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重複だったらゴメンなさい。
島は一つのユートピア
講演する清水 満
1、自己紹介
グルントヴィ協会の幹事をしている清水と申します。離島の対馬に生まれ育ち、漁師の息子でした。祖父は広島の安芸の出でで、母方の祖父は道後の出ですので、瀬戸内海の漁民文化には関心をもっていました。そういう意味ではここは私のルーツというわけです。また大学院時代は福岡の箱崎に住み、子どもを筥崎宮で遊ばせていました。喜多浦八幡神社が箱崎宮に由来し、伯方島の名前もそれで博多になったということらしいですから、ここで話すのも何かの縁と思います。
2、隣百姓
私の友人のよく使う言葉ですが、「隣百姓」というものがあります。隣が開墾を始めたら自分も開墾を、肥料をやり始めたら自分もそうするというように、よそが何か新しいことを始めたら、自分もそれをまねしてやるというものです。同様のことは福沢諭吉もいってます。
今の地域づくりにもこのことはいえます。どこかが温泉を掘って客を集めたらうちもしよう、別の町が農村ツーリズムを始めたらうちも、というように、結果的にはある時代どこにも似たような施設が出てきて共倒れしてしまいます。先週は阿蘇でうちの協会のセミナーをしましたが、どこにも第三セクターの観光牧場があって、私どもは雑踏が嫌いなので、その中でいちばん辺鄙なはやってない牧場に行きました。ここにはデンマーク製の風車があるからですが。農村ツーリズムではなくて、農村マネリズム、マンネリズムです。
しかも日本の場合は自治体を相手に商売する企画会社があり、これが一生懸命に営業活動をするものですから、どこの地域計画も大同小異という感じになってきます。デンマークの町造りは最近注目を浴びているので、協会にさえ連絡をとってきた会社もあります。彼らはマスメディアが出した情報をもとに時代の流行をつくりますので、評判になった本などがあれば、それをネタにします。今は風力発電による村おこしもそうですし、あるいはワールドカップもそうかもしれません。こういう企画・広告会社も隣百姓の原因の一つです。
3、島は小宇宙
私は自分が離党育ちで、この伯方島よりももっと辺鄙な対馬ですが、体験的にいえるのは島自体が一つの完結した宇宙であったということです。辺鄙でなかなか外の世界、とくに経済的に繁栄を誇る大都市からは離れているというのは、今のような経済第一主義、グローバリズムの世の中ではマイナス以外の何者でもありませんが、しかし、それ以外の価値観に立てば逆に利点になります。
島の利点というのは閉鎖性で、その分人とのネットワークが緊密だということです。また交通の便も悪かったので、農産物などの生産されたもの、あるいはお金や資源が島の中で循環せざるをえないということもあります。今日ではこれはすっかり失われ、島の人も仕事や流通などでみな外を向き、それぞれ求心的ではなくなっています。しかし、人も財も島から外に出ていくのでは貧しくなる一方です。今の地域おこしは都市部の人間を相手にした観光や産直運動などが主流ですが、都市や本土に依存するスタイルでは、島の持つ自然の閉鎖性を生かすことはできません。つまり人々の緊密なネットワーク、求心性、資源の地域内循環という実は今日再評価されている利点を「都市依存型島おこし」のために、失っているということです。
4、 島は一つのユートピア
島は小さくそれ自体で地理的にまとまっているということは、環境を考えた地域づくり、未来志向型の島おこしができるということです。
デンマークのサムソ島は面積約114平方キロメートル、人口約4400人で、それ自体で一つの村になっています。伯方島が8300人ちょっということですから、まぁ半分以下の人口ですね。
ここは、島の人々の着実な努力の結果「自然エネルギーアイランド」として政府やEUにも認定され、最初は住民のネットワークで始まった自然エネルギー運動が、今では総工費120億円の一大プロジェクトとして政府やEUの援助を受けています。陸上と海上での風力発電設置により、島内の75パーセントの電力をまかない、最終的には2007年に7000万キロワットの売電を本土にできる、つまり利益が入ることになっています。
日本がエアコンに電力を使うなら、デンマークは寒いので暖房や給湯にエネルギーを使うのですが、デンマークの地方では、再生可能で二酸化炭素の発生の少ない牛や豚のふんをつかったバイオガスや木材チップ、廃材、麦わらなどをつかった熱供給システムをつくり、石油を使いません。条例で禁止しているところも多い。サムソ島でも全戸このような循環システムを目指して現在整備が進んでいます。
このようなことがなぜ可能か。デンマークは日本よりも圧倒的に環境保護が進んでいるとはいえ、首都のコペンハーゲンではなかなか自然エネルギーへの転換が進みません。近郊を含めて300万人もの人間がいるので、管理集中も必要になりますし、合意形成も時間がかかります。しかしサムソ島は小さな島だからこそこのような完全対応が可能なのです。つまり、島で土地も限られ人々が緊密である島の閉鎖性がそのまま長所となり、一種の自然エネルギーのユートピアとなり、国際的にも有名になったわけです。日本からも財界、学界、自治体などからたくさんの人々が訪問しています。
5、 田舎が都市を包囲する
デンマークという国自体は島国で、コペンハーゲンもシェラン島という島にあり、アンデルセンのお里もフュン島という真ん中の島です。環境や福祉で名高いデンマーク、民主主義のモデルとして有名なこの国は島国で小さいから可能だったということができます。
ドイツに二年間留学しましたが、そのときあるいはそれ以降の経験からしても、ヨーロッパで暮らしやすい国はデンマークやオランダ、ベルギー、スイスといった小国です。中国の古典「老子」には「小国寡民」ということばがありますし、シューマッハーという経済学者は「スモール・イズ・ビューティフル」といっています。
また世界の先進国、あるいは現在の発展途上国でもそうですが、ほとんどすべてが農村、田舎の都市化が近代化であり、発展だとされています。昔は田舎に何とか銀座、今は郊外型ショッピングモールができることが発展だと思ってきたわけですね。
毛沢東は「農村が都市を包囲せよ」ということで革命を起こしましたが、今の中国は資本主義まっしぐらで、環境破壊がひどく黄河は砂漠化して、黄砂は年々ひどくなっています。日本では民俗学の創始者柳田国男がすでに明治時代に「農村が都市化すると日本は滅びる。都市が農村化しなければならない」と述べたのですが、現実には逆になっています。
実は世界で唯一農漁民が立ち上がり、都市を農村化し、田舎が都市を包囲したもう一つの近代化を成し遂げたのがデンマークだったのです。その運動の中心となったのが、私どもの会の名前になっているグルントヴィという人であり、彼の提唱したフォルケホイスコーレだったのです。
(以下は当日の講演では細かすぎるので省いた部分ですが、協会関係者にはわかると思うので原稿通りつけておきます)。
世界の歴史で「革命」とか「民衆の解放」と名づけられるものは多くありますが、ブルジョア革命にせよ社会主義革命にせよ、いずれも田舎を都市化し、近代化するという点では同じでした。最近の東欧革命も同じことがいえます。資本主義の豊かさが世界を覆ってしまったのです。
しかしデンマークのフォルケホイスコーレ運動はそれらとまったく異なり、いわば第三の道をいくものでした。マルクス主義の影響を受けなかった唯一の民衆革命ともいえます。「市民」でもなく「労働者」でもなく、彼らは「民衆(フォルケリ)」の立場に立ちました。インターナショナルな科学主義に対しては土着ロマン主義、近代的な身体の画一化(軍隊、工場労働者、学校での規律、体育など)に対しては、デンマーク体操(リング体操)で対抗し、中央集権的で官僚制度化が必要な近代化の波に対しては、地域分散(脱中心化)、グルントヴィの多元主義と自由主義で抵抗しました。グルントヴィ派を代表とするデンマークの学校教育のあり方がそのよい例示です。日本の学校がほかの先進国と共通する近代的学校の一つの例であるとすれば、デンマークの公教育はその第三の道の成果であるからです。
このようにデンマークでは、個性を抑圧することなく、官僚化の病弊にも陥らず、画一的で均質的でなく、民主的でありながら、同時に各人の自由と個性が充分に発揮されるコミュニティ主義ともいうべき運動を展開しました(ついでにいえば、デンマークのこのフォルケホイスコーレ運動は今日「コミュニタリアニズム」と呼ばれる政治学の立場を先取りしているものといえます)。この社会運動は他者を認める多元主義にふさわしく、都市のリベラル派、社会民主党の労働運動などと共存、協力しながら今日のデンマークをつくりあげてきています。
だから当のデンマーク人でさえフォルケホイスコーレ運動に属さなければ、その価値を認識しておらず、デンマークは社会民主主義の傾向の強い国だと勘違いしています。しかし実はそうではなく、世界史上まことに注目すべき現象であり、「北欧」とひとくくりにしてスウェーデンなどといっしょに並べて見るかぎりではまず見えてこない歴史的事実であるのです。グルントヴィのいたデンマークは社会民主主義の色濃い「北欧」に決して属するものではありません。デンマークの「民衆」は社民主義の支持者である「労働者」「都市市民」とは違ったものなのです。それはむしろ発展途上国の人々や現代社会に抑圧されているような人々(マイノリティー、女性、子ども、障害者など)とつながるようなものです。デンマーク教育省がことあるごとに「グルントヴィ的自由」を「マイノリティーの権利」に読みかえることにそれは現れています。
このデンマーク独自の民衆運動の最近の成果は70年代後半からの風力発電運動であり、これで原発を止め、今日見られる環境・エネルギー政策におけるデンマークの先駆性を決定しました。上のサムソ島はその到達点の一つの例ですし、それがへんぴな離島のサムソ島というところに、この地域分散(脱中心化)と「民衆」(マイノリティー尊重)の面目があらわれているといえましょう。(以上が省略部)
農村や漁村が中心となって都市まで変えていく。とても絵空事のように思えますが、デンマークではそれが可能だった。このことは地域の人々に勇気を与えますし、私がデンマークのフォルケホイスコーレ運動を紹介するのも、別に北欧ファンとかヨーロッパかぶれというわけでは全然なく、ひとえにこのユニークな歴史があるからです。これに学んで地域の人々が少しでも動いていくことは不可能なことではないでしょう。
6、住民が主人公
最後に日本で可能な町造りの具体例も資料に書いています。ただしこれは島には特化していません。
一言追加して述べるならば、先程もいったように、企画広告会社やコンサルタント会社の口車に乗った上からの町造りではなく、長野県でやられているように、住民自身が車座の会合を重ねて、自分たちでアイディアを出し、決めていくことが大事です。都市ではなく田舎の町村を回り、住民の寄り合いに出て、地道な車座集会を重ねている田中知事のやり方は地方自治の原点を示しており、高く評価されるべきことです。リソースパーソンは地域の住民であり、企画会社、行政マン、彼らが都会から連れてくる大学教授などの学識経験者ではないのです。
もちろん地方にいては情報やノウハウ、経験が不足するのは確かです。田舎の暮らしは金持ちでなくとも自然や人情に包まれ、都会にはない安楽さがありますから、無理してがんばらなくても何とか生きてはいけます。そうなると怠け者になってなかなか今の現状を変えようという気が起こらない。
そのときにものをいうのは島出身者で都会で活躍している人たちです。彼らは故郷を離れているがゆえに、かえって見えてくるよさを知り、都市のいやらしさあるいはよさもよくわかっています。そして多くの情報と経験ももっています。直接にはUターン組、そして最近は都市での暮らしに疑問をもち、田舎に就農したりする脱サラの人々も多いですので、そうした人たちと協力して、古い革袋に新しい酒を盛り込みながら、町造りについて話し合うことが一つの方法になるでしょう。
サムソ島には移住したがる若者が多いと聞きます。田舎でも国際的に注目を浴び、未来志向の産業をつくることができれば若者も戻ってくるのです。都市の住民が来たがるような島にできれば、伯方島から若者が出ていくことも少なくなるでしょう。まぁ今は住基ネットから離脱するといえば、移住希望者は多いとは思いますけど。
愛媛・伯方島での交流事業参加報告
(2002年8月31日)
http://www.asahi-net.or.jp/~pv8m-smz/archieve/hakatajima_lecture.html