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(回答先: 書記長、Ddog, 愚民党さんなど天皇制度支持者のみなさんに質問:天皇自身、皇室は朝鮮民族の血が入っているといっていますが、それでも当然なお、天皇制支持ですよね? 投稿者 bubble 日時 2003 年 6 月 13 日 03:52:01)
当然天皇制を支持し、南夫余 百済の血筋も含んだ天皇制を敬愛し、尊重します。
私も含め、日本人はその祖先に、朝鮮の血筋は必ず含まれているだろう。朝鮮半島は日本人を形成する重要な一要素であることには否定できない。
私は、古事記日本書紀ファンダメンタリストでない。天皇及び、古代日本、日本人の成立について、戦前の皇国史観と一線を引いている。日本及び日本人の成立を考えたり、その後の歴史の展開を鑑みれば、天皇家の成立は、日本及び日本人の成立と密接に関わっている。天皇制を支持する事と、朝鮮半島系の血を天皇家が受け継いでいることに矛盾を感じない。
16500年前に縄文土器文明が、世界に先駆け日本列島で始まり、2663年?連綿と続く世界最古125代の伝統を誇る天皇家、そして、天皇システムを維持した日本人を誇りに思い、天皇を敬愛することに何か障害があるのだろう。
桓武天皇の母高野新笠は、百済系の帰化人二世の子であった。
逆説の日本史(井沢元彦著)にも記載されているが、神皇正統記の有名な個所がある。「異朝の一書の中に『日本は呉の太伯が後なりと云』といえり。返す返すあたらぬことなり。「昔日本ハ三韓ト同種也ト伝事ノアリシ、カノ書ヲバ、桓武ノ御代ニヤキステラレシナリ」かの書をば、桓武の御世に焼き捨てられしなり」(『神皇正統記』より)
そもそも天皇家は、任那日本府(伽耶)に内官家という領地を有していた。更に、奈良時代始め、神亀4年、当時の満州にあった渤海国の国王武王より、聖武天皇に使節が訪れてきた。以後日本へ渤海国は二百年間で37回使節が参内じ、事実上の日渤軍事同盟を結んでいた。(当時のスーパー大国唐と、その属国新羅を牽制する為の軍事同盟)その国書には、日本と渤海は「本枝」の関係−つまり「兄弟国」だと言っている。
渤海は、唐と百済を滅ぼした新羅に挟み撃ちにあい、滅ぼされた高句麗の後身である。その高句麗は、朝鮮史に登場する「檀君朝鮮」=夫余が王朝交替で、高句麗と国名を変えた国である。
夫余が分裂するなかで、南夫余が百済を建国、更に南下し対馬海峡を渡って、日本に来た者もいて、日本に渡った南夫余の王・依羅が、崇神天皇になったという説もある。
更に、天武天皇=大海人の皇子は、前半生が不明な点が多く、舒明天皇と皇極天皇(=女帝斉明天皇)の子、天智天皇と兄弟でなく新羅人の金多逐という佐々克明氏の奇説も存在する。(天智天皇と天武天皇は兄弟ではない可能性は信ずるが、金多逐説は信じない)
崇神天皇 天武天皇 の正体が実際はどうであったかは、DNA鑑定ができわけでなく真相は永遠に解き明かされないだろう。いずれにしても第10代崇神天皇、第 40代天武天皇も含め、第26代継体天皇(16代仁徳天皇の弟の玄孫 に当たる)は皇統か?第100代後小松天皇についても
足利義満の実子の噂?も全て含めて天皇システムを肯定し、日本人として誇りに思う。
そもそも天皇の呼称は中国の五胡十六国時代にそのルーツを推測するヒントがある。「五胡」と呼ばれた遊牧騎馬民族の部族長は、「単于」(ぜんう)とか「大単于」と言った称号であった。しかし、周辺を従わせ、国を建てその王となると、ある者はそのまま、「王」を名乗りましたが、中には、中国王朝同様、「皇帝」を名乗る者や、独自の称号を名乗る者も現れました。そんな彼らが名乗った称号が「天王」であった。天皇家の出自が北方系遊牧民族である可能性の説の根拠となっている。聖徳太子が天皇記を著す以前より天皇の呼び方は存在していた。「百済記」「百済本記」等にすでに日本の統治者のことを、「天皇」と記されていた。
天皇の音読みは、古くは、「ミカド」「スメラミコト」や「スメロギ」であるが、以下ヘブライの館http://rerundata.hypermart.net/ura/hexagon/texts/textA4F/hatchJ/b1fha023.html
天皇の公式名「スメラ・ミコト」は古代ヘブライ語アラム方言で「サマリアの大王」を意味し、初代神武天皇の正式名「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」は「サマリアの大王・神のヘブライ民族の高尚な創設者」という意味になっているという。「サマリア」とは北イスラエル王国の首都である。
更に、天皇の古称「ミカド(帝)」はヘブライ語に訳すと「ガド族出身の者」という意味に当たり、ガド族の始祖ガドの長男の名前は「ニェポン(ニッポン/英語ではジェッポン)」であったという。
あと、「東方の日出づる国」は古代よりヘブライの民にとって「天国」を意味しているが、約束の大地カナンは「カヌ・ナー」の転聲としてヘブライ語で読むとき、「葦の原」を意味し、「東方の日出づる国」はヘブライ語で「ミズホラ」と呼ぶので、日本の古名「豊葦原(トヨアシハラ)ミズホの国」の意味が判明すると指摘する研究家もいる。
更に、大和朝廷の「ヤマト」はヘブライ語アラム方言では、「ヤ・ウマト」と分解され「神の民」という意味になるという。
ついでに、日本及び天皇家の出自で気になる説がある。古代日本とシュメールの国名は同じだった説も気になります。
古代日本葦原之中津国(アシハラノナカツクニ)シュメールKi-En-Gi-Ra(キ・エンギ 「葦原之中津国」の意味)一般に「シュメール」と呼ばれていますが、シュメール人自身は自分達の国を「キ・エンギ」(葦原之中津国)と呼んでいました。
今国会でイラク復興協力法が可決されたが、アジアの東端の葦原之中津国から、葦原之中津国の後身を復興しにいくのだから、なんと因果なことか。
話はそれたが、天皇の血筋に朝鮮の血が混入していても、天皇崇拝者どもは天皇を崇拝するのか?という非常に人種差別的嫌らしい投稿に答えたものだ。典型的な、日教組反日戦後教育の害毒を感じる質問と感じる。
私は、儒教の害毒に犯され、反日思想に凝り固まった現朝鮮民族は好きでない。しかし、人種差別はしていない。
自分において仕事上、朝鮮系のお客さんを差別した事はないはずだ。娘のバレー教室に在日朝鮮の娘さんが入って来た時には、ポツンとしていたらちゃんと遊んであげるように娘に言い聞かせている。妻の知り合いの焼き肉やのオカミは、気さくに、家族的な付き合いをしている。キムチを分けてくれたり、食べにいけば、冷麺をサービスしてもらったりしている。在日の人々とは普通にお付き合いさせていただいている。