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(回答先: Re: あっしらさんへ質問 投稿者 名無しさん 日時 2003 年 6 月 08 日 23:39:29)
アルファンドさん、こんにちは。
一度は見守ろうかと考えたのですが、少しばかり想うところがあり寄稿に立ち至りました。加えて、名無しさんのフォロー・アップに擬えたレスポンスで恐縮しています。
えくぼさんの文章に触発されたとの由、しかもアルファンド氏にしては珍しく妙に洒脱に過ぎる表出から、一体どうなされたのかと疑念が湧出したのです。同時に、少し前の野村秋介の自裁、もっと古くは三島由紀夫の自刃が想起されたのですが、これは多分私の誇大妄想癖による悪戯によるものでしょう。尤も、ご自身は同列に置かれることなど畏れおおくて憚れることだと忌避されるでしょうが。
殊更ここでえくぼさんの投稿に異論を唱えるつもりはありませんが、あっしら氏が日本や世界の精神文化や「根」の探求に関して相当に造詣が深いのは周知の如くですし、また、氏が論を進める上でのレトリックとして用いることはあっても、直截的に西欧流の二元論に与したり、況してや拘泥などするはずもないのは明らかであると強調しても強調のし過ぎではないでしょう。
ところで、『「世界−内−存在」としてのヒト 』は、存在目的を問う場合の基本的なdimensionを提示しようした拙稿:『あっしら殿 ; [A purpose of being] +α です。』にたいし、あっしら氏が応答されたものです。無機質・言葉遊びとの批判に私から反論はありませんが、固より氏はネット上でそうした問題を一つのsubjectとして提出することは可能であっても、しかし何らかのコミットメントを惹起するようなメイン・イシューとして据えることは困難と諦観した上での、反語的な表現を交えた回答の数々であったと諒解しています。
若い頃私も民族派と思しき学友達と日々議論を交していましたが、彼等の心情的なものには相応に一脈合い通ずるものを感じながらも、彼等が一様に「根」の淵源を明快に示せぬまま、それ以上論の展開がみられないことに随分歯痒い思いをしたものです。同志の間なればこそ「何のために闘争しているか」と問うことは、意思確認や自己鼓舞のためや自問自答する上での手立てにもなり得ます。しかしながら、アルファンド氏の問いは、或る意味で自決権の放棄の宣言に等しいものと映ります。
以上をどのように受け留められるかは、実のところ私は測り兼ねてもおります。