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詔勅草稿:現時点では田島の個人的「メモ・落書き」にとどまり、「歴史的価値」があるとまではいえない。
http://www.asyura.com/0306/dispute11/msg/1117.html
投稿者 月刊文春愛読者 日時 2003 年 7 月 16 日 07:28:45:

以下はDdog氏「田島道治の草稿に感涙してしまいました。歴史的価値のわからない人には確かに紙切れです」への応答です。

「月刊文春愛読者 (HN以前は阿修羅ファンとか、ビルトッテんファンとかお使いですか?)」:      

使っておりません。

Ddog:この原文投稿の最初の投稿http://www.asyura.com/0306/dispute11/msg/971.htmlにおいて、「先帝の幻の謝罪詔書 を原文記載します。これについての解説論評は、逐次していきます。(多分ネット上に原文が載ったはこれが初めてか?)文芸春秋8月号掲載」と、全然隠してはおりません。確かに今投稿では、文芸春秋としか掲載してませが、先の投稿で7月号などと書いてない事実誤認だ。

私:本質はあなたが、8月号で議論されていることを踏まえていない、一方的な「解説」とやらを投稿されていることなのです。単に発見された文書の原文紹介というならかまいませんが、「解説」されるというなら、座談会等の議論を踏まえるのがフェアーではないですか?

愛読者) この座談では、この文書は、基本的に田島宮内庁長官が書いてかつ彼の意思が強く反映された原稿だろうという点で一致している。問題は、この原稿は、権威ある詔勅原稿だったか、という点だ。つまり、天皇が実際にこの原稿を読み、内容的にOKしていたものか、という点では、非常なる疑問が8月号でも提示されているが、私もその疑問に同意する。

この文書がなんと、大日本育英会の用箋に万年筆で書かれているという事実の意味である。田島が昭和23年6月に宮内庁長官に就任するその前職は大日本育英会の会長だったという。公職・政府閣僚に就任した彼が詔勅の原稿として使ったのが前の職場で使われていた用箋だったというのである。仮にも宮内庁長官である。宮内庁専用の用箋など当時存在しないとはいわせない。なぜ、それを使わず、大日本育英会の用箋に書いたのか。

Ddog)物資が豊富な世の中で育ったから、そんなことに疑問を持つのでしょう。物資が、極端に欠乏していた終戦直後の時期においては、疑問でもなんでもない、むしろ当然な行為だ。

私:強弁ですねそれは。腐っても天皇の膝元、宮内府長官の執務室。GHQ司令部もコミュニケーション用として国璽のついた政府用箋しか受け付けない。宮内府内規でもそれに準じます。しかもまかり間違っても、他は置いても「詔書」レベルのことですよ。いってみれば窮極のレベルの文書作成です。田島が宮内庁内で検討に乗せているのなら、かつての出身母体の用箋から公式性の高い用紙に書き換えるはすです。もし、公式な用紙に書き写されていたとしたら、そちらの公式用紙文書が発見される必要、かつその文書を目にした人の証言を収集する必要があります。でこれが仮に昭和23年年末というなら(もし27年説にたつならもっと)、戦後も3年目以降に入っており、子供たちに新学制のもと教科書も無料配布され始めている。全国の小中学生1000万人単位で配布する教科書の紙があって、ハイレベルな用に使う用箋が天皇の直近・長官レベルにないということは非常に考えにくいに(下級官吏のレベルなら考えられるとしても)。戦後3年半弱たち、物資もアメリカから怒涛のごとく入り始めている。落ち着いてちょっと常識を使ってくださいな、Ddogさん。だいたいが「むしろ当然な行為だ」と熱くなって決め付けるまでの程度のことではないでしょ。

D:貴方も私も見解は一致していると思うが、発見書類は習作の可能性が高い。習作に育英会の便箋を使うのは合理的説明がつく。

私: だからあ(笑)。一致しているも何も、あなたの「解説」は「習作の可能性が高い」など、そんなこと一言も触れていませんよ。だから座談そのほかを読んで、私が習作の可能性が高いのではないかと、わざわざ投稿せざるをえなくなったんですよ。あなたが座談会議論を踏まえてそういってくださればよかったのでは?あるいはこの検証座談なんか読まずに「解説」したのですか?私なら両論併記です。議論のためならそれが公平でしょ?

 あなたの 投稿ではいかにも「権威ある詔書草稿」と「解説」して自己陶酔的に落涙していらっしゃる。ご自分の作品を今一度読んでみてください。

愛読者)そして、この座談メンバーで、かつこの原稿の発見者である加藤女史の説明によれば、田島家の変色してしまった封筒や紙の束に紛れ込んでいたところを偶然発見したという。自分はこのような大切なものがあるとすれば当然金庫の中にあると思い、銀行などにいって貸し金庫の中まで田島の子息に調べてもらったがなかったところ、田島家側から借りていた書類などの間に無造作に挟まっていたのを発見したという。つまり、この原稿は、重要性のない各種の文書類にまぎれる形で発見されたという。

Ddog)この格調が高い文語体の文章は、何度も推敲を重ねたものと思われる。推敲途中の文章が、紛れ込んでいたことは説明がつく。結局、発表されなかった事実から、金庫に保管されていた最終稿が、内閣もしくは、GHQの要請により処分されたと考えて矛盾はない。この習作が残ったのは偶然と考えて不自然ではない。

私:推敲を重ねたものと思われるとの根拠は何ですか?漢文の素養を欠いた人間が書いている格調を欠いた文章だ、とたこさんは指摘していますね、彼の説明内容からみて正しいでしょう。不適切な用字法が顕著に目立ちます。推敲が何度も重ねられたなら、もっとまともな漢文の表現となっているでしょう。また、以下で議論しますが、当時の公用文はすでに法的に、口語文体となっております。何度もの推敲ならば口語文ベースでの調整となっているはずです。何人もの人がよってたかって、書いた詔書としての漢文の結果がこの程度のおそまつさ、拙劣さだとすれば、吉田はじめ日本政府首脳部の漢文の教養はおよそ信じがたいほど低かったかの証左でありましょう。終戦勅書を見本としているはずで、たこさん指摘のように、そうならこんな具合に不規則に一字表現にならないでしょ。また複数で、よってたかって推敲した人たちのかれらの証言はないんですか?そういう人たちの個人的な日記とかに言及すらないのですか?また金庫にあったものが内閣やGHQの指令で処分されたと考える証拠は?個人のメモを内閣矢GHQが田島の家を捜索でもしたという証拠があるのですか?もし発見していて処分しているなら、シュレッダーしているはずですね。発見してそのまま田島家の書類の山の中に戻したとでもおっしゃるのですか?アガサ・クリスティーの読みすぎでは?

愛読者)この2つの事実が推測させるのは、一つには、田島は天皇にはこの原稿を渡してはいなかったであろうことだ。「大日本育英会」の用箋のまま、彼が天皇に閲覧を求めたと考えるのは非常に無理がある。前職の会社のレターヘッド(会社用箋)に書いた原稿を、ヘッドハントされた会社の最高責任者に出すものだろうか。いかにも失礼ではないか。何らかの閲覧を求めて書いたものなら、いったん「大日本育英会」の用箋にメモ書きしたものを正式に宮内庁の用箋に書き換えて天皇に閲覧をもとめたはずである。

Ddog)この文章を先帝陛下が見たか、どうかは証明されることは、まずない。日記などの傍証が出たとしても、証明することは難しいだろう。しかし、重要なのは、当時先帝と直接意見を交えることができ、政府とのパイプ役として、重要な田島氏が、この文章の趣旨を起草していることだ。先帝は対退位と、留位で流動的な時期に、近従は、己の勝手な意見を、先帝に押し付けたりはしないはずだ。天皇の意思を知った上でなければ、このような文章を起草できないと思う。

私:たこさんの指摘のように、これが田島自筆であったとしても、田島が発案して書いたか、写し書きしたかは別個検証が必要。インサイダー間で議論して、誰かの発案・メモ書きを彼は写していただけの可能性もある。要するに彼が独自に発案したか否か「現時点では」証拠も決め手も欠く(彼が起草した可能性ももちろん否定しない)。ただ、どこの誰だかよくわからない新任の彼に対して天皇が心を全面的に開くか疑わしいと見るのが常識的判断化とは思われる。昭和天皇が、彼にこの内容で詔書の草案を作れと田島に命令した証拠があるのですか?

愛読者)また、万一この前職「大日本育英会」の用箋に田島が書き、その生原稿を天皇の閲覧に供し、天皇のフィードバックをえたものなら天皇の権威が正式に与えられたものといってよい。その重みのある正式原稿を、その後公式には出されなかったとしても、それを、自宅の書類の山の中に無造作放り込んで置くものだろうか。それは到底考えにくいのだ。
この2点からして、この文書は田島による原稿だったとはいえるものの、天皇の閲覧に供し裁可をもらう段階に達していた原稿とはとても考えにくいといわざるをえない。原稿だとしてもあまりに初期の初期段階、つまり、田島の構想の段階のメモ書きだった物の可能性が高い。「大日本育英会」の余りの用箋が自宅にあり、それに、とりあえずのメモ書きとして、自宅で書いたもの、自分の習作だった可能性が高いのではないか。

Ddog:この原稿に関しては、習作であるとは、私もそう思っています。育英会の用紙に書いた部分について、座談会で問題にしているのは、その用紙でなく、書いた時期を特定することを議論にしていた。

私:それは解説投稿時に分かっていたのですか?私の投稿で始めてそう思い直したのですか?

座談では、これが「公務所の用箋」ではないこと、「万年筆書き」であることから、公式性に対する疑いが以下のようにはっきり提示されています。発掘された資料の諸条件を検討するのは、それがどの程度重みがあるのか判断するうえで当たり前の作業です。専門家はそうするのです。同じ文章がトイレットパーパーに鉛筆書きで書かれていて、それがゴミの山から発見された場合を想定されればおわかりでしょう。何に、いかなるもので書かれていたかは資料価値を判断するのに決定的に重要なファクターです。ただ、同じ内容がトイレットペーパーに田島鉛筆書き、で古いゴミ箱から発見されてもあなたは落涙するかたとお見受けしますが(失礼)。

高橋:「この文章自体に天皇が目を通していたかといえば、私は見ていないと思います。もしこれが天皇の目を通した最終決定稿だとすると、田島長官の書いたものに専門家が目を通して、いわば宮中風に改めるのが普通です。その上で宮内府の右筆が清書したものを天皇に見せる。これが通常の手順です。今回発見された「草稿」は大日本育英会の用箋に万年筆で書かれている。これを天皇の前に出したかというと、疑問が残ります。文体に非常に思い入れがあり、熱っぽい。私は、決定稿ではないと思う。」(p175)

D:座談会P172では昭和23年11月12日から12月23日の間と推理しています。

昭和23年夏から秋にかけ、宮内府では退位についてかなり具体的検討がされて証拠がある。イギリス公文書館で、内閣法制局長官入江俊郎が、シンプソン夫人との結婚で退位したウインザー公の退位のときの、特別立法を作ったか否か、2度にわたり問い合わせている。
昭和天皇が退位を意識されていて、田島が敏感に察知して、草案を書いて国民に伝えようとしている。P173

私:よくお考えください。宮内府で退位が検討されていた様子があることと、今回発見された文書の価値はおのずと別問題です。何でもかんでもごっちゃにする傾向の方ですね、あなたは(失礼)。

質問

A 「解説」投稿時、この文書が「習作」であると思っていたのですか?私の検討投稿を読んで、初めて、なるほどこれは「習作」だという判断に及んだのですか?もし前者なら、あなたはこの「解説」ではこの文書が「権威の公式な詔書草案」であるという立場ですから、このような議論の仕方は「プロパガンダ」「デマゴーグ」「情報操作」といわれても仕方がないのではありませんか?後者であるとするなら、「解説」に慎重な判断が欠いているといわざるを得ないのでは?私がこのように投稿しなければ、あなたの解説を読んだ人は相当誤解するのではないですか?それを意図しているのですか?

いずれにせよ、非常にアンフェアか不注意かどちらかとは言わざるを得ないですね。

B 天皇が田島に、こうした内容で詔書草案を書くように命令をした、という「確たる」「客観的証拠」がわれわれ現時点であるのですか?噂は別として。退位論者であった彼を天皇は煙たく思っていたようで(感想寄稿者半藤氏指摘)、彼に委細を、心の襞(ひだ)に分け入って話し、命を下すのか、疑問なしとしません。「謝罪詔書草稿は田島の想いは盛り込まれているものの、残念ながらほとんど昭和天皇とは関係ないのではあるまいか。」(半藤一利、P189)

C 仮に天皇が命令したとしても、たこさんの指摘、田島は法的に「詔書」を書く職掌にはないのではないか、という点の検討はされないつもりですか?万一、天皇が彼に命令したとしても、法規上、国務事項である詔書の草案を彼が書くことは法的に許されません。これは極めて大きなポイントと思われます。

Dたこさんも指摘されていますが、昭和23年年末段階なら、政府公文書はすべて口語体に統一されています。「朕は」などと漢文では構想段階からしても書かないのではという疑問点はどうですか?「詔書」は「おことば」という次元のものに法制的にもすでに姿が変わっているのは、宮内庁長官の彼が一番認識していますよ。(よって彼自身が発案・起草したかも実は疑わしい)。

E 田島日記にもこの詔書草稿関連について、直接にも間接にも一切記録を残していません。これほど重要な問題は、通常は後世の歴史資料として、何らかのことを意識して残すはずで、その責任があります。特に、天皇が心から陳謝の意図を持っていたことを知り、後世に伝えたいならなおさらのことです。一切言及がありません。不自然です。この点どうお考えですか?もし当時、天皇は陳謝の意を表すべきではないという立場なら、彼が草稿を引き受けたり、また、天皇が彼に草稿依頼したりすることはありません。

F Aとダブってきますが、 この文書はしたがって、あくまで個人的、パーソナルなメモ書き、せいぜいが「習作」(逆に単なる他人の写しメモの可能性がある)、であり、すなわち、authorizeされた、あるいはそれを予定した習作ではなく、法的にバックアップされていない、『「authorizeされていない」「個人的な」「習作・、メモ書き・落書き」、』つまり、「少なくとも現時点では」「歴史的価値を認定できない」ものといわざるをえないのではないでしょうか?しかも自宅で書かれている可能性のほうが「そうでないよりよほど高い」。古びた、汚い、タイトルもない、ゴミ書類(重要性のない書類)の紙束にはさまれ、封印されず、区分けもされず、田島の自宅内で誇りを被って出てきたといった状況もその方向に加勢しているといわざるをえません。この「落書き」は、天皇のご威光を受けた丁重な扱いとはほど遠く、尻拭けば尻がかえって汚れるほど、書類群の中でもひときわ「古く汚い用箋」(発見者加藤女史の言葉)だったようですが(他の重要書類は封筒に入っていた。)

「歴史的価値の分からない人には紙切れです」とありますが、このようにして、歴史的価値が現時点では認められないのでは?あなたは、この段階で「歴史的価値」を認めているのですか?残念ながら、現状では、紙切れの価値しかない、というのが、歴史資料の専門家の判断になると思われます。「読む価値がない」というたこさんに同意せざるをえないです。読む価値がない紙切れをあなたが感極まって個人的に落涙されたり自己陶酔することは真にご勝手ですが、歴史的資料としては現時点では、きわめて否定的といわざるをえないものを「実質上天皇が書いた権威のある草稿」であるかのごとくに紹介する「解説」とやらは、プロパガンダ色が非常に強いといわれてもしかたがないのではありませんか?(失礼)

G この加藤女史ですが、この方がこのような問題を専門家として議論する適格性にかけるのではないかという指摘についてはどうお考えですか?あなたは彼女の立場に全面的に組していますが。彼女はフランス文学専門で、英語とフランス語を教えている人です、しかも大学においてではありません(コミュニティー・カレッジで教えているといっています。短大ないし、カルチャーセンターの類。教授でも助教授でもありません)(語学の専門家として素晴らしいのかもしれませんが、)彼女は少なくとも歴史資料発見とその検討を扱うトレーニングを受けている人では「まったくなく」まるでその意味でシロウトで、稚拙な議論をしている印象が強い。この適格性の問題、有資格性の問題、いかがですか?座談その他であきらかのように、専門家は彼女の判断態様には否定的です。

つくづく、たこさんあたりが座談メンバーであったら、とあらずもがなのことを思いましたよ。彼は座談で指摘されていない、ハイレベルな問題点を提示していますからね。職掌問題、文書の生煮え性、書かれている時間を文体・用字から判定するというのはなるほど決定的に重要です。たこさん、おそるべしです。あなたが、最近、触らぬ神にたたりなしといわんばかりに、彼の疑問点から逃げ回っていること、彼にはレスポンスしないで、他の人に代理で噛み付いていること、同情はできますね。それほど彼の指摘と背景的知識は尋常ではなくかみそりのようであり、また、歴史の証人というにふさわしいキャリアをお持ちです。

H 「言論界の巨人,モンスター」「天下のご意見番」、文春切り札の立花隆(文春で編集者・ライターをしていました)の以下の発言も無視ですか?彼は間違っていますか?このレベルの事実認定判断にあなたのように右・左を持ち込むのは適切なのですか?彼も文春もあなた流に言えば右ですよ。(この同じ会社の雑誌「諸君」の激しい論調ご存知でしょ?、その天下の文春がここまで踏み込んで発言していることの意味を分かっていますか?保守論壇でも、この方向に傾いていることを反映していること意味します。これは明らかに時代の言論潮流といってよいでしょう。さすがの彼らも最新データには目をつぶるわけいかなくなっているのでしょう。)

”ちなみにこの8月号別項で、立花隆が天皇の政治責任の問題に言及し、こう書いている。「聖断」について御前会議で三対三に分かれたため鈴木貫太郎首相が最終決断を出すように求めた来たので自分は自分の考えを述べてそうした、ということに対し

「大筋は昭和天皇のいう通りだったかも知れないが、現実問題としては、天皇は自分がどうしても肯んじられない案件に対しては技術的に抵抗する手段がいろいろあったはずだし、事実、そうもしている(たとえば満州事変での朝鮮軍の越境事件では、予算が通っていないなどの理由をつけて、なかなかサインしなかったし、後述の熱河作戦では条件付で許可するなどといったことをしている。疑問点を次々に質すといった手もある。)のだから、形式的理由だけで(立憲君主は形式が整った案件なら意に沿わないサインもしなければならない)、「責任なし」論を貫くのは難しいような気がする。」(文春8月号p375) ”

彼の議論は天皇の指導性について、理念的レベルではなくテクニカルな面に具体的に分け入っていますから、もはや道義的レベルのものではなくあくまで政治責任に踏み込んでいますね。あなたは文春の立場にすらも反対なのですね?

I 今回のご投稿は、落書きであっても、この文書は天皇の真意が書いてあると思いたい、と。で、やはり彼は偉大なひとだったではないか、そんな偉大な人格の人が戦争責任などあるわけないではないか、要するにこれがおっしゃりたい最大のメッセージなのではないですか?この論法はたこさんがかなり以前に批判済みのようですが。人格による責任否定論の典型的類型ですね。無造作な落書きであっても切実にすがりたい気持ちはよく理解できます。はやる気持ちはわかります。

したがって、基本的にはあたなは上記のような厳密な議論をあなたは望んでいないと思います。

以上です。


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