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GLA高橋信次の著書(『心の発見』など)は虚偽とまちがいだらけ5
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投稿者 罰天使 日時 2003 年 8 月 24 日 06:20:44:.cqmwk1ePLJyg

「GLA高橋信次の著書(『心の発見』など)は虚偽とまちがいだらけ5」

<目次5>
☆自己の教義と矛盾する信次の死
☆信次の思いつき妄言録
☆ 「ウソはつきません」という最大のウソ

☆自己の教義と矛盾する信次の死

 信次の死因と病名は、死の直後には新聞などに報道されたのかもしれませんが、逝去は
48歳。どう考えても若すぎます。娘の佳子の『真創世記』の回顧談にも、病気について
具体的なことは何も書かれていません。高弟だった園頭広周氏のサイトなどでは、「腎臓
」に重大な疾患があったと思われる記述があるくらいです。

「48歳のときに人生の重大事が起きる」と、結婚した頃に妻に予言したということの真
偽はともかく、その早死にぶりは、とても不自然なものを感じます。健康だった人間が、
働きざかりの48歳で急死するなど、普通では考えられないことです。

 もし、GLAの活動と会社経営とで消耗しきって死亡したのなら「過労死」に類する病
名を書いてもよさそうなものです。三宝出版の信次の著作の裏表紙のプロフィールのよう
に、「自己の予言のとおり、とにかく死んだのだ」という印象を、強化する方向で信次の
死は書かれがちです。それがまっとうなことなのかどうか、疑問を呈してみたいのです。

 晩年の信次については、娘・佳子への「政権移譲」を考えていた節が見られます。1975
年12月当時のことを書いた機関誌「GLA」では、信次がなんらかの病気になって入院し
ていたことをレポートしています。

 そこで、心配してお見舞いにいった弟子たちに、信次は「白銀の翼をもった偉大な天使
が病室に立って挨拶した」という現象があったことを告げています。おそらくは、のちの
「ミカエル佳子」への伏線の演技ではないかと推測できます。その時点で、すでに高橋信
次は、「娘を二代目にする」決意を固めていたのかもしれません。
 
 すなわち、信次は、死の半年前に「二代目佳子」を、弟子たちに徹底するための準備工
作に入っていたとも推察できるのです。
 後継者を必死に求めて探しているうちに、ひょんなことから実の娘が、その後継者であ
ることがわかった…そんな『真創世記・地獄編』にもあるような「ミカエル伝説」は、最
初から「やらせ」の疑い濃厚です。これまでの信次の著作や講演のウソを考慮すると、そ
う考えざるをえません。なにもかも疑わしく、信じるに値しない気持になります。

 48歳で死ぬという信次の予感が本当なら、現実にそれを証明する「病気」のために、
信次の焦りは相当なものがあったでしょう。もともと自分の言葉を吐きっぱなしの人間が
、焦りまくります。ウソだろうとヤラセだろうと演技だろうと、もうどうせ死ぬんだから
、なんでもござれのやけくそ状態だったろう、と想像するのは考えすぎでしょうか。
 だからこそ、1976年になってから、一連の「エル・ランティー」「ミカエル」「太
陽系霊団」を、さかんに吹き込む講演が、行われた可能性もありそうです。

 どちらにせよ、「心と肉体の不調和」が病の原因であると力説していた当の信次が、病
名はいかであれ、病気で亡くなりました。しかも、普通ではない早死にです。「信次の病
死」は、信次がそれまで著作に書いてきたことと矛盾する現象(あるいは、信次自身の主
張の正しさと信頼性を毀損する現象)にほかなりません。彼の書いてきたことと、正しく
比較して見るならば、それしか結論はありえません。

 つまり、信次は死ぬまで「言っていることと、やっていることのちがう人間」だったと
いうことになります。

 それでは、「心の発見」から、病気についての信次の「見解」を、抜書きしてみましょ
う。

「神理編」
P162「病苦や心の苦しみの生活は、地獄の生活である」
(注:地獄界や悪霊の影響を受けて病気になるという意味)

P184「すべての不幸の原因はおのれ自身にあり、生活の不調和がもたらしたものであり
、責任はほかにはない」(注:調和されていれば神仏が守護してくれる)

P221「暗い心は地縛霊や不調和な地獄霊に支配されて、事故、病気、家庭不和など、安
らぎのない生活を送るようになってしまう」

P222「虚偽の生活、体力の限界を超えた生活をしていると不調和な霊に憑依されて原因
不明と称する不調和な現象にみまわれる」

P236「(悪霊が生きた人間の)オーラの暗い箇所に住所を決めて憑依している所が、病
気になっているのである」

P237「病気の八○%近くは憑依霊の仕業が多い」

「現証編」
P114「病気(が死因)の人々は、その病気を持ったまま(あの世へ)帰ってゆく」

P175「病気で苦しんで死んだものたちは、そのまま病気を(死後世界にまで)持ちこん
で同じ苦しみをしている場合が多い」

 以上が、信次の生前の「病気観」だったわけです。
 こういう人間が、「病気にかかって死んだ」のです。ところが、それについて「自己矛
盾じゃないか」と怒った信者がいたという話は聞いたことがありません。みな、盲信して
いるために、「信次の死は、天命による特別な死」とみなされたのでしょう。

 現にGLA内部では、「存命すると、高橋佳子が甘えて成長できないから」とか、信次
自身が晩年の講演会で言っているように「早く帰ってこいと天上界から矢の催促があって
」「天上界に行ってやらなければならない使命がある」などという話が、まことしやかに
、ささやかれていました。

 しかし、矛盾は矛盾です。事実は「病死」です。

「病気は心の不調和が原因で、憑依霊と悪霊にやられた結果。病死すると、死後もその病
気で苦しみつづけることになる。心が調和されていさえすれば、病気もなく神仏にまもら
れる」と、自信をもって断言していたその人が「病気になって死んだ」のです。

 ですが、盲信者のかなしさ。その事実を「直視」はできません。信次の病死という「事
実」を、「悪霊にやられて病気になって死んだ」「神仏にまもられなかった」と解釈する
者は絶無だったでしょう。もし、事実を冷静に、信次自身が力説していたことに、それこ
そいいわけ抜きで「正しく」照らせば、信次は「死後も病苦に悩まされる」ということに
なるからです。

 これは、釈迦の前世を持ち、悟りを開いて、イエス・モーセとさえ守護・指導霊の関係
にある「偉大なエル・ランティー」の死にざまとしては、まことにまずいし、認めがたい
ことだったでしょう。無意識のうちに、「信次の病死は例外」とすることで、信者たちは
信じてきたものが崩壊することを避けたのです。

 ですが、これまで検証して、さんざん確認したように、「守護霊イエス」「指導霊モー
セ」が事実である証拠はありません。むしろ、そうではない疑いの方がはるかに大きい。
したがって「大悟」したことも、きわめて疑わしいことは、御承知のとおり。高橋信次が
偉大な神に等しい「霊太陽」な魂だなどとは、とても信じられません。「偉大な人物だっ
たから、ただの死に方ではない」という思いこみは、もはや通用しません。

 そうでなくとも、予言していたといわれる48歳の大事件が「病死」では、立つ瀬があ
りません。最初から「悪霊に憑依されて病気になって」、「肉体酷使の不調和生活のあげ
くの死」が、予言されていたことになるからです。これは「解脱大悟」したと称し、「神
理・正法」の教祖となった人物にとっても、信者にとっても、大変に不都合なことです。

 もちろん、佳子も未亡人・一栄も、幹部たちも、そのことには触れません。信次の病死
は、まったくの「教義上の自己撞着」なのに、それをだれも直視してきませんでした。直
視して認めれば、GLAは追い詰められます。今後も、それに触れることはないはずです

 佳子は1980年代に、「GLAという組織はなくともよい。神理を実践する人達がい
ればよい」と、まことに執着のないようなポーズを取っていましたが、実態はそれほどさ
わやかなものではないようです(苦笑)。
 
 開祖の死さえ、「正しく見る」ことができず、教義との矛盾から顔をそむける。これが
「八正道」を唱える「GLA」であり、「高橋佳子」ら信次関係者、および信者たちの真
の姿だと思わざるをえません。


☆ 信次の思いつき妄言録

1.「拒絶反応は愛と慈悲で」

 信次は、医療機器メーカー(「高電工業」・icon-21)の社長であったのにもかかわら
ず、医学的にも問題発言を書いています。

「現証編」P260
「たとえばアイ・バンクに預託してある眼球を使ってくださいという提供者の愛と慈悲、
患者も本当にありがとうございますという感謝の心、なんとか治してやりたいという医者
の愛情、こうしたものがあれば、互いに拒絶反応も起きないものである」

 眼科など専門のお医者さんで、こんなことをまともに信じる人がいるでしょうか。たし
かに病気やけがは「気の持ちよう」という側面は大きいです。しかし、だからといって「
愛」や「慈悲」「感謝」の念があれば、「生体拒否反応はなくなる」というのは、いくら
なんでもいい過ぎでしょう。なんの臨床的な根拠があって、こんなことをいうのでしょう
。もともと「角膜移植」の場合は、拒絶反応は、それほど多くはないといいますが、眼球
移植となると、また話は別のようです。

「生体拒否反応」を、「愛」や「慈悲」という非物質的な方法で打ち消せたら、これは医
学上の大発見。ノーベル賞がもらえるかもしれません。医学者たちはGLAに教えを乞い
に学会こぞって訪問せねばなりません。しかし、日本の医学界が、そんな行動を起こした
とは聞きませんし、GLA会員のお医者さんが、「愛」と「慈悲」で「生体拒否反応」を
克服したなどという話も、いっこう聞こえてきません。

 ドナーと移植される相手の間に「愛」と「慈悲」と「感謝」があれば、「拒絶反応」は
なくなるか、などと、まともな医学者に訊く気にもなりません。
 だいたい、臓器移植でも、ドナーと「被移植者」は、互いに素性がわからいないように
、個人データは公表しないのが原則です。しかも、ドナーは事故死したりというケースも
あり、とても悠長に「愛」と「慈悲」と「感謝」の心で、医者もふくめて手術に臨める状
況にないのが、実際ではないでしょうか。患者も医者も、せっぱつまっているのが普通で
はないかと思います。

2.「日本神話をパクった天孫降臨」

 信次は、「現証編」で、指導霊が語った事として、こう書いています。

「現証編」P159
「人類が、この地上界に、肉体舟を持って他の天体から天孫降臨したのは、今から二億年
前くらいで、当時の人口は約6千万近くであったようだ・・・人類は特殊な宇宙船で調和
された地球という名のそれぞれの環境に適応した体質を持ってきたのである。茶色、白色
、黒色の皮膚を持った人間たちに、神は生活の場を与えたというわけだ・・・。
天孫降臨民族は、この地球という場所に、ユートピアを築き、豊かな神の子としての魂を
つくりあげるためにきた」

 また、信次は、「かつて3億年以上前に、別の惑星からエル・ランティーの命令で、ミ
カエルを団長とする植民団6千万人が、地球に下りてきた。彼らはみな神のごとき調和さ
れた人々だった。彼らが地球に降下してきたことをさして<天孫降臨>という」と講演で
も明言しています。

 しかし、本来の「天孫降臨http://homepage2.nifty.com/wayway/jiten-tenson.html
とは、そういうものではありません。「天孫降臨」という言葉のオリジナルは、『古事記
』『日本書記』(以下『記紀』)にあります。信次の造語などではありません。それどこ
ろか、彼は本来の「天孫降臨」の神話をふみにじる、「自己流解釈」をほどこして、上記
のように断言したのです。

『記紀』を読めばわかりますが、「天照皇大神の命令で、地上を統治するために、高天原
から皇室のご先祖の神様が、おともの神々とともに地上に降臨せられました。その子孫が
現皇室であり日本国民です」ということで、「皇室と日本人の祖先神話」が「天孫降臨」
なのです。

「天孫」とは、「高天原(高度な神霊世界)から降りてきた天皇家の祖先神」ということ
であって、「別の惑星から地球に降りてきた人々」などではありません。そのことは、は
っきりと、ここで言っておきます。信次は、厳粛な天皇家と日本民族の祖先神話をねじま
げて盗用したのです。

 さらに信次は、「エルランティー」を名乗ったとき、講演の中で「自分は天上界で、昭
和天皇に生まれ変わる魂によびかけて、すまないが今度うまれかわって、天皇の役目をや
ってくれないかと命じた」と語っています。

 つまり信次は、その晩年、自分は「天皇よりえらい」「天皇になる魂さえ選択できる存
在」だと、聴衆の前で断言したことになります。『記紀』を敬意を持って読む人々ならば
、「天皇陛下」よりえらいのは、「天照皇大神」「イザナギ・イザナミ両神より前の天津
神」と認識しているはずです。

 つまり、晩年の信次は「釈迦の生まれ変わり」どころか「天照皇大神」と同列か、それ
以上の「神」であると宣言したに等しいのです。実際、本サイトに転載した晩年のGLA
誌の記事「エル・ランティーhttp://f12.aaacafe.ne.jp/ ̄research/el.htm」や「太陽
系霊団図http://f12.aaacafe.ne.jp/ ̄research/reizu.gif」が、そのことを如実に表現
しています(「信次に罪ありhttp://f12.aaacafe.ne.jp/ ̄research/tumi.htm」も参照
してみてください)。

 以上でおわかりだと思いますが、自分は天皇よりえらいと言わんばかりの講演を行った
こと。また、皇室の祖先神話の言葉を盗用して、自分に都合のいい解釈をほどこし、『記
紀』神話を知らない人々に、まちがった知識を与えたこと。
 実は、私自身も、若い頃は、「天孫降臨」とは、信次の壮大な物語のことだと思ってい
ました。後に『記紀』を読んで本当のことがわかったのです。
 上記の二点によって、信次は日本人としても、非常に恥ずかしい行為をしたことになり
ます。

3.ベータ星からはいつ来たのか?

 この晩年の「ベータ星から円盤に乗って6千万人が地球に移住してきた」とする年が、
著書と時期によって異なっています。たとえば、今あげたように「現証編」は1973年4月
発行でP159に「他の天体から2億年前」と書いてあります。
「人間釈迦1巻(昭和48年4/1初版)」P159でも「恐竜の時代も下火になった今から約
2億年前に、人類は特殊な乗り物に乗って、他の天体から飛来した」とある。地質学では
2億年前は中生代「ジュラ紀」で、下火どころか恐竜全盛の時代。信次のいいかげんな知
識の一端がこれでもわかる)
 また現在絶版の「心行の言魂」という教本(昭和50年9/21初版)P92にも、こうある
のです。
「今から2億年前のこの地上は、恐竜などの動物がいて、荒れていました。そこで地上に
降り立った人類(約6千万人)は、荒廃している地上を、人間の住む理想郷にするため、
ユートピア建設に乗り出したのです」

 ところが、その2〜3年後の死期まぢかには、いつのまにか「3億6千5百年前」に
さかのぼり、「他の天体」の名前も、「ベータ星」や「エルベータ」「ベーエルデ」など、
よりくわしくなっています。

 晩年の講演会(1976.5.4〜6「正法の流転」)では、はじめこう語りました。
「ちょうど今から、三億四千数百年前、私達は、地球上よりはるか離れた、数億光年先の
最も調和されたベーター星という星より、脱出し、円盤に乗りまして、年若き、調和され
た緑に包まれた地球上に、円盤に乗ってまいりました」

 ところが、1ヶ月後の講演会(1976.6.04「新復活」)ではこうです。
「人類は緑に包まれた、しかも神の光に満たされた地球という環境に、今から三億六千五
百有余年前にはじめて、ベーター星という星より、神より与えられた新しい緑につつまれ
たこの地球上に、人類は最初に印したのであります」

 いったい、どれが、正しい数字なのでしょうか? なぜ1973年の時点で「三億六千五百
有余年前にベータ星から人類の祖先はやってきた」と信次の指導霊は教えてくれなかった
のでしょうか。頼りない指導霊、知識のあやふやなモーゼ、いくら超太古のこととはいえ
、千年単位で過去をまちがえる信次は、やはり信用するのには辛すぎます。

4.「M78星雲」は「メシアの星雲」?

 信次はまた、1976年6月5日 講演「太陽系の天使達」の中で、次のようなことを
言っています。

「今、「M26」。この「太陽系」。それぞれに(メシアが)出て来ておりますね。今、
出て来ているのは、「太陽系」で、1人、悟っております(=信次自身のこと?)。「M
37」で悟っております。「M27」、「M26」、(それぞれメシアが)出ております
。この「M」というのは「メシヤ」という意味で、つけたようですね」

 これは、あきらかにでたらめを言っています。なぜなら、「M**」という天体カタロ
グ番号は「太陽系」につけているものではありません。天体関係で「M**」というとき
は、「銀河・星雲・星団名」についていうのであって、個々の「惑星」「太陽系」に「M
**」というようなナンバーをふることはありません。

 また、この「M」は「シャルル・メシエ」というフランスの天文学者が「銀河・星雲・
星団カタログhttp://www.edugeo.miyazaki-u.ac.jp/earth/edu/opening.html」を作成し
たとき、それにふった番号です。「メシアという意味でつけた」などということはありま
せん。天文学に興味がある人達の間で、「M**」といえば「メシエ**(番)星雲」と
いうのは常識です。

 ですから、信次が講演で断言している「Mはメシアという意味でつけたようだ」は、ま
ったくの事実無根の虚説です。よくも平気で、こんな思いつきがいえるものです。


5.「理系があやういオングストロング」
 先にあげた、信次の最期の講演、「太陽系の天使達」で、信次はおしまいまで、まちが
ったことを言っていました。次のようなことです。

「この眼の見える世界なんていうものは、ほんの小さいもの。七色の虹の世界、四〇〇〇
オングストロングから七〇〇〇オングストロングの周波数の位置しか皆さんは見ることは
できない」

 信次が理系だったとは信じられないような「単位名称の読み間違い」です。「オングス
トロング」ではなく「オングストローム」です。些細なことかもしれませんが、ほかに大
きな虚偽や思いつきを沢山しているので、お目こぼししようにも、できないのです。こち
らとしては。

☆ 「ウソはつきません」という最大のウソ

『心の発見』についての検証は、ここまででほぼ終了しました。今度は、『心の指針』(
三宝出版・初版・昭和49年1月5日発行)を、ちょっと検証してみましょう。

 思い返していただきたいのですが、『神理編』の最初の方で、信次は「三十数年間、も
うひとりの自分と目に見えない世界のことを追求してきた。結婚してからも、神仏のこと
が話題にのぼらない日は無かった」ということを書いています。

 しかるに、「神理編」が出されてから、5年後に書かれた『心の指針』ではどう述べら
れているでしょうか。同じようなことが、書かれていれば当然のこと、ちがっていればま
たも「ウソつき」の証拠となります。

『心の指針』P20
「生きている人間があの世に行くというと、ふつうは常人あつかいされないでしょう。人
によっては、あいつは頭がおかしいのとちがうか、ということになるでしょう。
 私もかつてはそのように思っていました。それも5年ほど前までは・・・・」

 これはまた異なことを言っています。信次は、昭和43年7月の「大悟(自称)」の前
は、「幽体離脱して霊界へいったなんてやつは、頭がおかしいのだ」などと思っていたん
でしょうか。10歳のときに「魂が抜け出して別の世界へ行った記憶がある。それがきっ
かけで、神仏ともう一人の自分への探求がはじまった」という人が、悟るまでは「霊界へ
いったなんて、精神異常者のいうことだ」と思っていたというのでしょうか。

 すると、「おれは頭がおかしいのだ。でも追求するのだ」といって、三十数年間も「執
念といってもよい」霊と神仏の探求をしてきたんですかと、思わず訊きたくなります。ま
ったくおかしな話です。『神理編』の過去の経緯が正しいんですか、それとも『心の指針
』P20の記述が正しいんですかと、切に確かめたい所です。

 こういう風に、前著と矛盾するような思いつきを、「さらっと、なにげなく」信次は書
いてます。この人物は、やはり「平気でゆきあたりばったりのウソがつけるタイプ」とい
うほかに形容しようがありません。

 これほど多くの矛盾とまちがいに満ちた著書なのに、信次は「神理編」で、自信をもっ
て、こう書いています。

「(GLAで霊道者になったものたちの)中には、神理を説く光の天使の歴史的事実の証明
者や、専門の学者、霊視がはっきりできる者、霊聴能力を持っているもの、守護霊、指導
霊が霊能者の体を借りて神理を説いている者という風に、それぞれの使命をもっている。
そして、この運動に参加しているのである」(P80)

「(霊道者たちは)私たちが学んでもいないヘブライ語やコーサラー語を思い出して、昨
日のことのように語っているのだ。現世で習ったこともないインド古舞踊を当時の歌を歌
いながら踊る者もいる。これも学んだりしたものではないのに、専門家すらが驚くほどち
ゃんとした手振りや、足の運びなのである」(P203)

「神理の生活に入って、わずか1年未満で八十名近くの人々が、中国語、ヘブライ語、コ
ーサラー語、マガダ語そのほかの言葉で語る、それらの人々の思い出した過去世の事実を
否定することはできない」(P203-204)

 いったい、どんな「専門の学者」が信次の霊道現象をチェックし、その正しさを証明し
たというのでしょうか。いかなる「証明者」によって、信次や信者のいう異言や過去世記
憶が「正しい事実である」と立証されたというのでしょうか。この記述が正しいことを証
言できる人物を、GLAに問い合わせたなら、紹介してもらえるのでしょうか。

 異言の現場に専門の言語学者がいて、ヘブライ語やコーサラー語だと断定したのでしょ
うか。信次のいう「専門家」「事実の証明者」が、もし本当に存在していたなら、わざわ
ざ私がこのような批判と検証の文を書く必要はなかったはずです。本当に堅実で正直な学
者による研究の対象になったなら、素人でも十分に指摘できるこれまでの内容の矛盾、あ
やまり、虚偽の多さは是正されていたことでしょう。

 ところが、まちがいも矛盾も、初版以来34年間、ほとんどただされたことが無かった
のです。「専門の学者」による、一般的にも認められる検証行為など、なにひとつ行われ
なかったということでしょう。異言が何語に聞こえたにしろ、それらが信次のいうような
「中国語、ヘブライ語、コーサラー語、マガダ語そのほかの言葉」である証拠は、なにひ
とつありません。また、信次の異言の内容や、「過去世の事実」と指摘した事柄を、学者
として正しいと認めるような論文も、『GLA』誌の上ですら見たことがないのです。

 こうして、自分達の「現証」は正しいと言いながら、信次は、「神理編」末尾P309に
、「神理編で中国と中国地方をまちがえました」とおわびを載せています。ところが、そ
の「注」の直前でも、参照資料の紹介として、こんなまちがった文を小型活字で載せてい
ます。

(新約聖書・使徒行法伝第二章、仏典スタニパター、華厳教十地品参照)

 これは2箇所まちがっています。「使徒行法伝」ではなく「使徒行伝」。「華厳教」で
はなく「華厳経」です。きわめて初歩的なミスです。「まちがえてすみません」と謝罪し
た、すぐその後から、こうした思い違いによるケアレスミスを犯しています。

 しかし、それでもなお信次は、あつかましくも「神理編」のあとがきでこう書いている
のです。

「私はこの書(神理編・科学編)を、私の守護霊・指導霊の指示によって書いた」
(P237・1970年12月)

 こんな矛盾と食違いと虚偽の貼り合わせのような本を書かせる「守護霊・指導霊」とは
、いったいいかなる存在でしょうか。ときにめちゃくちゃな「虚説」「妄説」を自信たっ
ぷりに講釈する「守護霊」「指導霊」。これでは、人を導く「善霊」というよりは、むし
ろ「詐欺」を働き、口からでまかせをいう虚言の霊、すなわち「悪霊」に属するとしか思
えません。

「123」も「フワイ」も、信次の体験上、何かネタになる霊現象があったのかもしれま
せん。それにしても、「守護霊イエス」だの「指導霊モーセ」だのは、信次の妄想や創作
だったと見ても、あながち罪ではないと思います。それが、もっとも常識にかなう見方で
はないでしょうか。信次の「神理」は、こうした「虚偽」と「思いこみ」と「根拠のない
無責任な断言」の上に構築された「砂上の楼閣」としかいいようがないもののようです。

 それなのに、信次は、『心の原点』ではっきりこう書いています。

『心の原点』P284
「私の行っていることと神理には、絶対間違いはないし、全く習ったことのない仏教の真
髄がわかっているということも不思議なことだし、歴史的なその経過も学ばないで知って
いる」

 この「神理と私の行動には、絶対間違いはない」「歴史的なその経過も学ばないで知っ
ている」ということが、これまでの検証で、すでに虚偽であることが明白です。信次の「
正しさ」は、もはや完全に破綻しています。
 彼のいう「神理」は、部分的にはいいことも書いてあるけれど、大部分がまちがいだら
けで、虚偽と矛盾の羅列という印象をくつがえすことは、とうてい不可能です。

 ここまでまちがったことばかり、書いたり言ったりしておきながら、信次は恥知らずに
も、最期の講演でこう言い放っています。

「『過ちは、改むるに憚ることなかれ』という諺があります」
(1976年6月5日講演「太陽系の天使たち」より)

 自著と講演会の過ちを何ひとつ改めることもなく、逝去するような人間に、こんなお説
教をされる筋合いはありません。

 史実とことなる「前世記憶」、日時や状況などまったく整合性のない「現証」、「守護
霊・指導霊・本人の霊魂」の三者を、「同一」とも「別物」とも指摘できない「霊道者」
たち。これは、信次の自信たっぷりな筆致とは裏腹に、非常な欺瞞を感じさせます。

 驚くべきことに、彼は「神理」エッセンスの一冊『心の原点』における霊的事柄の定義
を、他の著書や講演会では重要視していないかのようです。「神理の実在の証明者」たる
「守護霊・指導霊・潜在意識」を、場合によって同一にも別物にも説明できる「便利な方
便」のように、使い分けて描いています。それは、これまですでに指摘しました。

 ここまでくれば、次のようなことがわかります。「方便」とは良い言い方で、悪くいえ
ばその実態は「ウソ」ではないでしょうか。信次のいう「霊魂・守護霊・指導霊」の説明
は、「都合によって意味や定義付けが、ころころ変わるもの」と「定義」するしかないよ
うです。

 信次は、著作や講演など、表向きには「守護霊・指導霊」「現証」「過去世」を「神理
」の偉大な証明者として語っています。しかし、このような記述の誤りと思いつきの多さ
、都合のよさを見れば、「守護霊・指導霊・過去世意識」を、本音では尊敬も崇拝もして
いなかったのでは、と思いがけない疑惑に突き当たります。

 では、なぜこのように表向きと本音が異なるのか。

 たぶん、信次は自分の書いたり言ったりした「守護霊・指導霊・過去世」説を、本当に
は信じていなかったのではないか、そう思います。みずからでっちあげたのを、知ってい
たからなのかもしれません。「神理」の「霊道」現象など、彼は本音では信じていなかっ
たし、自家製のフィクションであると自覚していたのでしょうか。

 この推測があたっているとすれば、高橋信次の正体は、確信犯的な「神理をかたる詐欺
師」「神理の香具師(やし)」「神理の虚言症」ということになってしまいます。驚くべ
き、そして嘆くべき結論です。
(実証編・終)


※ちなみに、最新版『心の発見・神理編(平成12年5月30日 第35版)』は2002年
3月、私がGLA東京地方本部に直接おもむいて購入したことを、申し添えておきます。
 また、34年前の初版の「同・神理編」も所有していますが、この「初版」と「35版
」の間で、本文のちがいや修正はまったくありません。私の指摘した矛盾や間違いの箇所
も、同一ページ、同一行で確認できることから、「34年間、まったく訂正なしで重版し
つづけてきた」という事実が浮き彫りになったことも、お知らせしておきます。

「GLA高橋信次の著書(『心の発見』など)は虚偽とまちがいだらけ1〜5」終り

<関連掲示板>
宗教法人GLA(高橋信次・高橋佳子)関連情報サイト・掲示板一覧(15年6/13版)
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/358.html
宗教法人GLA(高橋信次・高橋佳子)関連情報サイト・掲示板一覧2(15年7/1版)
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/530.html
GLA(高橋信次と高橋佳子)の異言等に関する『文芸春秋』特集記事(1977年)
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/228.html
GLA・高橋信次関連〜「異言」に関するアメリカ・カナダの専門学者の研究資料
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/233.html
GLA(高橋信次・高橋佳子)の「異言」は「演技性の伝染心理現象」の可能性有。
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/247.html
GLA(パナウェーブ成立に影響あった教団)高橋信次の著作を疑う
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/532.html
GLA高橋信次の著書『心の発見・現証編』にみる異言の虚妄
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/533.html


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