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寝転がって、ガレアーノの『火の記憶 1誕生』(みすず書房)を読んでいたら、ニューヨーク
ウオール・ストリートの名前の由来が書いてありました。
他にも、アメリカ大陸の悲惨な過去の姿が満載されています。それにしても、当時の白人どもの奴隷売買の実態には、吐き気がしてしまう。人間を人間とも思わぬ、扱わぬ白人どもが、たかだか1世紀程度でまともな人間に変身したとは、とても思えない。奴隷貿易・売買の歴史は公式の教科書では、ほとんど扱われていない。
『火の記憶』(飯島みどり訳)より
ニュー・ヨーク 1666 ニュー・アムステルダム
ほんの二、三発の砲撃で、イングランド人は小要塞に翻る旗を引きずり下ろし、オランダ人の手からマンハッタン島をむしりとる。かつてそのオランダ人はこの島を。デラウエア・インデイオたちから六十フロリンで買い取っていた。
デラウエア人は、半世紀も前の、オランダ人の到来を述懐するー大きな人、小さな、ちっぽけな土地が欲しいだけだと言った、自分のスープに入れる野菜を播ける広さでいいと、せいぜい雄牛一頭分の皮が覆う広さでいいと。我々はそのときにいかさまな心根を見抜くべきだった。
ニュー・アムステルダム、北米大陸随一の奴隷市場は今、その名をニューヨークへと改める。ちなみにウオール・ストリート(壁通り)とは、黒人を逃がさぬようにと建てられた、城壁街の名のなのである。
(この他に、ほんの2編ほど紹介)
「神はイングランド人なり」 1637 マサチューセッツ湾
・・・とは、慈悲深きジョン・エイルマー、魂の牧者がかれこれ何年か前に言ったことばである。ジョン・ウィンスロップ、マサチューセッツ湾岸植民地の創設者もまた、イングランド人がインデイオどもから土地を取り上げるのは、ちょうどアブラハムがソドムの民に囲まれたようなもの、きわめて正当なことと断言するー皆に共有されているものは、すなわち誰のものでもない。この野蛮な民は土地証書も所有権も持たずして、広大な土地を支配していた。ウィンスロップは4年前、アルべりア号にのってやって来た清教徒たちの頭である。息子7人を引き連れていた。ジョン・コットン師はサウザウプトンの埠頭で巡礼者を見送るにあたり、神は古きイングランド、不公正の地から、彼らの頭上を鷲のように舞い、約束の地へとお導き下さるであろう、と確約した。
小山の高みに新エルサレムを建設するため、清教徒たちはやってくる。アルべリャ号に先立つこと十年、メイフラワー号がプリマスに到着したころ、南方バージニアの海辺には、イングランドからの先客、黄金に飢えた者たちの姿があった。清教徒の家族は国王とその司教から逃げてきた。税金と戦争から、飢えと疫病を後に残して。また旧秩序の内に芽生えた変化の予兆からも逃げ出す。高貴な揺りかごに生を享けたケンブリッジ出の法律家、ウインスロップその人が言うように、全能の神は、そのいや崇き全智の摂理により、時を越えた人の身分として、富める者と貧しき者をお創りになった。一方には、高貴にして力と尊厳とに与る者たち、他方には凡庸にして人に従属すべき者たちを。
生まれて初めて、インデイオたちは動く島を見た。マストは木、帆布はさしずめ白い雲。島が歩みを止めたので、カヌー上のインデイオたちは苺を摘みに近寄った。苺の代わりに出くわしたのは天然痘だった。
天然痘はインデイオの村々を平らげ、神の使者、神の選良、カナンの砂に立つイスラエルの民に、土地を明け渡した。三千年以上も前からこの土地に暮らしてきた者たちは、蠅同然に死んでいく。天然痘とは、ウインスロップの言を借りれば、疫病により立ち退きの済んだ土地をイングランド人植民者に占有させようと、神が遣わされたものなのであった。
白人の責務 1672−ロンドン
イングランド王弟ヨーク公は9年前、王室冒険商人会社を設立した。アンテイル諸島のイングランド人耕作者たちは、オランダの奴隷商人から奴隷を買っていた。王室としては、自国臣民がかくも価値アル商品を外国から買い入れている事態を許すわけにはゆかなかった。アフリカ貿易を目的とした新会社は、名だたる株主たちを擁していたー国王チャールズ二世その人、公爵三名、伯爵八名、卿と名の付く者が七名、伯爵夫人ひとり、それに騎士(ナイト)が二十七名。ヨーク公に敬意を表し、船長たちは、毎年バルバドスやジャマイカへ運ぶ奴隷三千人の胸に、ヨークのYと公爵(ドゥケ)のDの烙印を赤々押し続けた。
さて、会社は王室アフリカ会社と改名する。株式の大半を握るイングランド国王は、植民地における奴隷購入を奨励したが、奴隷の価格はアフリカ現地での六倍になる。
鮫たちが、船べりから落ちてくる死体をお目当てに、艦船の後を島までついてくる。飲み水は全体に行き渡らず、中でも丈夫なものだけが、あるかないかの水を飲んでしまうかと思えば、赤痢や天然痘で大量の命が失われ、または気が塞いで死を選ぶ者も多かったー彼らは食事を受け付けず、その歯をこじ開ける術はない。
それぞれが互いに押し合いへし合い、鼻先を天井に擦るようにして一列に横たわる。手首を錠で繋ぎ合わされ、足枷はくるぶしを赤むけにしる。時化や雨のせいで舷窓を閉め切らねばならぬとき、なきに等しい空気を求めて皆が熱に浮かされ、舷窓が開いていればいたで、船倉には憎悪、それも饐えた憎悪、屠殺場の度し難い臭気よりもたちの悪い憎悪の匂いが拡がり、血と体液と糞にまみれた床板は、いつも滑りやすくなっている。
甲板で寝む水夫たちの耳には、床下から漏れ立つ呻きが一晩中ひっきりなしに響く。そして目覚め時には、生まれ故郷の夢を見ていた者たちの哀号がこれに代わる。
(現代では、生身の奴隷が経済奴隷に代わっただけなのか?)