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社民党壊滅をめざす小泉国家権力の動物的本能【資料偏】
http://www.asyura.com/0306/dispute12/msg/185.html
投稿者 愚民党 日時 2003 年 7 月 21 日 22:54:27:

(回答先: Re: こんな仕掛けに引っ掛かるほど、頭が悪かったのか、日本人は 投稿者 感想 日時 2003 年 7 月 21 日 20:39:26)

社民党壊滅をめざす小泉国家権力の動物的本能【資料偏】

感想さん、こんばんわ。
結論ですが、辻元は黙秘も出来ず権力に、げろって(べらべらしゃべる)います。
権力の筋書き通りに仕上げられ・・・・
そして社民党は壊滅されるでしょう。

社民党の前進である社会党は金がないゆえに、自民党よりも
汚い政党といわれておりました。
1970年にはすでに「帝国主義社民」と批判されておりました。

93年細川政権への参加。
そして自民党との連立による村山政権の誕生はやはり「帝国主義社民」を実証しました。

国家権力にすりよった政党はとことん利用され、ゴミとして捨てられます。

スズキムネオが議員を辞めないのは
獄中で、自殺あつかいとして国家権力に殺されることを自覚しているからです。

人間の政治起源とはかつて人類が同類たる人間を食べていたことにあります。
食人儀礼こそ人類の政治の起源です。政治とは人殺し文化の主軸でした。

やはり辻元は政治に対して無防備であり
小泉国家権力によってさんざん利用されてしまうのです。

社民党の壊滅は自民党・公明党・民主党・小沢自由党と日本メディアの総意であります。
55年体制への決着であり、腐敗と汚辱の90年代国会政治の臭い匂いをかくすためです。
そして21世紀初頭の翼賛体制の成立から2005年体制へ。
イラク派兵から国防省創設への動物的本能発動として社民党は食人儀礼の骨として解体されてしまうのです。政治の世界では怪物しか生き延びられません・・・・

栃木の渡辺は地元では父親に比較して軽いことで有名です。
テレビに出演し、うかれておりますと
政治の食人儀礼のエサとなるでしょう。

-----------資料(1)
 商売上手な人・辻元清美の2度目の転職  「田中良太の同時代通信21」24号
 http://www.asahi-net.or.jp/~tq8r-tnk/020401.htm

 小泉自民党の「公明党・創価学会票依存」による変質  森田実
 http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/

---------資料(2)
 全文検索 キーワード = 日本社会党
11 件 のできごとがありました

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1906/01/28,明治39/01/28
堺利彦らが日本社会党を結成する。
1906/02/20,明治39/02/20
日本社会党員らの普選全国同志大会の代表が、衆院に普通選挙請願書を提出する。
1906/02/24,明治39/02/24
日本平民党が日本社会党に合流し、第1回大会が開催される。
1906/06/28,明治39/06/28
幸徳秋水が、神田錦輝館での日本社会党演説会で、議会主義か直接行動かの問題を提示する。
1907/02/17,明治40/02/17
日本社会党第2回大会が開催される。
1907/02/22,明治40/02/22
日本社会党が禁止される。
1945/11/02,昭和20/11/02
日本社会党が結成される。開会の辞で浅沼稲次郎は国体護持を主張し、大会が終わると賀川豊彦は「天皇陛下バンザイ」の音頭をとる。
1958/05/13,昭和33/05/13
日本社会党が非核武装宣言を発表する。
1961/09/01,昭和36/09/01
ソ連が核実験を再開する。日本政府と日本社会党はソ連に抗議するが、日本共産党はソ連を支持する。
1967/07/18,昭和42/07/18
自民党と日本社会党が、国対委員長会談で防衛2法改正案と一酸化炭素中毒症特別措置法案をともに成立させることで妥協する。
1996/09/10,平成8/09/10
「日本社会党史」が完成し、発売が始まる。

http://macao.softvision.co.jp/dbpwww/ 歴史データベース on tha Web

-----------資料(3)
全文検索 キーワード = 社民党
29 件 のできごとがありました

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1920/06/19,大正9/06/19
スペイン社民党大会で、コミンテルン加入賛成派が多数を占める。
1924/12/07,大正13/12/07
ドイツ国会選挙が行われ、社民党が再び第1党となる。
1932/02/23,昭和7/02/23
ゲッベルスが、国会演説で社民党を「逃亡兵の党」と誹謗して議場から追放される。
1983/11/19,昭和58/11/19
西ドイツ社民党大会で、アメリカのミサイル配備反対が打出される。
1989/10/07,平成1/10/07
ハンガリー共産党が西欧社民党型の社会党に脱皮することを決定する。
1993/05/03,平成5/05/03
ドイツ野党・社民党のビョルン・ヘングホルム党首が、87年の「バーシェル事件」に絡む疑惑で、連邦首相候補および党首など全役職を辞任する。
1996/02/21,平成8/02/21
新党さきがけが、社民党との合併前提の協議を今後見合せ、以後事実上棚上げする方針を決める。
1996/02/23,平成8/02/23
社民党が、住専の処理策を見直す方向で検討に入り、1次損失の穴埋めのため、6850億円の財政支出を盛り込んだ新年度予算案の修正には踏込まず、2次損失のうち母体行の責任を明確にして負担を増やす案が浮上する。
1996/05/27,平成8/05/27
社民党の招きでこの日に来日する予定だった北朝鮮の代表団が来日を中止することを通告する。自民党が朝鮮半島の4者会談の実現が決まらないうちは会わないということを明らかにしているからというのがその理由。
1996/06/30,平成8/06/30
社民党が「村山党首と語る全国女性の集い」を初めて開き、次期衆院選の女性候補擁立に努力するよう要請する。
1996/07/04,平成8/07/04
社民党の大畠章宏ら若手議員が、さきがけの鳩山代表幹事や横路前北海道知事と連携をはかって議員グループ「リベラル96」を結成する。
1996/08/05,平成8/08/05
旧民社党支持労組のゼンキン連合と社民党支持労組の金属機械が、1999年9月をめどに組織統合を行うと発表する。
1996/09/18,平成8/09/18
社民党が常任幹事会で、党が大勢として新党に移行することを断念し、次の総選挙は社民党のまま戦うとする見解をまとめる。
1996/10/20,平成8/10/20
衆議院の選挙制度が小選挙区比例代表並立制にかわって初めての第41回総選挙が行われる。即日開票の結果、自民党は単独過半数に届かなかったが前勢力を上回る。社民党は少数に転落する。
1996/10/27,平成8/10/27
岡山県知事選が行われ、自民党推薦の元建設省審議官の石井正弘が、新進党・社民党・公明党などが推薦する江田五月を破り当選する。
1996/10/31,平成8/10/31
自民党、社民党、新党さきがけが、第2次橋本政権に向けた政策合意文書に署名する。
1996/11/06,平成8/11/06
社民党が三役会議を開き、特別国会の首相指名投票への対応について、橋本龍太郎首相に投票することを正式に決める。
1997/03/11,平成9/03/11
土井たか子社民党党首が、中国共産党の江沢民総書記と北京で会談する。
1997/09/12,平成9/09/12
社民党内に、佐藤孝行総務庁長官入閣で閣外協力の解消を求める声が噴出する。
1997/12/28,平成9/12/28
社民党の土井党首が、任期切れに伴う党首選挙に立候補する意向を表明する。
1998/01/10,平成10/01/10
土井たか子が社民党党首に再選される。
1998/01/25,平成10/01/25
社民党が、定期党大会で伊藤茂幹事長を再任し、政策審議会長に秋葉忠利を起用する執行部人事を決める。
1998/05/01,平成10/05/01
社民党が、政治倫理確立法やガイドライン関連法案をめぐる自民党との対立を理由に、夏の参院選前に閣外協力を解消する方針を決める。
1998/05/05,平成10/05/05
社民党の伊藤茂幹事長が、この国会中に閣外協力を解消し与党を離脱する方針を自民党側に伝える。
1998/06/01,平成10/06/01
自民、社民、さきがけの3党首会談が開かれ、社民党の土井たか子党首が橋本自民党総裁と武村さきがけ代表に閣外協力の解消を伝える。
1998/08/30,平成10/08/30
社民党の臨時党大会が開かれ、野党としての立場を鮮明にする、などの運動方針が採択される。土井党首を除く全執行部が退陣し、渕上貞雄が幹事長となる。
1998/10/02,平成10/10/02
自民、民主、平和、改革の3会派が共同修正した金融再生関連4法案が、衆議院本会議で3会派と社民党などの賛成多数で可決する。
1998/10/16,平成10/10/16
経営不振の金融機関が破綻する前にてこ入れする金融機能早期健全化緊急措置法が、参院本会議で自民党、公明、自由党、社民党などの賛成多数で可決され成立する。
1999/01/31,平成11/01/31
広島市の市長選挙が行われ、無所属新人で前社民党衆議院議員の秋葉忠利(56)が初当選する。

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---------------資料(3)
全文検索 キーワード = 土井たか子
12 件 のできごとがありました

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1928/11/30,昭和3/11/30
社会党の委員長になる土井たか子誕生。
1969/12/27,昭和44/12/27
第32回衆議院議員総選挙で社会党が100議席を割る。自民288、社会90、公明47、民社31、共産14、無所属16。土井たか子が初当選する。
1986/09/06,昭和61/09/06
社会党委員長選で、土井たか子が当選する。
1990/04/05,平成2/04/05
社会党定期大会で第3期土井たか子委員長らの新執行部が選出される。
1991/06/21,平成3/06/21
社会党の土井たか子委員長が辞意を表明する。
1993/08/06,平成5/08/06
衆議院本会議が開かれ土井たか子社会党元委員長が衆議院議長に選出される。初の女性議長。
1996/03/01,平成8/03/01
住専7社が、設立母体行など金融機関による紹介融資の詳しい資料を土井たか子衆院議長に提出する。住専向けの紹介融資が最も多いのは住友銀行の2688億円でこのうち90%が不良債券化していることが明らかになる。
1996/03/07,平成8/03/07
住専処理の予算案をめぐる与野党の対立で、土井たか子衆議院議長が双方の国会対策委員長を呼び「言論の府として話し合いをすべきだ」と事態の正常化を促すが、不調に終わる。
1996/03/11,平成8/03/11
土井たか子衆議院議長が与野党の国会対策責任者を呼び、予算委員会での採決の日程を白紙に戻し審議再開を促す。しかし事態の打開に向けた進展には致らず。
1997/03/11,平成9/03/11
土井たか子社民党党首が、中国共産党の江沢民総書記と北京で会談する。
1998/01/10,平成10/01/10
土井たか子が社民党党首に再選される。
1998/06/01,平成10/06/01
自民、社民、さきがけの3党首会談が開かれ、社民党の土井たか子党首が橋本自民党総裁と武村さきがけ代表に閣外協力の解消を伝える。

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------------------------- 資料(3)
全文検索 キーワード = 公明党
33 件 のできごとがありました

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1964/11/17,昭和39/11/17
公明党結成大会が開かれ、委員長に原島宏治が選任される。
1967/02/13,昭和42/02/13
公明党第4回大会で、竹入義勝が委員長に、矢野絢也が書記長に選出される。
1968/01/01,昭和43/01/01
公明党が、安保条約解消後、非武装中立路線をとると発表する。
1969/08/31,昭和44/08/31
藤原弘達の『創価学会を斬る』の出版予告が出る。以後藤原に学会と公明党から圧力がかけられることになる。
1970/01/05,昭和45/01/05
共産党が、公明党が藤原弘達らの著作に不当な圧力をかけていると批判する。
1970/05/03,昭和45/05/03
創価学会総会で池田大作会長が出版妨害問題を反省し、公明党との「政教分離」を表明する。
1970/06/26,昭和45/06/26
公明党大会が開かれ、創価学会との政教分離をはかる新綱領を採択する。
1971/09/21,昭和46/09/21
竹入公明党委員長が党本部前で刺され、3ヵ月の重傷を負う。犯人は逮捕される。
1977/07/14,昭和52/07/14
公明党の矢野書記長が、連合政権下での日米安保条約維持の方針を表明する。
1978/01/11,昭和53/01/11
公明党大会が開かれ、竹入委員長が自衛隊の認知を表明する。
1980/01/10,昭和55/01/10
社会党と公明党が、連合政権構想で正式合意する。共産党除外を明記し、安保条約・自衛隊を当面容認するというもの。
1980/01/17,昭和55/01/17
公明党大会が開催される。
1986/12/05,昭和61/12/05
公明党書記長に矢野絢也を選出する。
1988/01/18,昭和63/01/18
大阪地検が、公明党の田代富士男参議院議員を「砂利船汚職事件」で取り調べる。
1988/06/06,昭和63/06/06
公明党が、創価学会の池田名誉会長を批判した大橋敏雄代議士を除名する。
1988/11/02,昭和63/11/02
高石邦男前文部事務次官、浜田卓二郎外務政務次官、池田克也公明党代議士らがリクルートコスモスの未公開株を譲渡されていたことが判明する。
1989/05/17,平成1/05/17
公明党の矢野委員長が辞任を表明する。
1992/02/04,平成4/02/04
公明党の市川書記長が、衆議院予算委員会でPKO法案のうちPKF参加を凍結することを提案する。
1994/04/08,平成6/04/08
日本新党が新たに新会派「改革」を結成し、新生党・公明党が積極的に参加する方針を固める。自民党の渡辺美智雄元副総理がこれに呼応する動きをみせる。
1994/11/05,平成6/11/05
公明党第33回党大会が開かれ、石田委員長が党を中央と地方に分割する分党の方針を報告し、了承される。
1994/11/24,平成6/11/24
新生党、公明党などの野党で作る新党準備会の総会が開かれ、新・新党の名称が投票で「新進党」と決定する。
1994/12/05,平成6/12/05
公明党が解散し、「公明新党」として新進党へ合流する組織と、「公明」として残留する組織に分党する。
1994/12/21,平成6/12/21
東京地裁が、リクルート事件で受託収賄罪に問われている元公明党代議士の池田克哉被告(57)に対し懲役3年・執行猶予4年・追徴金1835万円の有罪判決を下す。
1995/02/24,平成7/02/24
経営が破綻した東京協和、安全の両信用組合を救済するため、東京都が都議会に提案した1994年度補正予算案について、都議会第2党の公明党が反対する方針を打出す。
1996/08/04,平成8/08/04
山口県知事選挙が行われ、前県出納長で自民党県連推薦の二井関成(53)が、新進党・公明党推薦の候補を破って当選する。
1996/10/27,平成8/10/27
岡山県知事選が行われ、自民党推薦の元建設省審議官の石井正弘が、新進党・社民党・公明党などが推薦する江田五月を破り当選する。
1997/09/17,平成9/09/17
リクルート事件で池田克也元公明党代議士と加藤孝元労働事務次官への贈賄罪に問われた元リクルート社秘書室長の小野敏広(47)に対し、東京地裁が懲役2年、執行猶予3年を言い渡す。
1997/12/20,平成9/12/20
旧公明党の一部参議院議員などで作る公明が拡大中央委員会を開き、翌年夏の参院比例代表選挙を公明単独で戦う方針を正式決定する。
1997/12/26,平成9/12/26
公明が、拡大常任幹事会で、新進党の旧公明党参議院議員の19名中18名が公明に合流することを決定する。
1997/12/30,平成9/12/30
旧新進党が、小沢中心の「自由党」、衆議院公明党グループの「新党平和」など6政党に分れることが確定する。
1998/07/27,平成10/07/27
公明党が、30日の参院本会議での首相指名選挙決戦投票で、民主党の菅直人代表に投票する方針を固める。共産、自由も決戦投票では菅代表に投票する方向を固めており、野党共闘が実現することになる。
1998/11/07,平成10/11/07
衆院の新党平和と参院議員・地方議員らでつくる公明が合流して新しい公明党が発足する。
1998/11/10,平成10/11/10
自民党と公明党が、65歳以上、臨時給付金を受けている人、15歳未満の子供に対して1人あたり2万円の商品券を支給することで合意する。

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--------------------------------------------------------------------------------------------資料(4)
全文検索 キーワード = 創価学会
21 件 のできごとがありました

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1871/07/23,明治4/06/06
創価学会を創立する牧口常三郎が誕生。
1944/11/18,昭和19/11/18
牧口常三郎、没。74歳(誕生:明治4(1871)/06/06)。創価学会を創立した。
1951/05/03,昭和26/05/03
創価学会会長に、戸田城聖が就任する。
1959/06/02,昭和34/06/02
第5回参議院議員選挙が行われ、創価学会候補者6人が全員当選する。
1960/05/03,昭和35/05/03
池田大作が、創価学会会長に就任する。
1962/01/17,昭和37/01/17
創価学会政治連盟が、公明政治連盟と改称する。
1962/07/01,昭和37/07/01
第6回参議院議員選挙が行われ、革新系議員が3分の1を割り、創価学会9人は全員当選する。藤原あき、加藤シズエが当選する。
1969/08/31,昭和44/08/31
藤原弘達の『創価学会を斬る』の出版予告が出る。以後藤原に学会と公明党から圧力がかけられることになる。
1970/05/03,昭和45/05/03
創価学会総会で池田大作会長が出版妨害問題を反省し、公明党との「政教分離」を表明する。
1970/06/26,昭和45/06/26
公明党大会が開かれ、創価学会との政教分離をはかる新綱領を採択する。
1974/12/28,昭和49/12/28
共産党と創価学会が、相互不干渉・共存など、10年の期限の合意協定を結ぶ。
1975/07/27,昭和50/07/27
共産党と創価学会が、相互不干渉・共存の十年協定を発表。
1985/04/22,昭和60/04/22
宮本共産党議長宅の電話盗聴事件で、東京地裁が創価学会副会長の故北条浩の関与を認めて慰謝料の支払いを命じる判決を下す。
1988/06/06,昭和63/06/06
公明党が、創価学会の池田名誉会長を批判した大橋敏雄代議士を除名する。
1989/07/03,平成1/07/03
横浜のゴミ処理場で見つかった1億7500万円は脱税した金だったと、持ち主の創価学会幹部が告白する。
1991/07/02,平成3/07/02
日蓮正宗総本山の大石寺が、創価学会を通しての団体登山を事実上禁止する。
1991/11/07,平成3/11/07
日蓮正宗の総本山大石寺が創価学会に対し「信徒としての本分を忘れ、本山を攻撃している」などを理由に団体の解散を勧告する文書を送る。
1991/11/28,平成3/11/28
日蓮正宗の総本山大石寺が創価学会と創価学会の国際連合組織SGIに破門通告書を送付する。
1995/11/28,平成7/11/28
宗教法人法を審議している参議院特別委員会が審議を終え、与党側が参考人として池田大作創価学会名誉会長らを国会に呼ぶことを求める。新進党は全会一致でなければ呼ぶことはできないとして反発する。
1995/11/30,平成7/11/30
与党3党が、創価学会の池田名誉会長に参考人招致を目指す方針を確認するが、結局この国会では秋谷栄之助創価学会会長のみを参考人招致とすることを決める。
1995/12/04,平成7/12/04
参議院の宗教法人の関する特別委員会で、連立与党が創価学会の秋谷栄之助会長ら6人を参考人招致して池田大作・創価学会インタナショナル会長の政治的関与の有無について実態をただす。

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--------------------------------------------------------------------------------------------資料(5)
全文検索 キーワード = 自民党
378 件 のできごとがありました

--------------------------------------------------------------------------------http://macao.softvision.co.jp/dbpwww/  歴史データベース on tha Web


1910/03/12,明治43/03/12
自民党総裁・首相となる大平正芳誕生。
1914/09/17,大正3/09/17
自民党のドンとなる金丸信が山梨県に誕生。
1917/10/31,大正6/10/31
自民党顧問で社会党から自民党へくら替えする政治家となる山口シヅエが東京に誕生。
1939/06/17,昭和14/06/17
防衛庁長官・官房長官・自民党幹事長になる加藤紘一が加藤精三の5男として鶴岡市に誕生。
1956/04/05,昭和31/04/05
自民党臨時大会が開かれ、鳩山一郎が初代総裁に選出される。
1956/04/30,昭和31/04/30
自民党が、衆議院本会議で小選挙区法案を強行採決しようとして乱闘寸前となる。
1956/12/14,昭和31/12/14
石橋湛山が自民党大会の決戦投票で自民党総裁に選ばれる。
1958/11/04,昭和33/11/04
自民党が、警職法改正案の成立を目指して衆議院本会議で会期延長を抜き打ち強行採決する。
1958/12/27,昭和33/12/27
自民党反主流派の池田隼人ら3閣僚が辞任する。
1959/02/18,昭和34/02/18
藤山愛一郎外相が政府・自民党首脳との会談で、安保改定の藤山試案を発表する。
1959/07/21,昭和34/07/21
自民党が、安保反対を唱え始めた原水協を批判し、補助金中止と不参加を決める。
1960/05/17,昭和35/05/17
自民党の清瀬衆議院議長と社会党の中村衆議院副議長が党籍を離脱する。
1960/05/19,昭和35/05/19
衆議院安保特別委員会で自民党が質疑打ち切りを強行する。衆議院議長が警官500人を導入し、社会党議員を排除して本会議を開会する。
1960/05/20,昭和35/05/20
午前零時すぎ、衆議院は自民党単独で新安保条約を可決する。
1960/05/26,昭和35/05/26
参院本会議が、自民党・同志会だけで会期50日延長を議決する。安保阻止国民会議が国会周辺で、「安保批准阻止、岸内閣総辞職、国会解散」を叫んで17万人を越す空前のデモを行う。
1960/06/08,昭和35/06/08
参院自民党が単独で安保特別委員会を開き審議を強行する。
1960/06/20,昭和35/06/20
参院が、自民党による単独採決で安保関係国会法などを可決する。
1960/07/14,昭和35/07/14
自民党大会で、池田勇人を総裁に選出する。
1960/09/05,昭和35/09/05
自民党が、高度成長・所得倍増などの新政策を発表する。
1961/07/15,昭和36/07/15
自民党の資金調達機関の国民協会が発足する。
1961/12/17,昭和36/12/17
那覇市長選で、自民党の西銘順治が当選する。
1962/09/19,昭和37/09/19
自民党の松村謙三議員が、北京で周恩来首相と会談し、積み上げ方式による日中関係正常化で合意する。
1963/04/05,昭和38/04/05
東京地裁が、八幡製鐵の自民党への献金を目的外行為と認定し、会社に損害賠償を命令する。
1963/04/19,昭和38/04/19
警視庁が、東京都知事選挙で東竜太郎派のにせ証紙使用容疑で自民党都選対策本部を捜索する。
1963/06/18,昭和38/06/18
自民党が、衆院社会労働委員会で職安法と緊急失対法改正案を強行採決する。
1964/05/29,昭和39/05/29
大野伴睦、没。73歳(誕生:明治23(1890)/09/20)。衆議院議長、自民党副総裁をつとめた政治家。
1964/06/11,昭和39/06/11
政府・自民党が、農地報償に1456億円の交付公債支給を決定する。
1964/06/17,昭和39/06/17
自民党が、参議院法務委員会で暴力行為処罰法改正案を強行採決する。
1964/06/20,昭和39/06/20
自民党と社会党が妥協し、暴力行為処罰法が参議院で可決成立する。
1965/12/04,昭和40/12/04
参議院日韓特別委員会で自民党が強行採決を行う。
1966/08/05,昭和41/08/05
東京地検が、田中彰治自民党代議士を、恐喝・詐欺容疑で逮捕する(政界の黒い霧事件)。
1966/12/01,昭和41/12/01
自民党総裁選で、佐藤栄作が藤山愛一郎を破り再選される。
1967/01/29,昭和42/01/29
第31回衆議院議員選挙が行われれ、自民277、社会140、民社30、公明25、共産5となり、自民党の得票率が過半数を割る。
1967/07/18,昭和42/07/18
自民党と日本社会党が、国対委員長会談で防衛2法改正案と一酸化炭素中毒症特別措置法案をともに成立させることで妥協する。
1967/12/20,昭和42/12/20
タクシー汚職で、自民党の関谷勝利衆議院議員に対する逮捕許諾請求が出される。
1968/06/24,昭和43/06/24
東京地検特捜部が、日通事件にからむ300万円収賄容疑で自民党池田正之輔代議士を任意で取り調べる。池田代議士は、1971年に懲役1年6ヵ月の実刑判決を受ける。
1969/07/13,昭和44/07/13
東京都議選が行われ、自民党が第1党に復帰する。
1970/06/24,昭和45/06/24
八幡製鐵の一株株主が企業の自民党への献金は違法と訴えていた訴訟で、最高裁が合法と判決を下す。
1970/10/29,昭和45/10/29
自民党総裁選で佐藤栄作が4選される。
1971/01/21,昭和46/01/21
自民党25回大会が開かれ、総裁任期を2年から3年に延長する。
1971/11/17,昭和46/11/17
衆議院沖縄返還協定特別委員会で自民党が返還協定を抜き打ち採決する。
1971/12/30,昭和46/12/30
自民党が沖縄関連4法案を単独強行裁決する。
1972/07/05,昭和47/07/05
田中角栄が自民党総裁に選ばれる。
1973/07/17,昭和48/07/17
自民党タカ派議員が青嵐会を結成。趣意書に血判を押す。
1973/10/14,昭和48/10/14
山形県の県知事選挙が行われ、自民党が推薦・民社党が支持する板垣清一郎が、社会・共産両党が推薦する山形大学教授の山崎吉雄を破って初当選する。
1974/05/25,昭和49/05/25
自民党が衆議院で靖国神社法案を単独可決(参議院で廃案)。
1974/12/04,昭和49/12/04
自民党両院議員総会が、椎名副総裁裁定により総裁に三木武夫を選出する。
1975/01/20,昭和50/01/20
自民党の保利茂衆議院議員が訪中し、周恩来首相、トウ小平副首相と会談する。
1975/07/20,昭和50/07/20
自民党訪朝議員団が北朝鮮を訪問して金日成主席と会談する。
1975/09/26,昭和50/09/26
自民党が単独採決で値上げ3法案を委員会に付託する。
1976/05/10,昭和51/05/10
椎名自民党副総裁が福田副総理と会談し、三木首相退陣で三派合意がなる(三木おろし)。しかし三木首相はこの場をしのぐ。
1976/05/13,昭和51/05/13
自民党内の三木退陣工作(三木おろし)が表面化する。
1976/06/25,昭和51/06/25
自民党を離党した河野洋平らが新自由クラブを結成する。
1976/08/20,昭和51/08/20
東京地検特捜部が、元運輸政務次官の自民党代議士佐藤孝行をエアバス導入延期の請宅を受け、現金200万円を受け取った受託収賄罪の疑いで逮捕する。
1976/08/21,昭和51/08/21
東京地検特捜部が、元運輸相の自民党代議士橋本登美三郎をエアバス導入延期の請宅を受け、現金数百万円を受け取った受託収賄罪の疑いで逮捕する。
1976/12/05,昭和51/12/05
第34回衆議院議員選挙が行われ、自民党が保守系無所属8人を加えてようやく過半数を得る。
1977/01/26,昭和52/01/26
自民党大会で、派閥解消、総裁公選などを決める。
1977/03/09,昭和52/03/09
自民党の福田派が解散する。
1977/03/10,昭和52/03/10
自民党の大平派が解散する。
1977/03/16,昭和52/03/16
自民党の旧田中派が解散する。
1977/03/31,昭和52/03/31
自民党の三木派が解散する。
1978/01/21,昭和53/01/21
自民党の旧田中派が、政治団体「政治局友会」を結成する。派閥の復活が始まる。
1978/11/01,昭和53/11/01
自民党総裁予備選挙が告示される。
1978/11/27,昭和53/11/27
自民党総裁候補予備選挙で、大平正芳が福田赳夫を上回り第1位になる。第1位を確信していた福田赳夫は「天の声にも変なのがある」と言って本選挙立候補辞退を表明する。
1979/07/25,昭和54/07/25
松野頼三自民党代議士が議員を辞職する。
1979/10/07,昭和54/10/07
第35回総選挙が行われ、自民党は過半数を割る。40日抗争の始まり。
1980/05/16,昭和55/05/16
衆議院本会議で、社会党提出の大平内閣不信任案が成立する。自民党の内部抗争による福田派などの国会欠席が原因。
1980/05/16,昭和55/05/16
自民党刷新連盟代表が、大平正芳首相に党改革・綱紀粛正で申し入れを行うが、会談は不調に終る。
1980/10/23,昭和55/10/23
自民党田中派の「木曜クラブ」が発足する。
1981/05/18,昭和56/05/18
政府と自民党首脳が、前日のライシャワー大使の発言について協議し、核存在否定の態度を確認する。
1981/09/03,昭和56/09/03
自民党が、東京で北方領土返還要求国民総決起大会を初めて開催する。
1981/11/30,昭和56/11/30
鈴木改造内閣が発足する。二階堂進が自民党幹事長となる。
1983/01/09,昭和58/01/09
中川一郎代議士が札幌のホテルで急死する。11日に自殺と判明する。57歳(誕生:大正14(1925)/03/09)。自民党のニューリーダーのひとり。
1983/01/11,昭和58/01/11
9日に急死した自民党の中川一郎は自殺だったことが判明する。
1983/06/26,昭和58/06/26
第13回参議院議員選挙が行われる(初の比例代表制)。自民党は改選前を3議席上回る議席を獲得する。
1983/12/26,昭和58/12/26
自民党と新自由クラブが統一会派を結成する。
1984/02/14,昭和59/02/14
自民党の三塚博政調副会長が、衆議院予算委員会で少女雑誌5誌をとりあげ、露骨な性表現を批判する。業界は自主規制へ。
1984/05/07,昭和59/05/07
宮沢元官房長官が自民党総裁選に向け、「資産倍増論」を提唱する。
1984/09/10,昭和59/09/10
自民党総裁選に鈴木派の宮沢喜一が出馬することを表明する。田中角栄は中曽根再選を支持する。
1984/09/17,昭和59/09/17
藤尾正行自民党政調会長が、自民党研修会で「天皇制や教育勅語には間違いはひとつもない」と発言する。
1984/09/19,昭和59/09/19
永田町の自民党本部が放火され、3階から7階までを焼く。中核派が犯行声明を出す。
1985/02/07,昭和60/02/07
金丸・竹下が中心になって進めてきた勉強会「創政会」が結成される。自民党田中派は事実上分裂する。
1985/05/28,昭和60/05/28
自民党議員が、国家機密法案を提出する。
1985/05/31,昭和60/05/31
自民党が、衆議院定数の「6増・6減案」を衆議院に提出する。
1985/11/12,昭和60/11/12
自民党両院議員総会が、立党30年記念の「特別宣言」と「政策綱領」を了承する。
1985/12/12,昭和60/12/12
田中元首相の秘書だった佐藤照子が東京に事務所を開く。自民党議員37人が祝う。
1986/04/25,昭和61/04/25
撚糸工連事件で、東京地検が自民党の稲村左近四郎代議士を収賄容疑で取り調べる。
1986/09/22,昭和61/09/22
中曽根首相が自民党全国研修会で日本国民の知的水準の高さを強調し、「アメリカには黒人などが相当いるため平均的には知識水準が非常に低い」と述べる。
1986/09/22,昭和61/09/22
中曽根首相が自民党全国研修会で「日本の女性は首相のネクタイと背広しか見ておらず、発言内容はすぐ忘れる」と発言する。
1986/09/25,昭和61/09/25
アメリカ下院が、22日の自民党全国研修会での中曽根首相の「アメリカには黒人などがいて知識水準が低い」発言に対する非難決議案が提出される。
1987/04/15,昭和62/04/15
衆議院予算委員会で、自民党が87年度予算案を強行採決する。
1987/04/21,昭和62/04/21
自民党が、衆議院本会議を開会を強行する。野党は牛歩戦術で抵抗する。
1987/05/21,昭和62/05/21
ホテル・オークラで「竹下登自民党幹事長激励の夕べ」の大パーティが開かれる。
1987/10/02,昭和62/10/02
安部晋太郎代議士が自民党総裁選に出馬を表明する。
1987/10/03,昭和62/10/03
宮沢喜一代議士が自民党総裁選に出馬を表明する。
1987/10/05,昭和62/10/05
竹下登代議士が自民党総裁選に出馬を表明する。
1987/10/05,昭和62/10/05
自民党総裁候補の竹下登が、金丸信、小沢一郎とともに東京プリンスホテルで渡辺広康佐川急便社長と会い、皇民党対策を協議する。後に竹下事務所がホテルの予約をとっていたことが判明する。
1987/10/06,昭和62/10/06
自民党総裁候補の竹下登が側近の小沢一郎とともに田中角栄邸を訪れるが門前払いとなる。
1987/10/20,昭和62/10/20
竹下登が中曽根裁定で自民党総裁に選出される。
1987/10/29,昭和62/10/29
東京・銀座の料亭「吉兆」で竹下・金丸両代議士が渡辺広康佐川急便社長と会食し、自民党総裁に選ばれた竹下代議士が渡辺社長に礼を述べる(渡辺社長の検事調書による。竹下は1992年11月の衆議院予算委員会での証人喚問でこの日「吉兆」へ行ったことを否定するが、後に事実と判明)。
1987/10/31,昭和62/10/31
臨時自民党大会で、竹下登が正式に総裁に選出され、金丸信は竹下派の会長に就任する。
1988/06/14,昭和63/06/14
自民党が、税率3%の消費税を導入する税制改革大綱を決定する。
1988/07/05,昭和63/07/05
リクルートコスモスの未公開株譲渡問題で、中曽根前首相、安部自民党幹事長、宮沢蔵相の各秘書が関係していたことが明らかになる。
1988/07/23,昭和63/07/23
自民党の渡辺政調会長が黒人差別の発言をする。
1988/11/10,昭和63/11/10
自民党が、衆院税制特別委員会で消費税法案等を単独強行可決する。
1988/12/21,昭和63/12/21
自民党が、参議院特別委員会で税制改革6法案を強行採決する。
1989/04/28,平成1/04/28
衆議院本会議で、自民党が1989年度予算を憲政史上初の単独強行採決を行う。
1989/05/31,平成1/05/31
リクルート疑惑の中曽根康弘前首相が自民党を離党する。
1989/07/02,平成1/07/02
東京都議会選挙が行われる。3日の開票の結果、社会党が圧勝し、自民党が大敗を喫する。
1989/08/08,平成1/08/08
自民党が、両院議員総会の投票で第14代総裁に海部俊樹を選出する。
1989/08/09,平成1/08/09
国会の首班指名投票で、衆議院は海部自民党総裁、参議院は土井社会党委員長が指名されるが、憲法に基づき海部総裁が選ばれる。
1989/11/13,平成1/11/13
来日中のソ連のヤコブレフが小沢一郎自民党幹事長と会談する。
1989/12/15,平成1/12/15
野党の6会派提出の被爆者援護法が参院本会議で可決される。自民党の反対で衆院で審議未了となり廃案となる。
1990/02/13,平成2/02/13
衆議院議員選挙中、浜田幸一候補(自民党)が暴力団員に金属棒で殴られ頭に5針縫う大怪我を負う。
1990/02/18,平成2/02/18
第39回衆議院議員選挙が行われ、自民党が追加公認を含め286で圧勝する。自民275、社会136、公明45、共産16、民社14、社民連4、進歩1、無所属21という結果。
1990/02/27,平成2/02/27
特別国会が、第77代首相に海部俊樹自民党総裁を指名する。
1990/07/15,平成2/07/15
宮田輝、呼吸不全で自民党に恨みを残して没。68歳(誕生:大正10(1921)/12/25)。NHKの人気アナウンサーで参議院議員(全国区)だった。
1990/10/10,平成2/10/10
自民党の小沢一郎幹事長ら北朝鮮訪問団が金日成主席と会談する。
1991/01/24,平成3/01/24
政府・自民党が、湾岸戦争支援策として、多国籍軍に90億ドル(1兆2000億円)を追加支出することを決める。
1991/01/29,平成3/01/29
自民党の幹事長・書記長が、「鈴木東京都知事の4選出馬不支持」を確認する。
1991/02/04,平成3/02/04
衆議院予算委員会で浜田幸一が、湾岸戦争に伴う日本の支援策の関連質問の中で、社会党の国対委員長が自民党から1年間に50万円ずつ20回もらっている、と発言して問題になる。
1991/03/25,平成3/03/25
小沢一郎自民党幹事長がソ連を訪問し、ゴルバチョフ・ソ連大統領と会談する。
1991/04/07,平成3/04/07
小沢一郎自民党幹事長が都知事選と党内混乱の責任をとって辞任を表明する。
1991/05/15,平成3/05/15
安部晋太郎元自民党幹事長が死去する。自民党安部派の抗争が始る。67歳(誕生:大正13(1924)/04/29)。
1991/06/20,平成3/06/20
自民党旧安倍派が党内第2派閥「三塚派」としてスタートする。
1991/10/03,平成3/10/03
自民党竹下派の総会で金丸信が海部首相の「重大決意」発言を厳しく批判し、退陣を勧告する。
1991/10/04,平成3/10/04
海部首相が「重大な決意」と発言しながら何もできなかったとして竹下派の金丸信に見限られ、自民党総裁選挙への出馬を断念する。
1991/10/11,平成3/10/11
自民党竹下派が、自派独自の自民党総裁候補擁立を断念し、宮沢喜一を支持することを決定する。
1991/10/19,平成3/10/19
自民党総裁選が告示され、宮沢喜一、渡辺美智雄、三塚博が立候補する。しかし、竹下派の支持を取り付けた宮沢は圧倒的に優位。
1991/10/27,平成3/10/27
自民党総裁選挙の開票の結果、竹下派の支持を受けた宮沢喜一が選ばれる。だが竹下派全員ということにはならず不安を残す。
1992/01/08,平成4/01/08
金丸信が自民党副総裁に就任する。
1992/01/13,平成4/01/13
自民党宮沢派の阿部文男代議士が、鉄工加工会社「共和」からの収賄容疑で逮捕される。
1992/01/14,平成4/01/14
前参議院議長で自民党の土屋義彦が埼玉県知事に立候補することを表明する。
1992/02/06,平成4/02/06
自民党の国防関係3部会が、防衛計画の大綱見直しを了承する。
1992/02/09,平成4/02/09
参議院奈良選挙区の補欠選挙で、「連合の会」の新人候補が自民党候補を大差で破って当選する。宮沢政権に打撃となる。
1992/02/21,平成4/02/21
自民党総務会で、天皇の中国訪問に慎重論が出る。
1992/02/27,平成4/02/27
自民党の金丸信副総裁が、景気回復のため公定歩合引き下げを「日銀総裁の首を切っても」と強気の発言をする。
1992/03/20,平成4/03/20
自民党の金丸信副総裁が、足利市で応援演説中に右翼団体の男に拳銃で狙撃されるが、弾は3発とも全て外れる(犯人の渡辺は93年2月9日懲役12年の判決が下る)。
1992/04/27,平成4/04/27
埼玉県知事選挙に絡み、金丸信自民党副総裁が前参議院議長の土屋義彦と会談し、土屋・畑両候補が立候補を辞退して第3の候補者を立てる方向で調停工作を始める。
1992/05/29,平成4/05/29
自民党が、選挙報道に関し、投票日前の一定期間、新聞・テレビなどの「当落」予測を禁止する公選法改正案を与野党政治改革協議会の実務者会議に提示する。
1992/07/27,平成4/07/27
26日の第16回参議院議員選挙で、自民党は69議席を獲得し復調。社会党は不振、連合は惨敗、共産・民社は低迷、公明は議席増。細川護煕・小池ユリ子の日本新党は比例区で4議席。
1992/08/10,平成4/08/10
天皇・皇后の中国訪問について自民党には慎重論が根強かったが、宮沢首相は首相決断として10月下旬に実現させることを表明する。
1992/08/27,平成4/08/27
自民党の金丸信副総裁が、東京佐川急便からの5億円を受領した事実を認め、副総裁と竹下派の会長の辞任の意思を表明する。
1992/08/31,平成4/08/31
自民党竹下派の議員研修会で緊急総会を開き、佐川急便からの献金授受を認めて同派会長職の辞任を表明している金丸信代議士に対し、引続き会長職にとどまるよう求めることを決議する。
1992/09/07,平成4/09/07
金子清新潟県知事が東京地検特捜部の取り調べに対して東京佐川急便からの1億円の献金の事実をほぼ全面的に認める供述をする。東京地検は自民党金丸信前副総裁の秘書からも事情聴取する。
1992/09/25,平成4/09/25
金丸信前自民党副総裁が上申書を検察庁特捜部に提出し、5億円受領の容疑を認める。上申書提出で20万円の罰金刑が確定するが、世論の反発が増大する。
1992/10/09,平成4/10/09
自民党総務会で、若手議員らが金丸信代議士の離党を要求する。
1992/10/14,平成4/10/14
金丸信前自民党副総裁が、東京佐川急便からの5億円献金に対する世間の批判が強いため衆議院議員を辞職することを表明する。
1992/10/17,平成4/10/17
自民党の小渕前幹事長が、竹下政権誕生と暴力団との関わりあいについて竹下元首相が証人喚問に応じる見通しを明らかにする。
1992/10/18,平成4/10/18
自民党竹下派が最高幹部会議を開き新会長選出の論議を行うが、小沢一郎を推すグループと反小沢のグループが対立し、散会する。
1992/10/21,平成4/10/21
自民党竹下派の中に小沢グループが誕生する。
1992/10/22,平成4/10/22
自民党竹下派の幹部会が、小沢一郎会長代行系の欠席する中で、反小沢系の推薦する小淵恵三副会長の後継会長就任を決める。小沢系は反発する。
1992/10/26,平成4/10/26
大阪佐川急便から自民党大阪府連に、東京佐川急便事件発覚後に660万円の献金があったことが判明する。
1992/10/28,平成4/10/28
自民党竹下派が総会を開き、109人中93人が出席して小渕恵三を新会長に正式決定する。小沢派は反発し、新政策集団「改革フォーラム」を結成する。
1992/11/05,平成4/11/05
東京地裁で開かれた東京佐川急便事件の公判で、皇民党総裁が自民党の金丸元副総裁、小渕恵三竹下派会長ら7人に接触したという東京地検特捜部への供述が実名で明らかにされる。
1992/11/06,平成4/11/06
自民党の綿貫幹事長が、5日の公判の検事調書朗読で自民党議員の名前が公表されたことに関し、大島皇民党総裁と担当検事らを告訴する方針であることを発表する。しかし、この方針は11/10にとりやめになる。
1992/11/11,平成4/11/11
野党の金丸前自民党副総裁・竹下元首相などの国会証人喚問要求に対抗して、自民党が、佐川急便の疑惑がもたれている元社会党の安恒良一参議院議員ら野党11人の議員の証人喚問を要求する。
1992/11/26,平成4/11/26
衆議院予算委員会で、東京佐川急便事件・自民党総裁選時の皇民党の「ほめ殺し」に関連して竹下登元首相の証人喚問が行われる。さらに、渡辺広康元佐川急便社長に対する東京拘置所内での出張尋問が行われる。
1992/11/27,平成4/11/27
小田原市立病院に入院している金丸信前自民党副総裁の臨床尋問が行われ、金丸元代議士は竹下政権誕生時の暴力団の関与を認める。
1992/11/30,平成4/11/30
浦田勝参議院議員が、「自民党総裁選の直前、竹下議員が『田中政権を守る』という念書を書いた」と発言したことを「思い違いだった」と取消し陳謝する。
1992/12/10,平成4/12/10
自民党竹下派が分裂する。
1992/12/11,平成4/12/11
衆議院予算委員会で金丸前自民党副総裁の生原(はいばら)正久元秘書に対する証人喚問が行われる。5億円を1990年総選挙前に受領と証言するが、配分先は証言拒否する。
1992/12/15,平成4/12/15
自民党税制調査会が、小泉純一郎郵政相と党通信部会との間で対立していた高齢者などの利子非課税制度(老人マル優)の限度額引き上げについて、大臣案を容れて見送ることを決める。しかし16日に50万円拡大で政治決着。
1992/12/18,平成4/12/18
自民党竹下派から小沢グループの「改革フォーラム21」44人が独立し、羽田派として旗揚げする。
1993/01/19,平成5/01/19
自民党羽田派の事務所開きが行われる。
1993/02/17,平成5/02/17
衆議院予算委員会で、5億円献金問題と日本皇民党事件に関して小沢一郎自民党元幹事長の証人喚問が行われる。午後に行われた竹下登元首相に対する3回目の証人喚問では金屏風疑惑が取上げられるが、竹下は否定する。
1993/03/06,平成5/03/06
金丸信前自民党副総裁と生原正久秘書が、昭和62年と平成元年の8億円脱税の所得税法違反の容疑で東京地検に逮捕される。
1993/03/11,平成5/03/11
福島交通の小針会長に対する臨床尋問が行われ、小針会長は金丸前自民党副総裁に割引金融債の購入を勧めたことを認める。
1993/04/07,平成5/04/07
自民党羽田派の羽田孜代表が、小選挙区・比例代表並立制の「野党との妥協案」を提示する。
1993/05/25,平成5/05/25
自民党の「政治改革を実現する若手議員の会」が、「野党と妥協してでも今国会で政治改革を実現すべきだ」という署名運動に、同党の衆参国会議員381人のうち219人の署名を集め、首相に手渡す。
1993/06/17,平成5/06/17
共産党を除く野党が宮沢内閣不信任案を提出し、自民党羽田派がこれに同調する動きを示す。
1993/06/18,平成5/06/18
衆議院本会議で、社会・公明・民社が提出した宮沢内閣不信任案が、野党各党と自民党羽田派などの255対220の賛成多数で可決される。政府はただちに衆議院を解散する。武村正義党政治改革推進本部長ら若手議員11名が離党することを表明し、自民党は分裂する。
1993/06/21,平成5/06/21
自民党を離党した武村正義前党政治改革推進本部事務局長ら若手代議士10人が、「新党さきがけ」を結成する。
1993/06/22,平成5/06/22
羽田派の前衆議院議員35人と参議院議員8人、新たに羽田派に加わった1人の計44人が自民党を離党する。
1993/06/23,平成5/06/23
自民党を離党した羽田孜前蔵相ら前代議士36人と参議院議員8人の計44人が新党「新生党」を結成する。党首は羽田、代表幹事は小沢一郎。
1993/06/27,平成5/06/27
東京都議会議員選挙が行われ、即日開票の結果日本新党が20議席と大躍進、自民党44議席で1議席増、社会党は29議席から14議席に減り惨敗する。
1993/07/22,平成5/07/22
宮沢自民党総裁が退陣を表明する。自民党両院議員総会が紛糾し、後継総裁は自民党国会議員全員の投票で選出することとなる。
1993/07/28,平成5/07/28
自民党総裁に、渡辺美智雄と河野洋平が立候補する。
1993/07/30,平成5/07/30
自由民主党の総裁選挙が自民党本部で行われ、第16代総裁に河野洋平が選出される。
1993/08/04,平成5/08/04
田名部匡省農相が自民党離党のため辞任する。
1993/08/05,平成5/08/05
宮沢内閣が総辞職する。第127特別国会が開かれるが、議長の選出などに関して非自民各党と自民党の意見が対立して本会議が開かれず、首班指名が延期となる。
1993/09/17,平成5/09/17
河野洋平が、自民党総裁に無投票で再選される。
1993/11/15,平成5/11/15
細川首相と自民党河野総裁が、政治改革関連法案の修正問題について深夜国会内でトップ会談を行うが合意に達せず。
1993/11/18,平成5/11/18
衆議院本会議で、政治改革関連法案が連立与党の賛成多数(270対226)で可決される。自民党13人、社会党5人が造反する。
1993/12/15,平成5/12/15
衆議院本会議が、野党自民党欠席のまま45日間の会期延長を議決する。
1993/12/25,平成5/12/25
田中角栄元首相の自民党・田中家合同葬が都内で行われる。
1994/01/04,平成6/01/04
自民党を離党した西岡武夫衆議院議員らが、衆議院に新会派の「改革の会」を結成する。
1994/01/05,平成6/01/05
参議院政治改革特別委員会が、自民党欠席のまま審議が始まる。
1994/01/06,平成6/01/06
自民党が出席して、参議院政治改革特別委員会が再開される。
1994/01/12,平成6/01/12
参議院自民党が、参議院政治改革特別委員会で本岡昭次委員長(社会党)に対する不信任動議を提出し、自民・共産・二院クの賛成で可決する。
1994/01/14,平成6/01/14
自民党の白川勝彦と社会党の伊東秀子の両代議士が「腐敗防止法案」を提案する。
1994/01/20,平成6/01/20
参議院政治改革特別委員会で政治改革関連4法案の裁決が行われ、自民党委員1名が造反した結果可決される。小選挙区274、比例代表は全国1ブロックで226、政治家個人への献金は禁止。
1994/01/21,平成6/01/21
参議院本会議で、政治改革関連4法案が、社会党で17人、自民党で5人の造反があり、賛成118、反対130で否決される。
1994/01/21,平成6/01/21
自民党の第58回定期党大会で、河野洋平総裁が政権奪回に向けた決意を表明する。
1994/01/22,平成6/01/22
灘尾広吉、没。94歳(誕生:明治32(1899)/12/21)。元衆議院議長。元文相・厚相、元自民党政務調査会長。
1994/01/28,平成6/01/28
土井衆議院議長の調停で、政治改革関連法案に関して細川首相と自民党河野総裁のトップ会談が行われ、小選挙区300、比例代表200、比例代表11ブロック単位、企業団体献金は政治家個人に団体1つで5年に限って年間50万円などで合意する。
1994/03/04,平成6/03/04
連立与党と自民党が、政治改革法案の修正案に合意する。衆議院での小選挙区比例代表制を柱とする改正政治改革関連4法案が参議院で可決され、成立する。
1994/03/17,平成6/03/17
東京地検特捜部が、自民党参議院議員の井上孝(比例区)と永田良雄(富山選挙区)を埼玉土曜会談合事件の告発阻止をめぐる中村代議士への斡旋収賄事件に関連して事情聴取する。
1994/03/27,平成6/03/27
石川県知事選挙で、連立与党の押す前副知事の谷本正憲候補(48)が自民党の押す前参議院議員石川弘候補(56)を僅差で破る。
1994/04/08,平成6/04/08
日本新党が新たに新会派「改革」を結成し、新生党・公明党が積極的に参加する方針を固める。自民党の渡辺美智雄元副総理がこれに呼応する動きをみせる。
1994/04/11,平成6/04/11
細川首相の後継候補選びで連立与党が、自民党の一部(渡辺美智雄)と連携を探ろうとする新生・公明・日本新各党と、これに反発する社会・民社・さきがけに事実上分裂する。
1994/04/17,平成6/04/17
渡辺美智雄元副総理・外相が、自民党を離党することを表明する。
1994/04/18,平成6/04/18
鹿野前総務庁長官ら5人が自民党を離党して「新党みらい」を結成する。自民党「リベラルズ」(渡辺派)の太田誠一ら5人が離党する。
1994/04/18,平成6/04/18
渡辺美智雄元副総裁が、自民党離党を断念する。
1994/05/13,平成6/05/13
自民党が、奥田敬和衆議院運営委員長(新生党)の解任決議案を提出する。
1994/05/14,平成6/05/14
社会党の中間・右派議員の政策集団「デモクラッツ」が、自民党の一部、民社、新党さきがけ、日本新党などと社民リベラル勢力による新会派「新民主連合」の結成を訴える。
1994/05/16,平成6/05/16
自民党の山崎拓(渡辺派)、加藤紘一(宮沢派)、小泉純一郎(三塚派)の「YKK」が中心となる新政策行動集団「グループ新世紀」が発足する。
1994/05/17,平成6/05/17
衆議院議員運営委員会の理事会で、自民党提出の奥田委員長解任決議案の扱いを協議した結果、社会党が裁決延期の要請を行ったのを受けて当面裁決を行わないことを決める。
1994/05/20,平成6/05/20
伊東正義が肺炎のため東京の自宅で没。80歳(誕生:大正2(1913)/12/15)。外相を努め、総理大臣の椅子を断った自民党代議士。
1994/06/22,平成6/06/22
自民党が、羽田内閣不信任案を衆議院に提出する。
1994/06/29,平成6/06/29
自民党が首班指名候補として村山富市社会党委員長支持を決め、連立与党が支持し自民党を離党した海部俊樹元首相と衆議院本会議で決戦投票となる。村山富市が第81代内閣総理大臣に指名され、自民・社会・さきがけ連立政権が誕生する。社会党としては47年ぶり2人目の総理大臣の誕生となる。
1994/06/30,平成6/06/30
重要閣僚を自民党が占めた村山連立内閣が発足する。自民党総裁の河野洋平が副総理外相、官房長官に社会党五十嵐広三、蔵相に新党さきがけ武村正義、通産相に自民党橋本龍太郎。自民党の田中真紀子が科学技術庁長官となる。
1994/07/05,平成6/07/05
小渕恵三が自民党副総裁、加藤紘一が政調会長、島村宣伸が国会対策委員長に就任する。
1994/07/28,平成6/07/28
自民・社会・新党さきがけの与党3党が、防衛費0.9%増で決着する。自民党が社会党要求をのんだ結果。
1994/08/14,平成6/08/14
桜井環境庁長官が、12日の侵略戦争否定発言の責任をとって辞意を表明する。村山首相は後任として自民党三塚派の宮下元防衛庁長官を任命する。
1994/10/08,平成6/10/08
ニューヨーク・タイムズ紙が、1950年代から60年代にかけてCIAが日本の自民党に数百万ドルの資金援助をしていたと報道する。
1994/12/30,平成6/12/30
自民党北海道連から北海道知事選への出馬要請を受けている社会党の伊東秀子衆議院議員(51)が、出馬する方向で後援会関係者と協議に入る。
1995/01/13,平成7/01/13
社会党に離党届を出し除名された伊東秀子代議士が、北海道知事選に自民党推薦で正式に出馬表明する。
1995/02/05,平成7/02/05
青森、愛知、熊本の3県知事選挙と広島、北九州の2政令指定都市市長選挙が行われる。青森では自民党系の現職北村正哉が新進党系の新人木村守男に敗れる。その他は自民、新進などが相乗りの現職が当選する。
1995/03/24,平成7/03/24
天野光晴が急性肺炎のため都内の病院で没。87歳(誕生:明治40(1907)/03/26)。元自民党代議士で中曽根内閣で最高齢の建設相を務めた。
1995/04/09,平成7/04/09
統一地方選挙が行なわれ、東京都知事は青島幸男(62)、大阪府知事は横山ノック(63)、北海道知事は社会党・新進党推薦の掘達也(59)、岩手県知事は新進党推薦の増田寛也(43)、秋田県知事は無所属現職で自民・社会推薦の佐々木喜久治(73)、神奈川県知事は元環境事務次官の岡崎洋(63)、福井県知事は現職の栗田幸雄(65)、福岡県知事は麻生渡(55)、佐賀県知事は現職の井本勇(69)、島根県知事は澄田信義(60)、大分県知事は平松守彦(71)、鳥取県知事は西尾邑次(74)、三重県知事は新進党・さきがけ推薦の北川正恭(50)が当選する。札幌市長は現職の桂信雄(64)が当選する。道府県議会議員選挙も、社会党、自民党、新進党とも議席を大幅に減らし、既成政党離れの傾向が明確になる。
1995/04/12,平成7/04/12
来日中の韓国の金大中が村山首相と会談し、自民党などからでている日本のアジア侵略を正当化する論議を批判する。
1995/04/28,平成7/04/28
都議会最大会派の自民党が総会を開き、青島都知事の世界都市博中止を再考するよう求めることを決める。
1995/05/10,平成7/05/10
自民党の森幹事長が、村山首相の進退に言及すると受け取られる発言をする。
1995/05/16,平成7/05/16
自民党選挙対策本部の小委員会が、衆議院選挙の比例代表の候補者については、次の総選挙から5年後をめどに73歳定年制を導入することでほぼ合意する。
1995/06/03,平成7/06/03
渡辺美智雄元副総理・外相が、宇都宮市内で開かれた自民党県連大会の挨拶と記者会見で、日韓併合条約について「併合条約は円満に作られた国際的条約であり植民地支配ではない」旨の発言を行う。以後国際問題化する。
1995/06/06,平成7/06/06
自民党の譲歩で戦後50年決議案がまとまる。「近代史上の植民地支配や侵略的行為に思いをいたし我が国のこうした行為やアジア諸国に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する。過去の歴史観の相違を越え、歴史の教訓を謙虚に学び、平和な国際社会を築いていかねばならない。」というもの。「侵略的行為」は英訳すると「acts of aggression」で「侵略行為」と同じになる。
1995/07/17,平成7/07/17
静岡県警が、南アフリカから200丁の拳銃を清水港に密輸入したとして元漁船員の伊良部博(44)ら2人を逮捕する。この拳銃は金丸元自民党副総裁を狙撃した拳銃も含まれることも判明する。
1995/07/23,平成7/07/23
第17回参議院議員選挙が行われ、自民党46、社会党16、さきがけ3、新進党40、民主改連合2、共産党8、平和市民1、二院クラブ1、諸派無所属9。社会党は過去最低で、25議席も減らしたことになる。投票率は国政選挙最低の44%で、大勢立候補したタレント候補には厳しい結果となる。
1995/07/25,平成7/07/25
村山首相の参院選の結果を受けた中規模程度の内閣改造を行う意向を受けて河野外相が続投の意志を表明し、自民党内に異論が起こる。
1995/08/04,平成7/08/04
内閣改造で、河野外相は次期自民党総裁選を睨んで三塚派の支援を取り付けるため外相のポストを三塚派の森幹事長に譲るため外相留任を固持するが、村山首相は党の都合を改造人事に絡ませたくないとして河野外相を説得する。
1995/08/08,平成7/08/08
村山内閣の改造が行わる。河野副総理兼外相、武村蔵相、橋本通産相は留任し、処遇が注目されていた自民党の森喜朗幹事長は建設相となる。田沢智治法務相(自)、島村宣伸文部相(自)、森井忠良厚生相(社)、平沼赳夫運輸相(自)、井上一成郵政相(社)、野呂田芳成農相(自)、青木薪次労働相(社)、深谷隆司自治相(自)、野坂浩賢官房長官(社)、衛藤征四郎防衛庁長官(自)、宮崎勇経済企画庁長官(民間)、浦野烋興科学技術庁長官(自)、大島理森環境庁長官(自)、高木正明北海道・沖縄開発庁長官(自)、池端清一国土庁長官(社)、江藤隆美総務庁長官(自)。
1995/08/09,平成7/08/09
橋本龍太郎通産相が、自民党総裁選挙に立候補する意欲を小淵派に示す。
1995/08/21,平成7/08/21
橋本龍太郎通産省が自民党総裁選に立候補することを正式に明らかにする。河野総裁も再選を目指すことを表明する。
1995/08/22,平成7/08/22
東京都議会の最大会派の自民党が、コスモ信用組合に対する東京都の支援に反対する方針を決める。
1995/08/26,平成7/08/26
オーストラリアを訪問していた河野外相と橋本通産相が帰国し、自民党総裁選挙の運動が激しくなる。多数派工作で橋本通産相が優勢となる。
1995/08/28,平成7/08/28
河野自民党総裁が、形成不利と見て次期総裁選挙に立候補することを断念する。
1995/09/02,平成7/09/02
韓国を訪れている加藤政調会長が、橋本通産相が自民党総裁になっても政策は変らないと述べる。
1995/09/05,平成7/09/05
自民党三塚派で、森建設相または小泉元郵政相を橋本通産相の総裁選対立候補とするための動きが活発化する。
1995/09/06,平成7/09/06
自民党総裁選挙で森喜朗建設相が橋本通産相の対立候補に出馬しないことを表明する。小泉純一郎元郵政相は意欲を示すが30人の推薦人を集めることが困難との見方。
1995/09/10,平成7/09/10
午後7時27分、立候補に必要な30人の推薦人が揃い、小泉純一郎元郵政相が自民党総裁選に立候補を表明する。小泉元郵政相と橋本通産相の立候補記者会見が行われる。
1995/09/22,平成7/09/22
自民党総裁選の国会議員による投票が行われ、これまでに投票された党員の票と併せ、橋本龍太郎304(議員票239、党員票65)、小泉純一郎87(議員票72、党員票15)の得票となり、橋本通産相が第17代総裁に選出される。
1995/09/25,平成7/09/25
橋本総裁の下での自民党の新体制がスタートする。幹事長は加藤紘一、政務調査会長は山崎拓、総務会長は塩川正十郎。
1995/09/29,平成7/09/29
コスモ信用組合の経営破綻処理に伴い東京都が10年間にわたり200億円の財政支出を行うための補正予算案が、都議会本会議で自民党などの賛成多数(64対61の僅差)で原案通り可決され、成立する。
1995/09/30,平成7/09/30
大阪府の横山ノック知事が、9月定例府議会に副知事を大泉博子児童家庭局家庭福祉課長(45)を充てる人事を断念する。自民党が反対したため。
1995/10/02,平成7/10/02
村山首相が、自民党総裁交代に伴って副総理ポストを河野外相から橋本龍太郎通産相に代える意向を固める。与党3党は大筋で合意する。
1995/10/06,平成7/10/06
田沢智治法相が宗教団体「立正佼成会」から2億円の融資を受けていた問題に関連し、3日の参議院本会議で行われた平成会の石井一二(新進党)の代表質問の予定原稿に入っていた同問題に関する質問が削除されていたことが判明する。村山首相が調査を指示する。加藤紘一自民党幹事長は法相辞任を要求する。
1995/10/09,平成7/10/09
田沢智治法相が、宗教団体からの2億円借入問題の責任をとって辞任する。後任に参議院自民党の宮沢弘が就任する。
1995/10/15,平成7/10/15
加藤紘一自民党幹事長が、山形県鶴岡市での系列議員の集会でのあいさつの中で、沖縄米軍基地用地の強制手続きが膠着した問題で、社会党を中心とした与党3党代表団を現地に派遣する意向を明らかにする。
1995/10/23,平成7/10/23
渡辺美智雄元副総理の自民党葬が青山葬儀場で行われ、2千人が参列する。
1995/11/13,平成7/11/13
自由連合の大内啓伍総裁(旧民社党元委員長)と柿沢弘治、佐藤静雄、栗本慎一郎が、自民党に入党する意向を正式に表明する。
1995/11/19,平成7/11/19
参議院佐賀選挙区の補欠選挙が行われ、自民党の新人岩永浩美(53)が新進党の天本俊正を破って当選する。
1995/11/20,平成7/11/20
自民党の農林関係議員の会合で、農林水産省がコメ余りで次年の政府のコメの備蓄量を180万トンとし、60万トン増やすことを明らかにする。
1995/12/03,平成7/12/03
和歌山市長選挙が行われ、自民党推薦の尾崎吉弘が新進・公明推薦の浜田真輔を破って当選する。
1996/01/04,平成8/01/04
元民社党委員長で、新進党に加わらなかった塚本三郎が自民党への入党手続きをとったことを明らかにする。
1996/01/06,平成8/01/06
村山首相の退陣表明を受けて、自民、社会、新党さきがけの与党3党が後継首相に橋本龍太郎自民党総裁を選出することを念頭に、新たな政策合意作りに着手する。
1996/01/08,平成8/01/08
自民、社会、新党さきがけの与党3党の党首会談が国会内で開かれ、自民党の橋本総裁を正式に総理大臣候補とすることに決める。新進党は橋本総裁に衆議院の早期解散を申し入れることを決める。
1996/01/18,平成8/01/18
自民党の党大会が開かれ、橋本総裁が自民党が単独過半数を目指すことを表明する。新進党の党大会が開かれ、小沢党首が住専問題で政府与党を追及する方針を述べる。
1996/01/18,平成8/01/18
日本での持ち株会社の解禁を部分的にとどめようという公正取引委員会の案に対して自民党の調査会が強く反発する。
1996/02/05,平成8/02/05
大野明が心筋梗塞のため横浜市の病院で没。67歳(誕生:昭和3(1928)/11/13)。自民党参議院議員で元衆議院議員、元運輸相、労相。現職で死去したため、橋本内閣で初の国政選挙(補欠選挙)に突入することになる。
1996/02/16,平成8/02/16
衆議院予算委員会が、前日に引続いて住専問題についての参考人からの意見聴取と質疑を行う。住専、母体行、大蔵省、政治家すべての参考人が外に責任をなすりつける意見陳述を行う。加藤紘一自民党幹事長は大蔵省の組織改革を積極的に進める考えを示す。
1996/02/28,平成8/02/28
住専処理の6950億円を新年度予算案から削除するよう求めた新進党の小沢一郎党首と自民党の橋本龍太郎総裁(首相)の党首会談が行われる。協議は平行線を辿る。
1996/03/01,平成8/03/01
新進党が衆議院予算委員会の理事会で、共和汚職事件で共和側から献金を受け取った疑いがあるとして加藤紘一自民党幹事長ら3人の証人喚問を要求する。
1996/03/01,平成8/03/01
加藤紘一自民党幹事長が、1990年2月に「共和」から1000万円のヤミ献金を受けたとされていることに対し、「直接の授受は記憶にない」と釈明する。
1996/03/02,平成8/03/02
加藤紘一自民党幹事長が喜多方市で講演し、住専の母体行に新たな負担を求める考えを明らかにする。
1996/03/04,平成8/03/04
共和汚職事件で、加藤紘一自民党幹事長の水町重範元後援会長が弁護士を通じて、共和の森口五郎元副社長から都内のホテルで加藤幹事長が直接1000万円を受け取ったとする声明を発表する。
1996/03/15,平成8/03/15
麻生和子が心不全のため東京の病院で没。80歳(誕生:大正4(1915)/05/13)。吉田茂元首相の3女で自民党代議士麻生太賀吉の妻、自民党代議士麻生太郎の母。
1996/03/28,平成8/03/28
金丸信が、山梨県白根町の自宅で糖尿病による脳梗塞のため没。81歳(誕生:大正3(1914)/09/17)。巨額脱税事件で公判中の元自民党副総裁。
1996/04/06,平成8/04/06
加藤紘一自民党幹事長が山形県上山市で講演し、自らの証人喚問については政党の決定に従うと述べる。
1996/04/14,平成8/04/14
栃木県矢板市の市長選挙が行われ、1988年に収賄事件で逮捕され辞職した自民党とさきがけが推薦する元市長の山口公久(68)が当選する。
1996/04/24,平成8/04/24
自民党が、前月辞職した糸山英太郎の次期衆院選公認の取消しを決める。
1996/05/01,平成8/05/01
参議院予算委員会での証人喚問で、桃源社の佐佐木社長が、TBSの生井俊重・報道局次長から自民党の加藤紘一幹事長の後援会を作るよう依頼されたと証言する。
1996/05/04,平成8/05/04
自民党の竹下元首相と新進党の小沢党首が訪問先の北京で会談し、1時間にわたって歓談する。
1996/05/05,平成8/05/05
中国を訪問している新進党の小沢党首が記者団と会見し、自民党と連立はしないものの自民党が連立政権を解消するならば自民党の政権に協力しても良いという意向を明らかにする。
1996/05/07,平成8/05/07
リクルート事件で受託収賄の罪で問われ、一審で無罪判決を受けた藤波孝雄元官房長官が自民党に復党することが決まる。
1996/05/18,平成8/05/18
粟山秀(もみやまひで)が心不全のため郡山市の病院で没。88歳(誕生:明治40(1907)/12/13)。衆議院議員、厚生政務次官、科学技術庁政務次官、自民党婦人局長をつとめた。
1996/05/25,平成8/05/25
自民党の加藤幹事長が大宮で講演し、新党さきがけの鳩山幹代表事、新進党の船田元・元経済企画庁長官らによる新党結成の動きについて、自由な雰囲気で政治を運営できる環境を作りたいという点では共感できるとして、今後の推移を見守りたいという考えを明らかにする。
1996/05/25,平成8/05/25
自民党東京都連が定期大会で、首都機能移転に反対する特別宣言を採択する。
1996/05/27,平成8/05/27
社民党の招きでこの日に来日する予定だった北朝鮮の代表団が来日を中止することを通告する。自民党が朝鮮半島の4者会談の実現が決まらないうちは会わないということを明らかにしているからというのがその理由。
1996/05/31,平成8/05/31
衆議院金融問題特別委員会の理事会が、6月4日午前に加藤紘一自民党幹事長を参考人招致することを全会一致で決める。
1996/06/04,平成8/06/04
加藤紘一自民党幹事長が衆議院金融問題特別委員会に参考人として出席し、鉄骨加工会社「共和」から受けた1000万円の「ヤミ献金」疑惑について「覚えがないということは、そういうことはないということだ」と自らの授受の事実を否定する。元後援会長の水町重範(49)は記者会見し「加藤幹事長は事実を言っていない」と述べる。
1996/07/23,平成8/07/23
鉄骨加工会社「共和」から1000万円のヤミ献金を受け取ったと主張する加藤紘一自民党幹事長の元後援会長の水町重範が加藤幹事長を名誉毀損で訴えていた裁判の第1回口頭弁論が東京地裁で開かれるが、加藤幹事長は欠席する。
1996/07/30,平成8/07/30
加藤紘一自民党幹事長が答弁書を提出せず裁判所にも出廷しなかったため、東京地裁が加藤幹事長に対して、原告の水町重範元後援会長に100万円の慰謝料を支払うよう命じる判決を下す。
1996/08/01,平成8/08/01
加藤紘一・自民党幹事長がヤミ献金疑惑に絡む民事訴訟で敗訴した問題で、新進党が政治倫理審査会での審査の申し立てを行う。
1996/08/04,平成8/08/04
山口県知事選挙が行われ、前県出納長で自民党県連推薦の二井関成(53)が、新進党・公明党推薦の候補を破って当選する。
1996/08/15,平成8/08/15
51回目の終戦記念日を迎え、政府主催の「全国戦没者追悼式」が日本武道館で開かれ、橋本龍太郎首相が4年ぶりの自民党総裁として式辞を述べる。5閣僚が靖国神社に参拝する。
1996/09/21,平成8/09/21
自民党が、現在22ある中央省庁を調整機能を担う内閣官房・総務庁と4分野に再編し、11省庁に半減する行政改革の最終案をまとめる。
1996/09/25,平成8/09/25
加藤紘一自民党幹事長に対する政治倫理審議会が開かれ、幹事長が弁明を行う。
1996/10/04,平成8/10/04
自民党の加藤紘一幹事長が鶴岡市で講演し、新進党の姿勢を批判する。
1996/10/13,平成8/10/13
戸井田三郎が急性心筋梗塞のため兵庫県姫路市の病院で没。78歳(誕生:大正7(1918)/06/12)。元厚相で、総選挙に自民党公認で立候補していた。
1996/10/20,平成8/10/20
衆議院の選挙制度が小選挙区比例代表並立制にかわって初めての第41回総選挙が行われる。即日開票の結果、自民党は単独過半数に届かなかったが前勢力を上回る。社民党は少数に転落する。
1996/10/22,平成8/10/22
共和の元副社長の森口五郎が長男に宛てた手紙で、加藤紘一自民党幹事長に1000万円を渡したことを認めていたことが明らかになる。
1996/10/27,平成8/10/27
岡山県知事選が行われ、自民党推薦の元建設省審議官の石井正弘が、新進党・社民党・公明党などが推薦する江田五月を破り当選する。
1996/10/31,平成8/10/31
自民党、社民党、新党さきがけが、第2次橋本政権に向けた政策合意文書に署名する。
1996/11/03,平成8/11/03
第2次橋本政権の発足に伴う自民党役員の焦点となっている自民党幹事長に、加藤紘一が留任の方向であることが明らかになる。
1996/11/28,平成8/11/28
政府・自民党が、次年度産米の政府買い入れ価格を現行より1.07%引き下げ、60キロで1万6217円とすることを決める。
1996/12/02,平成8/12/02
橋本首相が、衆議院本会議での代表質問に対する答弁で、厚生省汚職事件に関連して、収賄容疑で逮捕された元厚生省課長補佐の茶谷滋が先の総選挙に自民党公認として立候補したことについて陳謝する。
1996/12/05,平成8/12/05
郵政省とNTTが、政府・自民党が制度化を目指す持ち株会社の活用を前提として、NTTを長距離通信1社と地域通信2社に分離・分割することで合意する。
1996/12/27,平成8/12/27
「共和」の元副社長から1千万円のヤミ献金を受け取ったとして新進党の代議士から告発された加藤紘一自民党幹事長に対し、東京地検特捜部が嫌疑不十分として不起訴処分とする。
1997/01/18,平成9/01/18
自民党の第62回定期大会が開かれ、社民、さきがけ両党との連携維持を重視し、労組との協力関係強化を軸とする運動法新案を可決する。大会には、民主党の鳩山由紀夫代表も出席する。
1997/03/27,平成9/03/27
自民党行政改革推進本部が、6つの特殊法人の廃止・民営化と、5つの認可法人の廃止・民間法人化を盛り込んだ改革案を橋本首相に提出する。
1997/04/05,平成9/04/05
加藤紘一自民党幹事長が山形県酒田市で講演し、新進党など野党との「部分連合」について基本的に容認する考えを示す。
1997/04/15,平成9/04/15
自民党行革推進本部が、政府系金融機関の統廃合案として国民金融公庫と環境衛生金融公庫の統合方針を固める。
1997/04/21,平成9/04/21
自民党行革推進本部が、商工中金を民営化する方針を固める。
1997/04/29,平成9/04/29
中国の遅浩田国防相が自民党訪中団と会見し、訪日の意向を表明する。
1997/06/14,平成9/06/14
自民党の加藤紘一幹事長が都内で開かれた党女性リーダー育成研修会で講演し、9月末で橋本総裁の任期が切れることに関して、再選されることを支持すると述べる。
1997/06/18,平成9/06/18
自民党の総裁に橋本龍太郎首相の再選の方向が固まる。
1997/07/09,平成9/07/09
衆議院会派「21世紀」の新井将敬代議士が、自民党の加藤紘一幹事長に復党の意向を伝える。
1997/07/14,平成9/07/14
自民党が持回り党紀委員会で、新井将敬議員の復党を了承する。
1997/07/15,平成9/07/15
加藤紘一自民党幹事長を団長とする自民党訪中団が、北京市内で李淑錚・中国共産党対外連絡部長と会談し、「ガイドライン(日米防衛協力のための指針)」見直しについて説明し、日中友好の基本路線維持が重要であるとの認識を示す。
1997/07/18,平成9/07/18
加藤紘一自民党幹事長が北京市内の中南海で江沢民・中国国家主席と会談する。
1997/07/21,平成9/07/21
加藤紘一自民党幹事長がアメリカを訪問する。
1997/07/24,平成9/07/24
神戸市の児童連続殺傷事件を受けて自民党が発足させた「少年の犯罪防止と健全育成に関する特別委員会」の初会合が開かれる。
1997/07/26,平成9/07/26
加藤紘一自民党幹事長がアメリカから帰国する。
1997/07/29,平成9/07/29
自民党が、新進党を離党した愛知和男元防衛庁長官の自民党復党を認める。
1997/07/31,平成9/07/31
政府と自民党が、3兆5000億円の累積債務を抱える国有林野事業の見直しとして、2003年度までに林野庁職員を3分の1の5000人に削減する方針を決める。
1997/08/10,平成9/08/10
自民党の中曽根康弘元首相がテレビ朝日の番組で、加藤紘一幹事長は続投すべきでないと述べる。
1997/08/28,平成9/08/28
橋本龍太郎首相が、自民党本部で開かれた臨時役員会で、9月8日公示の総裁選に立候補する考えを正式に表明する。
1997/09/08,平成9/09/08
自民党総裁選が告示され、ただ1人立候補した橋本龍太郎首相の無投票当選が決まる。
1997/09/30,平成9/09/30
自民党の行政改革推進本部が、国家公務員を2割程度(約17万人)削減する方針をまとめる。
1997/10/11,平成9/10/11
和歌山市卜半町の自民党和歌山県連の事務所が荒され、金庫などから現金252万円が盗まれる。
1997/10/14,平成9/10/14
自民党が、田村公平参院議員の自民党復党を了承する。
1997/11/28,平成9/11/28
衆院予算委員会が、「泉井石油商会」代表泉井純一の証人喚問を行う。泉井は自民党の山崎拓政調会長側へ約2億7800万円の資金提供をしたことを改めて証言する。野党3党は予算委員会終了後、山崎政調会長らの証人喚問を要求することを決める。
1997/12/14,平成9/12/14
衆議院宮城6区の補欠選挙が行われ、自民党公認で東北福祉大助教授の小野寺五典(37)が当選する。
1997/12/15,平成9/12/15
自民党税制調査会が、1998年度税制改正の骨格をまとめる。法人税は基本税率の3%引き下げを決定する。
1998/02/17,平成10/02/17
自民党が、約28兆円の旧国鉄債務の処理案を政府原案通り了承する。
1998/02/20,平成10/02/20
自民党が経済政策を発表する。
1998/03/06,平成10/03/06
自民党が、省庁の政策決定の状況を調べた「政務次官実態調査」を公表する。
1998/03/15,平成10/03/15
西岡武夫前自由党副党首の長崎県知事選立候補に伴う衆院長崎1区補欠選挙が行われ、自民党新顔の倉成正和(46)が初当選する。
1998/03/31,平成10/03/31
政府・自民党が、景気テコ入れを図るために、2兆円程度の所得税・個人住民税の特別減税を99年も継続する方針を固める。
1998/03/31,平成10/03/31
東証一部が1万6500円台となる。山崎拓自民党政調会長が、「政治が株価を操作できない」と述べる。
1998/05/01,平成10/05/01
社民党が、政治倫理確立法やガイドライン関連法案をめぐる自民党との対立を理由に、夏の参院選前に閣外協力を解消する方針を決める。
1998/05/05,平成10/05/05
社民党の伊藤茂幹事長が、この国会中に閣外協力を解消し与党を離脱する方針を自民党側に伝える。
1998/05/22,平成10/05/22
財政構造改革法改正案と特別減税・政策減税関連3法案が衆議院本会議で自民党などの賛成多数で可決される。
1998/05/25,平成10/05/25
自民党・比例代表近畿ブロックから選出された野田実代議士の事務所職員が公選法違反で有罪が確定したのを受け、大阪地裁が連座制による当選無効の判決を言い渡す。
1998/06/01,平成10/06/01
自民、社民、さきがけの3党首会談が開かれ、社民党の土井たか子党首が橋本自民党総裁と武村さきがけ代表に閣外協力の解消を伝える。
1998/06/14,平成10/06/14
細川護煕元首相の議員辞職に伴う衆議院熊本1区の補欠選挙が行われ、自民党新人の元熊本県議会副議長の岩下栄一(51)が、細川元首相の秘書で民主党の松野頼久を破って当選する。
1998/07/02,平成10/07/02
政府・自民党が、金融破綻処理を促進するための「ブリッジバンク」制度の導入を決める。
1998/07/13,平成10/07/13
参議院議員選挙で自民党が惨敗し首相退陣の意向が示されたことから円売りが加速し、一時1ドル=144円まで値下がりするがその後買い戻され141円まで回復する。
1998/07/13,平成10/07/13
橋本龍太郎首相が、前日の参院選の敗北の責任により正式に自民党総裁を辞任することを表明する。
1998/07/16,平成10/07/16
自民党が党本部で両院議員総会を開き、総裁選挙が告示される。小渕外相、梶山前官房長官が立候補の意向を固める。
1998/07/17,平成10/07/17
自民党総裁選に、小渕恵三外務大臣と梶山静六前官房長官が正式に立候補する。旧三塚派は小泉純一郎厚相を擁立する方向を決める。
1998/07/18,平成10/07/18
小泉純一郎厚相が正式に自民党総裁選挙への立候補を表明する。中央省庁は10年間で人員半減し、財政構造改革法は廃止すると述べる。
1998/07/21,平成10/07/21
自民党総裁選挙の立候補受付けが行われ、梶山、小泉、小渕の3人が立候補する。
1998/07/24,平成10/07/24
自民党の総裁選挙が行われ、小渕恵三(61)が第1回投票で225票と過半数を獲得し当選する。
1998/07/25,平成10/07/25
自民党の3役人事が決まる。幹事長は森喜朗、総務会長は深谷隆司、政調会長は池田行彦。
1998/07/26,平成10/07/26
自民党新総裁の小渕外相が訪問先のマニラで同行記者団と懇談し、蔵相人事について金融機関の不良債券に対して対処できる選挙で選ばれた人としたいと述べる。
1998/07/29,平成10/07/29
宮沢元首相が小渕自民党総裁と会談し、翌日成立する予定の小渕内閣の大蔵大臣就任を要請する。宮沢元首相は辞退するが、最終的に受諾する。外務大臣には高村正彦外務政務次官、通算大臣には与謝野馨元文部大臣、経済企画庁長官には作家の堺屋太一の起用が内定する。
1998/07/30,平成10/07/30
衆議院と参議院で首班指名が行われる。衆議院では自民党の小渕恵三が指名されるが、自民党が過半数を割っている参議院では決戦投票となり、民主党の菅直人が指名される。衆参の指名が異なったため両院協議会が開かれるが結論が出なかったため、憲法の規定により小渕恵三が総理大臣となる。
1998/08/05,平成10/08/05
政府・自民党が、99年度予算の概算要求で、公共事業関係費や科学技術、中小企業対策など景気回復に関連する予算の増額要求を認め、防衛費やODAなどの経費は抑制する基本方針を固める。
1998/08/11,平成10/08/11
自民党の山崎拓前政調会長が、旧渡辺派からの独立を宣言する。
1998/08/23,平成10/08/23
衆議院富山2区、石川1区の両補欠選挙が行われ、富山2区では自民党公認の新人の宮腰光寛(47)が、石川1区では民主党公認の新人の奥田建(39)が当選する。
1998/09/10,平成10/09/10
小渕恵三首相が、自民党本部での全国幹事長・政調会長会議で北朝鮮の弾道ミサイル問題に触れて、偵察機能を含む多目的衛星導入の必要性を強調する。
1998/09/15,平成10/09/15
日本長期信用銀行の処理対策について、政府・自民党が野党案に歩み寄り、公的資金投入をとりやめ国有化などのルールを整備したうえで長銀に適用する方針を決める。
1998/09/17,平成10/09/17
金融再生関連法案の修正審議で政府・自民党が、野党側が主張してきた財政・金融の完全分離を受入れる方針を固め、与野党は基本合意に至る。
1998/09/25,平成10/09/25
世耕政隆が肺炎のため大阪府大阪狭山市の病院で没。75歳(誕生:大正12(1923)/01/06)。自治大臣を務めた自民党参議院議員で近畿大学理事長兼総長。
1998/10/16,平成10/10/16
経営不振の金融機関が破綻する前にてこ入れする金融機能早期健全化緊急措置法が、参院本会議で自民党、公明、自由党、社民党などの賛成多数で可決され成立する。
1998/10/29,平成10/10/29
自民党群馬県第3選挙区支部で受け取った政党交付金を流用したことを隠蔽するため虚偽の使途報告書を作ったとして、中島洋次郎代議士(比例・北関東)が東京地検特捜部に逮捕される。中島代議士は自民党に離党届けを提出する。
1998/11/08,平成10/11/08
参議院和歌山選挙区に補欠選挙が行われ、自民党新人の世耕弘成(35)が初当選する。
1998/11/10,平成10/11/10
自民党と公明党が、65歳以上、臨時給付金を受けている人、15歳未満の子供に対して1人あたり2万円の商品券を支給することで合意する。
1998/11/15,平成10/11/15
沖縄県知事選挙が行われ、自民党県連などが推す稲嶺恵一(65)が、現職で3選を目指した大田昌秀(73)を破って初当選する。
1998/11/17,平成10/11/17
自由党が、自民党との連立政権づくりに向けた協議で、当面は消費税の引き下げを求めない方針を固める。
1998/11/19,平成10/11/19
自民党の小渕恵三総裁と自由党の小沢一郎党首が、翌年の通常国会の前までに連立政権を作ることで合意し、合意文書に調印する。
1998/11/27,平成10/11/27
自民党旧渡辺派から山崎拓前政調会長のグループが離脱し、分裂状態となる。
1998/11/30,平成10/11/30
自民党の山崎派が旗揚げする。
1998/12/11,平成10/12/11
自民党三塚派の会長職が、三塚元蔵相から森喜朗幹事長に引き継がれ、森派が誕生する。
1998/12/16,平成10/12/16
自民党が総務会で、1999年度税制改正大綱を決定する。所得税20%、住民税15%の定率減税、住宅ローン減税、子育て減税などが骨子。
1998/12/22,平成10/12/22
加藤紘一の自民党加藤派が70人で正式に発足する。河野洋平元総裁ら代議士15人が退会する。
1998/12/24,平成10/12/24
小渕首相が自民党の加藤紘一前幹事長、山崎拓前政調会長、小泉純一郎前厚相の「YKK」と都内のホテルで会談する。YKKは自由党との連立に対して理解を示す。
1999/01/07,平成11/01/07
連立に向けて政策協議を行っている自民党、自由党が、1992年に法案を修正して参加が凍結されたままになっていたPKFへの凍結解除で合意する。
1999/02/01,平成11/02/01
青島幸男都知事が都内で記者会見し、4月の都知事選に立候補しないことを表明する。自民党は対青島候補に四苦八苦していた時だけにとまどいをみせる。
1999/02/10,平成11/02/10
自民党が、都知事選候補として明石康元国連事務次官(68)を擁立することを決める。
1999/02/11,平成11/02/11
自民党の森喜朗幹事長が明石康元国連事務次官と会談し、都知事選への出馬を正式に要請する。
1999/02/14,平成11/02/14
元外相で自民党東京都連幹事長の柿沢弘治衆議院議員(65)が、自民党が明石康元国連事次長を擁立することを決めたことを批判して、都知事選に立候補することを表明する。
1999/02/15,平成11/02/15
自民党の明石康元国連事務次官の擁立方針を批判して東京都知事選に立候補を表明した元外相の柿崎弘治都連幹事長に対し、自民党執行部が立候補を見合せるよう説得する。しかし不調に終わる。民主党は鳩山邦夫副代表を推薦する方針を決める。
1999/02/17,平成11/02/17
自民党山崎派の山崎会長が柿沢元外相を説得するが、柿沢元外相は立候補する意志を正式に表明する。明石元国連事務次長は態度を保留する。
1999/03/08,平成11/03/08
自民党の党紀委員会が、党の決定に背いて都知事選に立候補表明したとして、柿沢元外相を除名処分とすることを決める。
1999/03/13,平成11/03/13
東京都知事選に伴う衆院東京2区補選に立候補を予定していた自民党の深谷隆司総務会長が出馬を断念する。

 
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