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(回答先: 教育勅語の精神が失われた日本に未来があるのか? 投稿者 Ddog 日時 2003 年 6 月 24 日 00:14:38)
今日の「近代社会」は、明治国家が目指した「近代化」と同一の射程にあるものですから、教育勅語のうち、学問や勤勉を説く部分は、「近代社会」の住人にとっても、当たり障りのない倫理規範と感じられるでしょう。同時に、皇統の無窮を主張する段で辟易し、家族倫理などの封建的倫理に拒絶的反応を示す人が多いと思います。
Ddog氏は、「日本には宗教の規範がほとんどない。教育勅語はその道徳的規範を宗教的規範の代用として戦前の日本人の人格形成の礎となった」と書いておられます。この点には異論がありません。もっとも、私は教育勅語などを道具として推広された擬似宗教である「天皇教」からの脱却が日本人にとって必要と考えております。「オウムなどの新興宗教をはびこらせる原因ともなった」とされるのは、犯罪的ではあるが真正の宗教であるオウムに失礼ではないですか?