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(回答先: Ddog氏、田島の「大日本育英会用箋」への万年筆「落書き(ないしメモ書き)にいたく感涙するの巻き 投稿者 月刊文春愛読者 日時 2003 年 7 月 13 日 03:56:29)
ちょっと誤解がありそうなので、訂正しておきます。
問題の文章について、私は「落書き」としております。これは、文体の稚拙さから判断して、作者の個人的な作文で、仮に詔書草案としても、推敲を経ないごく早い段階の草稿とする意味です。よって、さらに史料批判を経なければ、当時の政府の動向や裕仁個人の意思を議論すべき史料として価値はありません。少なくとも、このままの形態でこの文章を裕仁が見たとするのは無理です。この点で、月刊文春愛読者氏のご意見に同意します。
しかし、「詔勅という最高レベルの文書が、本来皇室の身の回りのお世話をするためにある宮内庁レベルが担当するものではないだろう」とされますが、これは旧憲法体制を前提にすれば違います。
往時の宮内大臣の職掌は、「皇室の身の回りのお世話」に限られず、宮務事項の輔弼を含みます。「宮務事項」とは、国務大臣(内閣総理大臣を含む)の輔弼による国務事項と対立する概念で、皇位継承、皇位継承や立后、立太子などの皇族の進退のほか、華族に関する事項です。宮務事項に関する詔書は、宮内大臣(国務大臣ではない)の副署が規定されています。宮務事項に関する詔書は、宮内省が起草したはずです。往時の宮内省は、「最高レベルの文書」の起草などに関与しない片々たる役所ではなく、宮務を所管する役所として、国務を所管する内閣と形式的には対等です。
私が宮内府長官の職務と関係ないと判断したのは、「国民」の語でもわかるように、当該草稿が宮務事項ではなく、国務事項に関するものだからです。この場合、詔書は国務大臣の副署を要し、その起草も宮内省は関与しません。(1947年の新憲法施行以降は、宮内省は内閣に属する宮内府に改組されたが、詔書の起案などにあたる実務官僚に大規模な異動はないので、往時に内閣所管であった国務事項の詔書を宮内府が起草することは、ちょっと考えられない。)
当該文書は、文体から判断すると、おそらく1946年の前半に書かれたものです。田島が宮内府長官に就任したのは1947年ですから、それ以前です。「国民」という語の初出は1946年初頭のいわゆる「人間宣言」ですから、それ以降の可能性が高く、また、1946年後半以降は、詔書はすべて口語体となります。実務に通じた人間なら、それ以降の時期にこのような文語体で草案を書くとは考えらないからです。なお、なお、田島が作者であるとの根拠はありません。仮に田島の自筆としても、他人の文章の書写かも知れません。
文芸春秋は読んでいませんが、Ddog氏に転載いただいた文章からは、読む価値もないと判断しております。