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「GLA高橋信次の著書(『心の発見』など)は虚偽とまちがいだらけ2」
<目次2>
☆消えた守護霊
☆妻と妹と観音様と
☆ 仏教びいきの過去世記憶
☆ 消えた守護霊
こうして大悟をとげた信次は、それからいわゆる「霊道現象」まっしぐらで、自分や
義弟だけでなく、妹や妻まで巻きこみ、「守護霊・指導霊」現象を起こしてゆきます。
その大筋のエピソードは「神理編」「現証編」とも同じですが、やはり日付や霊の現れ
方など、冷静に検討してゆくと、いろいろおかしな点が出てくるのです。
まず、「フワイの正体がイエス・キリスト、123の正体がモーゼ」と判明した時期
が、ふたつの著書の間で異なっています。また、同時にこの二人の姿を「霊視」できる
ようになった時期についても、不明瞭さが残ります。
「神理編」P40では、前述したように、1968年7月6日夜、義弟の口から「123と
名乗る霊が現れ」「紀元前1300年前の古代エジプト語を全く正確な発音でしゃべっ
た」とありますし、「守護霊フワイ」についても同様です。
この時点では、どちらも「正体」がはっきりしていません。
ところが、同年九月十九日に妹にかかった「聖観世音菩薩」の現象の説明に入る前に、
いきなりこのような「正体」の説明が入ります。
「神理編」P46
「123は、上段階、光の指導霊で2メートル以上の大男である。頭には王冠、腕にも
金環をはめたBC1300年代のエジプトのスタイルであった。本名はモーゼと呼ばれ
ている」
「フワイは、髪が首まであり、あごひげをはやした身長1メートル78センチほどの方で、
やはり、上段階、光の大指導霊で、1世紀にイスラエルに活躍した人である。イエス・キ
リストの分身の名であった」
このあと、九月十九日の妹の霊現象に入るわけです。しかし、この「守護霊と指導霊」
の正体が、いつわかったのか。それまで義弟によりつかせるほかなかった存在が、いつ
から霊視できるようになったかについては、日付も背景も何もかかれていません。
ただ、いきなり「正体はこうだ。姿形はこうだ」という説明があるだけであり、その後
につづくページでは、そのことが「既成事実」として扱われ、どんどん話が進んでゆくの
です。
順当に考えるならば「九月十九日」以前にわかったのだろうと、想像することしかでき
ません。すでに「九月十九日」には、妹にかかる観世音菩薩の「霊体」の姿を、信次は
霊視して描写しているのです。
ところが、その2年後に書かれた「現証編」では、このあたりの描写がぐっとこまかく
なってきます。
「現証編」P75-77には、次のような内容が書かれています。
「アインシュタインの霊」が現れたあと、8月に入って、「123」や「フワイ」から
「神理の講義」を受けたとあります。しかし、まだ「守護霊・指導霊」の正体はわかっ
ていません。彼らを霊視できるかどうかも書かれていません。読者としては、「信次の
胸の奥から声がしているのだろう」と想像するしかないわけです。
次に、「現証編」P78での場面です。まず妹に観世音菩薩がかかりました。ここでも
信次は霊視で、その姿を描写しています。その日付は「九月十八日」。「神理編」では
「九月十九日」なのにです。一日のちがいは、無視するべきでしょうか?
この「妹にかかった観世音菩薩」については、くわしくは後述することにします。
当面の問題は、信次がいつ「守護霊・指導霊の正体」がわかり、また「霊視できるよ
うになったか」についてです。
「現証編」P89-91には、次のようなことが書かれてあります。
8月以降、「守護霊フワイ」が信次の口を通して語ったことを、まとめるように要請
されます。それの骨子が完成したとき(といっても、いつその骨子を書き始めたのか
日付がないのでわからないのですが)、信次がそれを読み上げてみせます。
すると、「古代エジプトのスタイルをした大男の123」が大粒の涙を流して聞き入り、
声をつまらせて、「指導霊としての役目は終わった」と述懐します。そして、そのそば
にいた「若葉色の中国風の法衣をつけた僧侶」の霊が、「123」をさして「こちらの
方はBC130年(ママ)ごろ、エジプトで活躍されたモーゼと申される方です」と
紹介し、フワイのことも「BC32年(ママ)イスラエルに生まれたイエス・キリスト
である」という。
日付のわからない、この「時点」で、すでに信次には「守護霊・指導霊」を霊視する
能力があったことになります。
この記述のあと、「1968年10月30日」の日付で、再度、同じエピソードが
語られます。より詳しいだけで、流れはほとんど変わりません。なぜ、こんな二重な
書き方をしたのかわかりませんが、とにかく「守護霊・指導霊」が、その正体を、信次
に言明した日付は「10月30日」です。そのとき、「霊媒」になって「123」の
言葉を告げたのは、なぜか信次の妻・一栄なのです。
「現証編」P93
「外人訛りのある、日本語が、妻の口から出、ワン・ツー・スリーは涙を流して語る
のであった」
妻を霊媒にしてよりつかせながら、信次は「123」と「フワイ」が涙を流し、目頭
をおさえているという感動的な場面を「霊視」しています。同じページでは、妻に重な
った「123」の「後光が大きくなった」とか「それは、とてもこの世の光景ではなか
った」と書いています。しかし、それほどの感動的な「妻にかかった123の感涙」の
光景は、「神理編」では一行も書かれてはいません。
さて、ここでひとつの「混乱」が残されました。先に私は、下記のようなくだりが
あるのをご紹介しました。
「現証編」P89-91
「若葉色の中国風の法衣をつけた僧侶」の霊が、「123」をさして「こちらの方は
BC130年(ママ)ごろ、エジプトで活躍されたモーゼと申される方です」と紹介
し、「フワイ」のことも「BC32年(ママ)イスラエルに生まれたイエス・キリスト
である」という。
ところが、P95では、「信次にモーゼとイエスであることをはじめて告げたのは、
「123」自身であり、それをうながし催促したのは、「イエス・キリストのかっこ
うをしたフワイ」である」と書いてあります。「若葉色の中国風の法衣をつけた僧侶」
の霊など、なぜかどこにも出てきません。見てみましょう。
「現証編」P95
「シンフォーは123に何かうながしている。しばらくたってから123は、「私、
エジプトで生まれたモーゼと呼ばれていたもの。ここにいる人、フワイ、二千年前、
イスラエルで生まれたイエスといわれた人・・・今、はじめて本当の名前、伝える」
私(信次)には本当に信じられない疑問がよぎった。あまりにもそれは驚きであっ
たから」
「若葉色の中国風の法衣をつけた僧侶の霊」は、いつどこで「イエスのかっこうを
したフワイ」にすりかわったのでしょう。そして、信次に守護霊・指導霊の正体を
教えたのは、だれに関してだれが本当は紹介したのでしょう?
このたった5ページしかちがわない間に、何があったのでしょうか。「守護霊・
指導霊」との「感激の対面」という、素晴らしいシーンが、なぜこのように「つじ
つまの合わない混乱」にみまわれているのでしょうか。
信次に、「123」「フワイ」の正体を教えてくれたのは、本当はだれなのでし
ょう。若草色の法服を着たチャイニーズの僧の霊なのか、あるいは「123」なの
か。信次亡き今、これらの「混乱」の背景はわかりませんが、普通に推測するなら、
「創作ミス」でしょう。「守護霊・指導霊との感激の対面」というエピソード案を、
ひとつの話にまとめそこね、二重記述になっただけでなく、「没になったアイディア」
を削除しそこねたと考えれば、納得がゆきます。
そして、これはさらに疑問なことなのですが、結局、「いつから、信次は自他の
守護霊・指導霊を見られるようになったのか」という点に関しては、最後までわか
らずじまいなのです。
信次は、いったいいつから「霊視」ができるようになったでしょうか。その時期
がまるでわかりません。本当に見えていたのかどうかも、わからないのです。著書
に書いていない以上、確かに「霊視ができていた」とは断言できないと思われます。
はっきり言って「大悟の日付」も「守護指導霊との邂逅の記憶」もさだかでない
者の「霊視」など、どれほどの信頼がおけるでしょうか。ましてや「悟りを得た」
など、笑止というよりほかに言葉を持ちません。
信次は、なぜ123とフワイの正体がわかり、その姿を霊視できるようになったか、
その理由となるかもしれないことを、ごく簡単にこう書いています。
「神理編」のP41です。
「仏教もキリスト教も学ばなかった私に、いつのまにか、その神理が自然と解明
されてゆき、当時の模様がわかるようになった」(41ページ)
つまり、だれにいわれるともなく、霊の素性やその生前の背景や姿など、前世
記憶が「自然」にわかったということらしいのです。そうすると、「現証編」で
出てきた「若葉色の中国風の法服を着た僧侶の霊」や「フワイにうながされて、
自分たちの正体を告白した123」というストーリイは、あとででっちあげたもの、
ということになりそうです。
「自然にわかった」というのと「霊本人に教えられた」というのとでは、まったく
状況がことなることは、だれが見ても明白でしょう。「守護霊・指導霊との対面劇」
が、信次による想像や願望の産物であると感じても、不思議ではないと思います。
☆ 妻と妹と観音様と
1968年9月19日に「神理編」P47には「美しいインドのスタイルの仏像に
似て光り輝いている女性が二人、私の眼前に立った」とあります。その一方の女性霊
が信次の妹に入りたい(憑りつきたい)といいます。
そして、同ページには、妹の心を調和させると、こんな現象が起こったとあります。
「妹の体が椅子から浮き上がったようになり、私はあわてて、その両肩に手をかけて
おさえた」(P47)
まるでオウムの「尊師」のように「浮遊しかけた」というのです。この現象につい
ては、なぜか「現証編」には書かれていません。
また、「神理編」P47では、その場に現れたのは、「インドスタイルの女性霊二人」
なのに、「現証編」では、「インドのサリースタイルをした美しい女性霊」P78と
「キリスト者のような、灰色の長い古代のスタイルをした外人の女性霊」P80の二人
になっています。
インドスタイルの女性霊のうち「神理編」でかかれた「もう一人」はどこへいって
しまったのでしょうか? いつ「キリスト者のような女性霊」に変身したのか、首を
かしげてしまいます。ここでも「若葉色の中国風の法衣をつけた僧侶の霊」が、何の
説明もなく「イエスのかっこうをしたフワイ」にすりかわったのと同じ現象が見出
されます。
続いて、「神理編」では、その妹に入った女性霊が、妹の口を通して「聖観世音
菩薩でございます」と名乗るシーンがあります。「現証編」でも、同一の霊について
「聖」がぬけた「観世音菩薩」といっています。なぜ「聖」の字が、「現証編」で
ぬけているのかは、説明もなく、またも不自然な感じがします。
問題は、「観世音菩薩」というのは「個人の名前に由来する菩薩名」ではなく、
「すべてを見通す偉大な叡智をもった菩薩」という「一般名」です。それなのに
自分を「観世音菩薩」と、あたかも個人名のように名乗るのは、おかしいことです。
また、「菩薩」ともあろうものが、自分を「すべてを見通す偉大な叡智をもった
菩薩でございます」などと名乗る、謙虚さのかけらもない発言を、本来ならする
はずがないでしょう。
さらに、「観世音菩薩」はインドの言葉では「アボロキティーシュバラ」と呼ば
れることは、そちら方面の仏教学を勉強すれば出てくることです。
信次自身が、悟った人のことを「アボロキティーシュバラ」と、著書や講演会で
説明しています。つまり、この妹にかかった女性霊が「聖観世音菩薩でございます」
と名乗った事は、「私はアボロキティーシュバラです」「私は観音様よ」と自称
されたことになります。
GLA信者でも「アボロキティーシュバラ」が「個人名」だなどとはいわない
でしょう。
仏教では、如来菩薩は数あれど、「阿弥陀」「釈迦」「文殊」「弥勒」の各如来、
菩薩をのぞくと、実在した釈迦の弟子たちや古代インド人の個人名に、その名が
由来しないものもたくさんあります。
それとも信次は、「観世音菩薩」と「アボロキティーシュバラ」を「別物」だと
思い込んでいたのでしょうか。だとしたら、仏教知識がなさすぎて、仏教批判を
する資格はないとさえいえるかもしれません。
すなわち、この妹にかかって告げた自称「観音菩薩の女性霊」は仏教知識に
とぼしく、自分の名前を適当にでっちあげた「憑依霊」か、あるいは「信次と
その妹による自作自演」または「著者信次の筆によるフィクション」か、いずれか
であるとしか考えられないのではないでしょうか。
さらに、「妹はこの夜から、観音様の膝の上で一週間近く過ごしたようである」
と「神理編」P47にはあるのに、「現証編」P87ではこうなっています。
「この日(9月19日)を境に、妹は3日間、大きな観音様の膝の上でぐっすり
と眠ったそうである」
どちらが事実なのでしょうか?「一週間すごした」のか「三日間、ぐっすり眠
ったのか」この食い違いがなぜ起こったのか、わかりませんが、いちじるしく記述
の信頼性を失わせているのは確かです。
この9月19日から、信次の妹(星洋子・「神理編」P52参照)は「心眼が開か
れ霊視がきくようになってしまった」(「神理編」P47)。その結果、悪霊も守護
指導霊も見えるようになり、過去世を思い出してゆく。
(星洋子は、それまで創価学会で10年間も熱心に仏法をまなんでいたそうです。
「神理編」P48にそう書いてあります)
星洋子の「過去世」は、釈迦時代のインド、イエス時代のイスラエル、仏教隆盛
期の中国、はてはアトランティスなどについて語られている。そのため「妹はヘブ
ライ語、インドのマガダ語、中国語など、いろいろな言葉で話すようになり」「神
理編」P47-48とある。
まずよみがえったのは「アトランティス時代」のことだそうです。
「神理編」P48
「私は、紀元前七千年ごろ、アトランティス帝国で生まれ、名前はフォロリヤーと
いう女性でございました・・・・アガシャー大王様の下で神の教えを学び」
つまり、今から9千年前の「アトランティス人」だったというのです。
ところが、同じ妹の霊現象と過去世記憶のくだりで、信次は「現証編」にこう
書いています。
「現証編」P82
「今から1万2千年前、アトランティス時代には、フェロリアという女性で、
アガシャー大王のもとで神に仕えた人であった」
フォロリアー(「神理編」P89ではフォローリア)とフェロリアは、発音の
ちがいで許容範囲としても、同一人物について、かたや「9千年前」、かたや
「1万2千年前」とは、どのような理由による食違いなのでしょうか。
この「フォロリアー」は、「紀元前4千年ごろ、女性としてエジプトに生まれ
・・・名はアシカ・ミヨターと申します・・・バラーという農村に村娘として生
まれたのでございます」(「神理編)P49)と次の転生をあかしてゆく。
そして、その時代に「クラリオ」というイエス・キリストの分身の人物と出会
った記憶を開陳している。もちろん、「神理編」を通して「クラリオ」は、この
アシカ・ミヨターの思い出話の中に登場するだけで、「クラリオの霊体」が現れ
たり、だれかに乗り移ってしゃべり出すなどということはない。
これが「現証編」では、「三日間、観音様の膝の上で眠った」という記述の
あとから、いきなり「クラリオ」の霊体が登場します。(P81)
「私(信次)の前に、古代エジプトのスタイルをしたクラリオと呼ばれる光の
天使が立った。そのとき妹は「ああ、なつかしいクラリオ様。私は村娘アシカ・
ミヨターでございます・・・」と、いつのまにか古代エジプト語で・・・BC
4千年も前の過去世を思いだし・・・」
アシカ・ミヨター意識の星洋子が、クラリオの霊と対話までしています。同書
P99でも同様の記述がくりかえされるのです。
「この方は、今から4千年ほど前に・・・多くの人に神を道を教え救済した
クラリオと呼ばれた・・・光の大指導霊」とあります。「神理編」と「現証編」
P81では「紀元前4千年」のはずなのに、「現証編」P99では2千年が減って
「今から4千年前」になってしまっています。
「現証編」P101にも、信次はこう書いています。
「私のそばに立っている光りの大指導霊クラリオは、今から4千年も前に肉体を
持った方である」
「神理編」と異なるばかりか、「現証編」の同一著書内で、「紀元前4千年」P81
と「今から4千年前」P101との混同がおこなわれている。これはもう「乱脈」の
域に達しているのではないでしょうか。
しかも、過去世記憶による「アシカ・ミヨター」の出生地の名前さえ、異なっ
ています。「神理編」と「現証編」の顕著かつありうべからざる不一致の一例です。
「過去世証言」の不整合と食違いを、摘出してみましょう。
信次の妹の過去世のひとつ「紀元前4千年にエジプトで生まれたアシカ・ミヨ
ターという女性」は、「神理編」P49では出生地についてこう語ります。
「私はバラーという農村に村娘として生まれたのでございます」
ところが、「現証編」P100では、同じ人物がこう語っているのです。
「私は、エジプトの片田舎カパリで生まれた村娘のアシカ・ミヨターでございます」
霊道(霊的感覚)が開いて、過去世の意識が、次々と浮上する中で、動くはずの
ない「過去世記憶」の中の「出生地の名前」が、まるで異なるというのは、どうにも
理解しがたいものです。
ということは、この「アシカ・ミヨター」なる過去世人格がウソをいっているか、
あるいは信次の妹自身がウソをついているか、いずれかしか考えられません。
「紀元前4千年」と「今から4千年前」、「クラリオの霊の立会いの有無」、アシカ
・ミヨターの出生地は「バラー」か「カパリ」か。思いつきで書いたことなので、
整合性がとれなくなった結果としか思えない食違いではないでしょうか。
ここまで見ただけでも、信次とその妹が演じた「過去世記憶」には、これだけの
記述と内容の不一致があるのです。
ついでにいえば、紀元前4千年(またはBC2千年)頃に、「アシカ・ミヨター」
に類する古代エジプト人の人名が、存在するのかどうか、調べて確認したものは一人
もいません。
「アシカ・ミヨター」が「姓名」ならば、これは古代史・民衆史の常識に反します。
なぜなら、(日本でも江戸時代までそうですが、)庶民に「苗字がない」というのは、
当り前のことでした。古代エジプト人の農民で「アシカ」(または「ミヨター」?)
などという「苗字」があったとは信じがたいことです。
通例、古代人名というものは、土地の名前か、その国の王侯や神々、偉人、先祖
に由来するものが多く、「アシカ」も「ミヨター」も、「エジプト的」ではない響
きです。エジプト文明は、世界で有数の、歴史的文化・風俗の変化にとぼしい文明
なのを考えると、この名前の女性が実在した可能性は、きわめて低いといわざるを
えません。
このような「記憶ちがい」「ずれ」「創作」傾向の強い「過去世記憶」のよう
ですが、星洋子の前世の紹介は、まだ続きます。
「アシカ・ミヨター」の次は「紀元前6世紀、中インドのマガダ国」に「ガランダ」
という父の末娘「カリナ」として生まれ、釈迦の弟子になりました。「神理編」
P50-51にはそう書かれています。
ところが、「現証編」P82にはこうあるのです。
「BC560年頃、マガダ国、ガランダ村の長者の息女カリナという名家で生まれ」
「神理編」における「父の名」が「村の名」に、氏素性も「長者・名家」と変えられ、
ずっと見栄えのするものになっています。
しかも「ガランダ」が「ガランダ長者」なる地名由来の名前なら、マガダ国の
カリナは、「苗字なしの地名由来の個人名」という「古代庶民の常識」にしたがっ
ています。それなのに、カリナよりもはるかに古い「アシカ・ミヨター」には、
なぜ苗字があるのでしょうか? 矛盾はここでも露呈されてしまいます。
さらに「神理編」P52では、アシカは「続いて2世紀に、イスラエルに生まれ、
サフィという名で、夫マグガリスとともに、キリスト教伝道のために、一生を送
った」とあります。しかも、このサフィは「私のご本体でございます星洋子の守
護霊」と名乗り、星洋子の指導霊は「マグガリス」や「クラリオ様」「イエス様」
なのだと告げているのです。
兄信次は「釈迦の生まれかわり」、「守護霊」は「イエスの分身フワイ」「指導
霊」は「モーゼ」です。そして、妹・洋子の「指導霊」は「イエスの分身クラリオ」
や「イエス自身」という「すごい兄妹」ということのようです。
なぜ、信次の「指導霊」を「イエス自身」がおこなわず、妹の方にまわっている
のか、不思議です。それに、兄妹にイエスとその分身が3人もかかっているとは、
どんな因縁がイエスとの間にあるのでしょうか。やはり不思議です。
たとえば、「サフィ」などという名は、紀元2世紀のイスラエル人では、聞いた
ことの無い名前です。新旧約聖書や聖書辞典で調べてみても「サフィ」などという
名前は出てこない。イスラエル人は、たいてい聖書の人物名などから名前をとる
ことが多いのです。そこにない名前でも、なんらかの「ヘブライ語らしさ」は
とどめていなければならないはず。
だいたい、名前の末尾が「フィ」などという音になるケースは、私も相当に
くわしく1〜2世紀の頃の聖書やイスラエル史や生活誌を調べていますが、見た
ことがありません。「マグガリス」はギリシャ人風の名前なので、ありえる話
ですが、それにしても2世紀といえば、すでにイスラエルという国家がなくなっ
た直後です。イエスが死んでから1世紀もたっています。「カリナ」の過去世
記憶には、仏弟子の名前などが詳しく書いてあるのに、「サフィ」の記憶には、
パウロやペテロ、十二使徒の名前さえ出てこないのは、どういうわけでしょうか。
しかも、「サフィ」がいかなる「伝道」をしたのか、信次の著作にはまったく
書かれていません。釈迦の弟子としての「カリナ」の「修行と伝道」については、
相当にくわしく「2ページ」近く記述しているのにもかかわらずです。それより
新しい転生人格の「サフィ」の記憶については、なぜ「2行」しか書かれていな
いのでしょうか。
その点で見ても、「サフィ」という名前は「アシカ・ミヨター」と同様に違和
感が強い名です。ここでも「創作」臭さがどうしても漂ってしまうのです。
☆仏教びいきの過去世記憶
「心の発見」を通じた傾向ですが、釈迦時代の前世記憶は、信次や関係者のもの
を問わず、人物名、地名、年代、履歴、行動描写が、かなりくわしく書いてあり
ます。「神理編」P50-52など総計40ページにおよぶ分量です。
ところが、イエス時代のことについては、「マグガリスとサフィ」時代のこと
などをはじめ、総計しても2ページ以下の記述しかありません。
「現証編」でも、似たようなものです。既出の巻末「資料」の「N・T子さんの
転生輪廻」でやっと、それらしいことが「霊言」として語られているものを除
けば、本文中には、イエス時代のことがまったくといっていいほど書かれていません。
モーセにいたっては、「神理編」(P54)で「123(モーゼ)は、さらにエジプト
からイスラエルに脱出するときのことや、十戒の成り立ちを説明してくれた」と
あります。「現証編」(P287)では「モーセは奴隷の子であった」という記述が
あるだけで、123が「私、古代エジプト生まれのモーセ、これほんと」と、たど
たどしく「自己紹介」する以外に、前世記憶も当時の状況も具体的なことはほとんど
語られていません。まとめても1ページ以下でしょう。
「イエス」の分身が「守護霊」をし、「モーセ」が「指導霊」というのが本当なら、
なぜ「釈迦時代:イエス時代:モーセ時代」の「過去世情報の比率」が「40:2:1」
(本文のみ)という極端な偏向を生じるのでしょうか。これは「過去世情報の比率」
ではなく「現世で信次や関係者が学習した量の比率」と見た方が自然だと考えます。
星洋子さんの「転生の記憶」はまだ続きますが、これも「仏教」関係に偏っています。
「神理編」P52-53
「五世紀に、中国の広東に、林蒋という女性として生まれ・・・父は中蒋と申しまして、
インドのときはガランダと呼ばれた方・・・弟は吾蒋といい、ともに仏教によって人々
を救ったのでございます。このときに、私の弟子たちの中から観音さまといわれる人
が出たのでございます」
これもやはり、見逃せない問題と矛盾をかかえた「前世記憶」です。
まず、「私たちの中から観音さまといわれる人が出た」とあります。「観音」が
「個人名」ではないことは、先に記しました。この「弟子の観音」が、星洋子に
最初にかかった「聖観世音菩薩」だとすると、星洋子は「観音様以上の存在」に
なってしまいます。
また、守護霊は「サフィ」、指導霊は「イエスとその分身」「マグガリス」だ
という記述を信じるならば、この「聖観世音菩薩」は、なんのために、どんな関係
があって、星洋子にかかって「霊道」を開いたりしたのでしょう?。
これまでの信次の書き方ですと、守護霊でも指導霊でもないのに、直接に体に
入って過去世を語るのは「本人の過去世意識」ですから、「聖観世音菩薩」は
「星洋子自身の過去世」ということになります。
星洋子が「聖観世音菩薩」の生まれ変わりなら、「五世紀の中国人・林蒋」も、
「聖観世音菩薩」の生まれ変わりです。とするなら、「林蒋の弟子の観音さま」
とは、いったいだれのことなのでしょうか。
まさか、自分自身が、自分自身の弟子として、魂を分割して五世紀に生まれて
いたとでもいうのでしょうか。「観音菩薩の弟子の観音菩薩」という「混乱」が
ここにも出てきます。しかも「インド時代のカリナ=聖観世音菩薩」と書いて
あれば、まだ理屈が通らないでもないのですが、そんなことはひとことも書いて
ありません。
この「聖観世音菩薩」だけが、いつどんなときに肉体を持ち、どんな国にどんな
宗教下に活動したか、プロフィールが全くありません。この人物だけ、妙に浮いて
いるのです。はっきりいって「身元不明」な「浮遊観音」としか言い様がありません。
これは、「聖観世音菩薩の霊」が「つくり話」である証拠のひとつになりそうです。
信次本人も、書いているうちにつじつまが合わなくなり、混乱していたのかもしれ
ません。杜撰きわまるとは、このことではないでしょうか。少なくとも「ちゃんと
した文章を書こう」という「誠意」があったら、このような混乱は予防できたはず
です。
この混乱の原因は、ひとえに信次が「観世音菩薩も、釈迦や弥勒のように過去の
インドで実在していた人物を起源にしている」と「勘違い」したものと推察できます。
自称「釈迦の生まれ変わり」の人物が、どうして自分の弟子だった人間とそうでない
ものとを区別できなかったのでしょう。『人間釈迦』などに書かれた、「釈迦の記憶」
もどこまで本当なのでしょう。
さらに「林蒋」の「過去世記憶」が、先の言葉に続いて語られます。
「父は七世紀に弘法と呼ばれて日本に生まれ、弟は日蓮として生まれたのでございます」
信次自身も「神理編」P142で、こう書いています。
「弘法大師のインド時代は・・・ガランダ長者という方である」
「日蓮は、五世紀の中国時代に、吾蒋という名で・・・さらに十二世紀、肉体をもって
法華経を説かれた方である」
つまり、林蒋の父「中蒋=来世の弘法大師空海」、弟「吾蒋=来世の日蓮上人」と
いう、目をむくような発言が飛び出したのです。もし、これが本当ならば、「空海」
の前世と「日蓮」の前世がわかったとあっては、真言宗も日蓮宗も、ほってはおけない
問題のはずです。
しかし、その後、両教派が、この星洋子の「過去世記憶」を問題視したということ
はききません。きかないのも当然で、「現証編」P82では「中蒋=来世の弘法大師
空海」、弟「吾蒋=来世の日蓮上人」のことなど、どこにも書いていないからです。
「神理編」での饒舌な「林蒋の過去世記憶」に比して、「現証編」では、たったこれ
だけしか書いていません。
「五世紀ごろには林蒋という名前で中国に生まれ、多くの病める衆生を済度したという」
「現証編」では日蓮・空海どころか、林蒋の父や弟のこと、弟子の観音にさえ、まったく
触れていないのです。この「差」はなんなのでしょう。
さらに問題なのは、弘法大師が「七世紀に生まれた」というくだりです。「空海」は
史実としては「宝亀5年(774年)香川県屏風浦の佐伯家に誕生」が通説です。「七世紀」
どころか「八世紀後半」が正解です。
日蓮の生年を「12世紀」としているのもまちがいです。史実は「貞応元年(1222)」
に今の千葉県安房郡天津小湊町に出生しています。つまり「13世紀」生まれです。
信次の指摘は、このように「空海」「日蓮」ともにまちがっています。「史実」と
いうだれでも調べることのできる出来事についても、まるで不正確なのです。
これらの基本的な史実認識のまちがいは、この後もまだまだ続きます。こんな不正確
な情報しか与えてくれない「過去世意識」のどこが信じるに値するでしょうか。
〜「GLA高橋信次の著書(『心の発見』など)は虚偽とまちがいだらけ3」に続きます。
<関連掲示板>
宗教法人GLA(高橋信次・高橋佳子)関連情報サイト・掲示板一覧(15年6/13版)
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/358.html
宗教法人GLA(高橋信次・高橋佳子)関連情報サイト・掲示板一覧2(15年7/1版)
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/530.html
GLA(高橋信次と高橋佳子)の異言等に関する『文芸春秋』特集記事(1977年)
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/228.html
GLA・高橋信次関連〜「異言」に関するアメリカ・カナダの専門学者の研究資料
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/233.html
GLA(高橋信次・高橋佳子)の「異言」は「演技性の伝染心理現象」の可能性有。
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/247.html
GLA(パナウェーブ成立に影響あった教団)高橋信次の著作を疑う
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/532.html
GLA高橋信次の著書『心の発見・現証編』にみる異言の虚妄
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/533.html