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(回答先: 往如様へ:Ddog氏は「天皇教信者」としての信仰告白をしています。池田大作信仰者に理知的対話を求めるのが不可能であるのと同じ意味で、あたなの彼への問いかけは徒労でしょうね。 投稿者 キャイーン 日時 2003 年 7 月 10 日 18:32:12)
キャイーンさん、はじめまして、こんにちは。
ご忠告に感謝いたします。
先ず私は、Ddog氏との遣り取りにおいて歴史認識の問題に関しては他の人に任せて、専ら思想形成の問題に拘ってややダイレクトに迫ってみたいと考えている次第です。ですから、その人が倣ったコンテクストあるいは追試しようとしているFunctionが何であるか、さらにその人の何が媒介項として機能しているかに関心の中心があります。それによって、あくまでも個別的な例としてですが、ヴィヴィッドな現在の日本人の意識を捉えることが可能であると見ています。
幾許かフレームの歪みがみとめられますものの、Ddog氏や書記長氏の問題意識には決して無視することができない真摯さや誠実さが看取できると思います。それは、論を交すことを支える一つの価値であるでしょう。
Ddog氏が倣っているのが山本七平の編み出そうした文脈であることが漸く明確になりました。その延長線上で、古くは内村鑑三等の意識に近似したものを、多分キリスト教者ではあらぬDdog氏の言動にみているのは、おそらく私だけではありますまい。
書記長氏のそれはおそらく石原莞爾のものであろうと推察していますが、信仰告白もないわけで断定することはできません。氏はご自身では決して揺れることはないと構えてよく揺れ戻されるのでとらえることが難しいのですが、しかし得難い存在であると思っています。
簡単なレスですが、ご容赦の程を。