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(回答先: 「天皇の戦争責任」なる概念のあいまいさ 投稿者 書記長 日時 2003 年 7 月 10 日 19:01:19)
昭和天皇は大正10年、大正天皇の名代として英国を訪問,英国王ジョージ5世と馬車に乗っている。彼は後に立憲君主のあり方をジョージ5世から学んだと回想している。現天皇も皇太子時代1953年連合国英国のウエストミンスター寺院での戴冠式に名代として出席している。浩宮も連合国英国に留学している。皇室は連合国英国、世界金融支配層ネットワークの中心にあり、近代帝国主義を激しく推進してきた中心勢力である英国王室と非常に緊密な関係にあり、それを手本とし、尊敬の対象としてきている。東京裁判のベールの向こう側には英王室が存在している。
英国人の側に本質的な意味で東洋人・有色人種に敬意を払うということはありえない。英王室が、日本の皇室に尊敬してきているわけではない。英王室は世界を植民地化することしか考えていない。その英王室に敬意を払い関係を結ぶ日本の皇室というのをどうかんがえるべきなのか。皇室が丸め込まれると同時に、近代日本全体が英国利益に丸め込まれてしまった面は否定できない。日本国民と利益背反するボーダーラインにいたといえる。皇室は英王室の世界レベルでの犯罪的性質を知らなかったのだろうか?知っていて権威の提携を結ぼうとしたのであろうか。知らずに友好を求めたのであろうか。どちらにしても非常に深刻な問題を含む。英王室に批判的な視点をまったく持たなかっただろうか。戦後ものこのこ英国に出かけていくところを見ると、英王室には一切批判的な考えをもっていないということだろう。世界の植民化された国の人々は英王室を基本的には許していないのだが。
この複雑なあやをどう解きほぐしたらよいのだろう。
書記長は、英王室・アングロサクソン権力の中心である英王室には批判的だが、それを手本としかつ提携関係にある日本の天皇・皇室には無批判という矛盾を抱え込むことになる。