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昭和天皇裕仁の「国民への謝罪詔書草稿」 「深ク天下ニ愧(は)ヅ」−それは天皇の「戦争謝罪」なのか? [JRCL:かけはし2003.7.7号より]
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/572.html
あっしら 日時 2003 年 7 月 03 日 20:20:53:
一部抜粋:
「 この「詔書草案」の後段において「全国民」が「同心協力」して「非常ノ時局ヲ克服シ国威ヲ恢弘センコト」を強調しているのは、戦後革命期における労働者階級の攻勢を阻止しようとする危機感の体現であった。その点で一九四六年一月一日に出された「新日本建設の詔書」(いわゆる「人間宣言」)と同一の論理につらぬかれている。同詔書は「長きにわたる戦争の敗北に終わりたる結果」、「我国民」はややもすれば「焦燥に流れ、失意の淵に沈淪」しようとしており、「道義の念頗(すこぶ)る衰え、為に思想混乱の兆あるは洵(まこと)に深憂に堪えず」と述べて、「共産主義思想」の浸透への危機意識を示していた。「天皇制護持」に向けた天皇の「独白録」や「謝罪詔書」は、「共産主義への思想的防波堤」たろうとしていた裕仁のなみなみならぬ決意を物語るものである。」
「ピュリツァー賞を受賞したハーバート・ビックスの『昭和天皇』(講談社)が昨年、邦訳刊行された。また占領期の裕仁・マッカーサー会見や、裕仁・リッジウェー会見で通訳をつとめた松井明の文書も発掘・紹介(豊下楢彦「昭和天皇・マッカーサー会見を検証する」、『論座』02年11・12月号参照)された。それらは、米占領期における天皇裕仁の果たした役割を、あらためて論議のまないたにのせることになった。」
戦後も実際は政治指導に当たっており、憲法違反であるというが、Ddog氏はどう考える?
「これらの文書は、新憲法下の占領期においても、GHQとの関係で天皇裕仁が内閣をバイパスして超憲法的な政治的イニシアティブを発揮し、「最高権力者」としてふるまってきたことを明らかにするものであった。「昭和天皇」の侵略戦争責任を回避するために、「政治の実権を持たない立憲君主だった」という、裕仁自身と天皇制擁護論者が打ち出したイメージは、大きく転換せざるをえなくなっている。豊下楢彦氏が『安保条約の成立』(岩波新書)などで緻密な推論をからめてえぐり出した、安保問題をめぐる裕仁の「二重外交」は資料的にも確認されることになった。」
戦後、直接マッカーサーと話し会いながら、政治指導を行っていたのは、戦前の延長であることの証左となるのでは?つまり、戦前・戦後のある時期まで一貫して超法規的に政治指導をしていたのではないか、Ddogさん。
「それは豊下氏が言うように「旧憲法下において天皇が『親政』と『立憲君主制』の間を行き来したように、新憲法下では『親政』と『象徴天皇制』の狭間を縫うという`無責任性aを象徴する」(『論座』02年11月号)ものなのだ。この点で、日本共産党の新綱領案の戦後象徴天皇制規定は、現実を隠蔽し、裕仁の果たした超憲法的役割を免罪するものである。」
親政と立憲君主制の間を行き来しようとした。これはたこさんの指摘するところと実質同じでしょう。やはり、非公式なかたちで会ったが、政治指導をしていたということでしょう。
「 今回の「文芸春秋」による「衝撃の歴史的文書発見」と銘打った「謝罪詔書」の大々的宣伝は、崩れさろうとしている「政治的実権を持たない慈愛深い平和主義者」裕仁像を立て直し、裕仁の「人徳」を称揚する政治的役割を担っている、と捉えるべきだろう。」
Ddogさんのは、まさに「慈愛に満ちた昭和天皇」のイメージを守ることを目的とした言論を張っている印象が強い。
情報元
http://www.jrcl.net/web/frame0377d.html