけるジハードは、職も、自由も失ったパレスチナ人が、自分のジハードがきっかけにパレスチナの状況が好転することを願って走ってしまうものだと理解してます。パレスチナにおけるジハードをイスラム狂信のゆえに起こると思っている方、どうぞ、土井パレスチナジェニンの人々は語る岩波ブックレット480円を読んでください。
「伝統的なイスラムには縛られないイスラム教徒には期待できます。重要なのは宗教には縛られず「現代世界システム後」を構想できる人たちの出現かと思います。」
イスラムでは、就学、勤労を大変重要視しています。これらは、信仰に値するとも記されていたはずです。レバノンのヒズボッラーでは、男女まったく平等にこれらの活動を推進していますので、スカーフをした女性兵士が隊列をなすCMもあります。
伝統的なイスラムと表現されていますが、表面的なことにとらわれないリベラルなモスリムの方が案外、「伝統的」かもしれませんよ。時刻どおりに礼拝をすること、イスラム風の衣服をまとうこと、女性ならばスカーフや、手袋を、しかも、地味な色の素材を使って着用する。これらが、伝統的なイスラムとすると、おおまかにですよ。おおまかに、、、私の経験からは、これらの方が、きちんと学問をおさめて、社会貢献しているかというとその逆です。そういう現実を見たうえで、外見にとらわれないで、スカーフをしながらも、せっせと国内で、働きまわっている女性もいることを知ってほしいと、がんばっているモスリムも当然います。逆行しているモスリムも残念ながら存在しますし、モスリム内の団結は、そこで離れていく方向にあると思います。反シオニストさんが結論付けられているとおり、宗教にとらわれないシステムの構築は、モスリム内でコンセンシャスが取れていない限り、期待できません。まず、社会の主権をだれにするか?という点で、すでに、モスリムは、二分されてます。主権をアッラーとするのか、人とするかにおいてです。
「教育を受けたものがばかをみるしくみ」
私の知るアラブの話です。
国費留学生が、西欧で学問を修め帰国したら、まず、職安に出向いて、職を探します。通常、見つかりません。理由は、そんなまともな人材をだれも欲しくないからです。
では、どうして、職に就くのか? コネです。それだけです。知人でもなんでもいいから、研究所なり、大学機関に出向いて、コネをつくるのです。つまり、袖の下です。そういう一般化されている就職方法に、職安に出向いて、一銭も袖の下を出さずに職につこうとする人間、だれが欲しいですか?そんなことでは、会社が成り立たない。そうです。そのとおりです。会社は成り立ちません。賄賂、収賄、脱税、で、会社を成り立たせるわけです。会社が傾こうが、倒れようが、しったこっちゃありません。運良く、就職にありつけたとしましょう。まず、最初の何年かは、お給料が未払いになります。ある年の入社員は、200人でしたが、一番最初にお給料を手にしたのは、そのうちの5人で、半年後でした。ちなみに、200人は大卒以上、5人は、いずれも、留学でPh.Dをとっていました。さて、未払い組みの社員が上司と支払いについて討議したところ、解雇、場合によってはあらぬ疑いで、逮捕です。そのとき、上司が言ったそうです。「お給料とは、ごはんで言うところの副食で、主食は、自分で稼ぐんだよ。」エリート組みは、お給料を手にほくほくかというと、上からのいびりも当然あります。なにしろ、私が知る当時の科学技術省に該当する大臣は、実は、小卒(つまり、中学校に入学できなかった。その国では、今でも、小学校から留年制度があります。)でした。幕張メッセのようなところで、その国の名誉にかけんばかりに展示会があるものなら、これらのエリート組みは、展示品の準備で必死で走り回り、そこに、この大臣が、ボディーガードを引き連れてご来場です。偶然、この大臣と同じ小学校の同級生がこのエリート社員。大臣が一言。「今の職を失いたくなかったら、何もしゃべるな」と、ささやき、何もなかったようご来場を終えた。やはり、同じ会社ですでに、要職に昇進していた幼馴みと再会すると、「この国にお前は、必要ない。さっさと、国外に出たほうが、身のためだ」。
でたらめな小説を書いてる気分ですが、私が見聞きしたし、経験したはなしです。国が豊かになること、つまり、国民が賢くなることは、傀儡政権にとって、首とりです。しかしながら、傀儡政権というのは、イラクもそうですが、自分では倒せないようです。仕方なく、西欧に頼りたくなるのです。パレスチナも同様です。国際世論しか、かれらは、すがるものがない。前回投稿した、パレスチナ人弁護士スラーニ氏の言うとおり、「アメリカが真剣に和平を考えないと、パレスチナは平和にならない」つまり、永遠に、泥沼なんでしょう。
だとしたら、自分たちの平和は自分たちで勝ち取る、つまり、イスラエルが武装するように、彼らも、彼らなりに、できる範囲で武装するしかないのです。
レバノンは、2000年5月だったかに、レバノン南部をヒズボッラーの抗戦のすえ、18年ぶりにだったか奪回しました。これを地道に繰り返すのも、パレスチナのやり方のひとつだと思います。