現在地 HOME > 掲示板 > 議論11 > 587.html ★阿修羅♪ |
|
リーマンさんへ
いつもどきっとする投稿と的確な調査方向の提示をありがとうございます。
私も明治維新以降の近現代史を根本から見直そうとしているものの一人です。
グラバーやマセソン商会はかなり謎に満ちています。この辺に解きほぐす糸口
があるように思います。
明治初期、自由民権運動家であった竹内綱は長崎で鉱山の開発を行いました。
それに協力したのがマセソン商会です。さらに、マセソン商会の横浜支店支配人
を務めていたのが旧越前藩士吉田某でした。吉田某と竹内綱は友人の間柄であり、
竹内が民権運動で獄舎につながれていたとき、竹内の妻は男子を吉田某の家で
出産しました。吉田某は友人竹内と男子出産の時は養子にもらい受ける約束が
かねてよりあり、約束通り、その子を養子にしました。
この男子が吉田茂でした。
彼は、十代の段階で、吉田某死去の後、巨大な資産の相続人となります。
外交官僚となった彼は、なぜか、大久保利通の子、牧野伸顕の娘を妻にします。
なぜ、一介のさほど優秀でもない外務官僚が、今をときめく元老の娘を妻にで
きたのか?謎です。
後年、吉田茂は外務官僚として英国へ赴任します。その地で、大久保の係累と
さらにかかわります。横浜正金銀行、皇太子裕仁の留学、FMとおぼしき人物
たちとの関わり。また、吉田茂が「M資金」の日本側管理人として戦後目されて
いることなどを考えると、その出発点にマセソン商会があったことを抜きにして
は考えられません。巷間伝えられる「M資金」とは、戦後に導入された秘密資金
などではないのではないか。幕末からすでに存在し、日本を「近代化」(彼らの
言葉では「植民地支配」)するためのものではなかったのか。そんな仮説を
考えることもできるのではないかと思っています。