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(回答先: 要は、自分と家族の人生に自信と確信が持てればいい 投稿者 某 日時 2003 年 7 月 22 日 21:35:00)
いえいえ。むしろ某さんの意見を後押しするというか、引き立たせるつもりで書いただけですから。
2ちゃんねるは滅多に見ません(書き込んだことはゼロ)が、たまにリンクをたどって時事問題系のスレッドを見ていると、somethingさんがいっているような、単純に人のタイプ(学歴とか人種とか性別とか年齢とか)をカテゴライズして納得しているだけの意見とか、あまり複雑系を理解してないような感じのステレオタイプな意見とか、大手メディアの出した表層的な見解に感情的に同調して(あるいは保護色となって)補強しているものとか、単なる差別や偏見をさもご大層な正論のように振りまいているだけのもの、とか、まあ単純に言えば流されがちで無個性(別の意味で個性的というか、エキセントリックなものはあるが)なものが圧倒的に多く見受けられる気がするのも事実です。
しかし、中にはとてもリマーカブルというか、他では提示されていないような鋭い視点から立てたスレッド(と議論)もあり、まったく無価値なスレッド群だと断じることもできません。
そういう意味で、視点が硬直したりカテゴリー論にずっぽりはまってしまうのは(2ちゃんねる自体を一くくりに論じることも含む)、個人の確立、自己実現にとっても、社会の発展にとってもあまり芳しくなく、不健全な傾向に陥る可能性が高いのではないかという危惧から、私の家族形態を例に、通常の価値枠からすれば不安定で不可能とも見える形態であっても、安定していることもあるという実例を示そうと思った訳です。
つまりうちのような家族はまあ、日本でも例外的といえば例外的な方だとは思いますが、まったく存在しないものではない、という視点を出したかったのです。
これからは、例外的なものを発見、受容したり、価値観の多軸性や、複雑系を理解する流動的目線を身につけた方が、危機を乗り越えて発展、開花していく可能性も高いのではないでしょうか。某さんがおっしゃるように、無謀な賭けをするというのではなく、確信をもって(慣習から離れるのが苦手な日本人の多くが尻込みしがちですが)冒険的に見える生き方をする、消極的に「流される」のではなく積極的に「流れる、或いは流れに乗る」という感覚を培うことも大事だと思うのです。
ある種の反骨精神でしょうか。
ここ阿修羅では、そういう多軸性はより求めやすい、という意味では、2ちゃんねるなどの一般的な傾向に比べ、より議論が充実、活性化しているという気はします。