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俺の未熟な文章の羅列で空虚な言葉を垂れ流すよりは、ただ「ありがとう」だけで済ませようかとも考えたが、やはり「恥を知る傲慢者」としてあんたにあんな問いを投げかけてしまった以上、俺もきちんと恥をかくことにした。
まずは礼を言わせてもらう。
ありがとう。
えくぼさんの文章がどのように俺の心を揺さぶったのかはよく分からない。ただ痛烈に感じたのは、この世界は「怪力乱神」そのものだ、ということだった。何を語ろうと全て幻のようにおぼろげで、妖しく揺らぐばかりだと感じた。こんな感覚も別に初めてでは無かったが、何故だか無性に「答え」を欲した。「人間」て何だ? それが「個人」であれ「人類」であれ、答えが無いことは分かっている。誰かが見つけたとしてもそれはそいつだけの、それもひとときの憩いに過ぎないだろう。俺自身何度もこの問いに立ち止まらされた。何度誤魔化しても、ある日突然に黄泉返り襲い掛かってくる恐怖。なんとか俺が封印にまで持ち込めた説明は、人間に「W」は無い。即ち、Who,When,Where,What,Why... 人間にあるのは、ただ「H」・・・Howだけだ。「人間は、どうなんだ?」「やってて楽しい。」それだけを頼りにこれまで生きてこれたし、あまり悩まずにも済んだ。しかし、やはりそれも誤魔化しに過ぎなかったようだ。
キルケゴールとは誕生日が一緒だということもあり強く惹かれるものを感じていたので、引用されているのを見て全く自然な気がした。 (そういえばマルクスも同じだ。) 俺はあんたに「導師」を期待したのかも知れない。自覚はなかったが、誰かの言ったとおり「自決権の放棄」をしたかったのだろうか。それが絶対に叶わないことを信じつつ。
あんたが俺の短い問いかけに短く答えることを択ばず冗長な説明でもって返したのを見たとき、失望と歓喜の念の双方が沸き起こった。 (この種の問いだけがあんたの文章を「冗長」と断じることが出来るし、この種の問いだけは「冗長」と断じなければならないと思う。) しかし、やはり歓喜の念が強かった。俺はあんたが仏陀でも、預言者でも、専制支配者でも、恥知らずの傲慢者でもなかったことが嬉しい。
「何のために」を択んだのは、それが一番カタチのある「答え」に追い立てると思ったからだ。理由も目的も含みつつ、より志向性のある「目的」に重きを置きたかった。それさえあれば、この世の全てが虚ろな幻であっても何も惑うことは無い。「人間」の意味するところが「個人」か「人類」かその両方か、の判断はあんたに任せた。ご説明の通り、究極的には何の違いも無い。
あえて触れなかったのだと思うが、俺はこの問いに更なる「禁断の問い」も込めておいた。即ち、「歴史」とは何だ? 「生物」とは何だ? 「地球」とは何だ? 「生命」とは何だ? 「宇宙」とは何だ? 「物質」とは何だ? 「エネルギー」とは何だ? 「進化」とは何だ? 「摂理」とは何だ? 「存在」とは何だ? 「創造」とは何だ? 「愛」とは何だ? 「光」とは何だ?「あんた」は、・・・・・・何なんだ?
これらの問いを一点に凝集させて、「恥を知る傲慢者」である俺は、あんたに突きつけた。
提示してくれた長い論考は、「人間は快感至高主義がいい」という結論であると理解させてもらった。
多分俺はそのように生きてきたし、今の地球人類社会もそれに則った一つのあり方なのだと思う。
俺はそれ自体には文句は無い。
ただ単純に、気に入らないだけだ。
だから俺は俺の好きなように生きる。これまでと何ら変わらなく。
あんたが見事にまとめ上げ説明してくれた文章は、俺の目指すべきところを示してもくれなければ足の踏み出し方すら教えてくれない。とるべき道も進むべき時も何も導き出しはしない。ただ、俺のこれまでの道のり、これからの道のりが正しいものであると確かに信じさせてくれる。きっと、単に俺なんかの問いに答えてくれたということだけでなく、あんたが「世界」と世界に対し偽りない誠実さで以って向き合おうとしていることが俺の背中を押してくれるんだろう。
実は、最初に回答を読んだとき俺は“立ち止まって”いたのだが、あんたの回答とは直接にはつながらないちょっとしたことによって不意に俺の本当に望むことが霧が晴れたように見つかってしまった。こいつが「答え」なのかは知らないが、言いようの無い喜びが沸いてくるんだから仕方ない。誤魔化しであれなんであれ、せいぜい楽しませてもらうことにしよう。
全てをかけて質問してよかった。
あっしらさん、ありがとう。やっぱりあんたは、尊敬に値する。