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(回答先: 途中で切れてしまったので、再送。 投稿者 Ddog 日時 2003 年 6 月 30 日 01:37:10)
概念が混乱したままでは、論理的な議論はできませんね。たとえば、「大権」は天皇の権能を指す用語として定着しています。Ddog氏の用法のように、「恣意的に行使される独裁権力」ではありません。
この意味では、親任官の「罷免」は大権ですね。「依願ニヨリ本官ヲ免ス」という文面の辞令書が慣行で、たとえば、内閣総辞職(当時の用語では内閣更迭)の際は、内閣総理大臣を含む全国務大臣がこの辞令書を受け取ります。大権はごく頻繁に行使されています。一方、当然ながら、「有らぬ嫌疑で自殺を強要したり、暗殺も可能」とするような大権はありません。現実にこのようなことが行われたとしても、それは大権とは関係ありません。
問題は、天皇の政治的意思が、どの程度、現実の政治、あるいは大権行使に影響を与えたかでしょう。私は、大権が天皇の権能であるから、あるいは、天皇が軍の総指揮官であるからとの形式的理由で天皇の政治責任云々を議論しているわけではありません。たとえば、天皇の意思が完全に制圧されているなら、戦争を含む政治責任など、問題になり得ません。また、国務大臣罷免の辞令書に捺印しても、「依願」にも「免ス」にも天皇の意思が関係ないなら、天皇の政治関与が否定されることになります(意思を制圧されたのではなく、自らの意思で政治関与を避けたのなら、無責任との評もできます)。現実にも、睦仁(明治)や嘉仁(大正)の場合、これに近いようです。
しかし、裕仁の場合は、明確な政治的意思を有し、これをしばしば表明し、かつ、裕仁の意に反する政策は実行不可能との通念があり、されに、裕仁との意見対立を理由に辞職する国務大臣の例があることを説明したつもりです。裕仁は、主体的な意見を有した政治家です。引用しておられる「独白録」の断片を見るだけでも、左から見ても右から見ても、この結論は変わらないでしょう。「大元帥としての積極的戦争指導を立憲するには程遠い」は文義不明ですが、恣意的な独裁権力を行使しなかったことで免責されるとするなら論理の濫用です。裕仁責任論は、天皇独裁者論ではないからです。何度も申し上げますが、裕仁は戦争責任を負うべき政治家のひとりです(唯一ではない)。
Ddog氏は戦後新作神話のように、裕仁を単純な捺印機とはされていないようです。主体的に政治に関与したことを認めつつ、これに「平和主義者」のイメージを求めておられるようです。引用しておられる「独白録」の断片のうちレイテ戦の例ですが、裕仁の政治的意見は、Ddog氏も書いておられるように、「一撃勝利の後、講和を求める」ですね。これが「平和主義」なのですかね。この種の政治判断が、敗戦必至の状態にいたっても、最終的に裕仁が降伏を決意するまで戦争を続けさせたのではないですか。
「阿修羅サイトで繰り広げられる、反権力思考は、GHQの占領政策の流れを汲んでいることをご理解いただけるだろうか?」とされるので、同じ論拠で同じ表現を返しておきます。「裕仁の責任をあいまいにしたのは、GHQの占領政策の流れを汲んでいる」です。