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(回答先: 政治的責任についての決着はついている。問題は道義的責任についての議論だ。 投稿者 Ddog 日時 2003 年 7 月 15 日 00:35:24)
0あなたご自身が政治責任の肯定・否定の議論に積極的に意見を出していましたね?最初から政治責任はないので議論する余地なしとどうしていわなかったのですか?
1 政治的に政府が決着をつけていることに阿修羅はしたがわなければないなのか。阿修羅は阿修羅で独自に何をどう議論しようと完全に自由ではないですか?あなたが、あなたのサイトでもなんでもない阿修羅で、これを他の人々はここで議論すべきではない、とどういう立場でそんなことおっしゃるの?
2 政策判断と学術判断は別レベル。味噌・くそ混同していませんか。
3 天皇の責任問題はそれ固有の問題であり、対中国・韓国の外交問題をどうするかは別次元の問題。あなたは政治・政策・戦略レベルつまり後者の問題を戦略的するために、前者の問題をどう彼らに説明・議論するか、という政治家の議論をやっていますね。
4東京裁判の正当性を認める立場のようですが、違いますか?
5歴史学・哲学・思想の存在は認めないのですか?過去についての事実認定や評価については常に議論は開かれていますし、哲学的・思想的には、いまでもプラトンをどう評価するのか,とやっており,議論が閉じられることは永遠ありません。天皇責任論は思想・哲学領域にも存在しますよ。
6天皇責任論は太平洋戦争・日中戦争を歴史的にどう評価するか、という問題と密接にかかわってくる問題で、この問題に決着がついていない、あるいは、いつも思考を新しく
して、かかわっていかなければならない、つまり、それは議論することで学べる知恵がまだまだいくらでもあることを意味します。われわれはあの戦争から十分学びきったとは思えませんね、わたしは。阿修羅は気づきの場ですから、議論をオープンに開いておき、闊達に議論することが大事ではないでしょうか?