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GLA高橋信次の著書『心の発見・現証編』にみる異言の虚妄
☆証明不能な現証・異言の虚妄
次の引用は、『心の発見・現証編』の巻末附録の記述です。信次が「光をいれて心を
開いた」人物の異言によって、前世の証明をしたものとされています。
なお、以下の異言の言葉と、その後に続く対訳とおぼしき日本語については「直訳」
「抄訳」「意訳」の区別はおろか、「要約」「編集」などの手を加えたという注意書きも
一切ありません。したがって、異言の言葉を日本語として、「高橋信次が、そのまま訳
した」とみなして、検証をこころみたことをおことわりしておきます。
以下を読んで私(梅仙人)の解説と対照して目を通せば、この高橋信次による「翻訳」
がいかにずさんで、いいかげんなものかおわかりいただけると思います。
(異言・翻訳の項目アルファベットと異言中の*No『』および<解説>は私が挿入した
もの。原文中にはありません)
「資料「転生輪廻の実証」P310〜328
N・T子さんの転生輪廻
昭和45年12月 八起(GLA総合本部ビル)にて
リパ リッシオラ セヌア タルアダ クロアヤッセモラナシー フォアラーソー フ
リティー。
ラッセ ダラヌー トゥアティ アラセグレア パワー セヌトゥアラー セドゥトゥ
アティー レグリアラオトゥー。ナウ リバリッセオ トゥレバシー ウァラ フワラー
ラバセヌ トゥアラー ゼドラーティー。リブリヤセヌ タウティー アラスクォルボー
フェイセイ デルイーティー。ラウ リボーティアラーオス クォラバー セトゥラ
*1 『イスラエル』ウアリ クナォウトゥ アリー パッソー。ダートゥリ ポッセレ
エトゥラル オッスルトゥルヤ エテレヤセイ トゥーラトゥ *2『アウセイ クライ
ストゥ』 ウアトゥー。ナーリ グーハッビーセー N・T オーティレパッソー ウラ
バソビア ウアタール プラヤッソーフォアー。(異言A)
私はN・T子の指導霊フリティーでございます。私はかつて二千年ほど前、エジプトに
おいて肉体を持った男性でございます。私は実在界より正法を証明する使命を戴いて、こ
の女性の意識と調和をはかり、いろいろと指導しております。(翻訳A)」
<梅仙人の解説A>
まず、これは何語なのでしょうか? それについては、はっきりした「○○語」という
ような指摘は全くありません。二千年前のどの地方の言葉であるか、まず説明するのが、
本当は必要でしょう。
翻訳では「エジプトに生まれ」となっていますが、異言Aでは、地名らしきものは*1『イ
スラエル』しかないようです。エジプト生まれでエジプト古代語を話すのならば「ケメト」
という名称で呼ばねばならなりません。「エジプト」という呼び方は、ギリシャ人の呼び方
ですので。しかし、ここには「ケメト」も「エジプト」もありません。いったいどこからも
ってきた翻訳地名なのでしょうか。
翻訳Bではイエスと出会ってキリスト教に帰依したむねが書いてありますから、この言語
はギリシャ語かヘブライ語(アラム語)でなくてはならないはずです。ヘブライ語ならば、
旧約時代のエジプトをヘブライ人は「ミツライム」と呼んでいましたから、せめてその単語
くらいはあってもよさそうですが、それもない。いったい何語なのでしょうか?
「フリティー」と「N・T(夏栗徳子)」の間にだいぶ語数がありますから、これは「意訳・
要約」したとも思えますが、それにしても何語であるかもわからず、和文から異言に向かっ
て類推できる要素が極端に少ないのは不審です。なぜ、「逐語訳」ではないのでしょううか。
できなかったのでしょうか? ならば、この「翻訳A」の信頼度、また信次の異言翻訳能力
レベルには、おおいに疑問が生じることになります。
この異言Aと翻訳Aとの間で、一致する単語は「フリティー」「N・T」しかありません。
*2『アウセイ クライストゥ』は、たぶん翻訳されなかった単語と思われますが、翻訳B
と関係があるとすれば「イエス・キリスト」とも読めなくはない。しかし、この読み方は、
なまりのある英語などのヨーロッパ言語を思わせます。ギリシャ語なら「クリストス」と
読むべきですし、ヘブライ語(アラム語)なら「イエス」の部分は「ィエホシュア」と読ま
ねばなりませんし、「キリスト」は「マーシャー」と呼ぶべきです。
もし「イスラエル」を「エジプト」と訳したのだとしたら、それは信次の顕在意識の無
知を証明するものです。「イスラエルはエジプトの一地方」と認識していたのでしょう。
守護霊が「イエス・キリスト」にしては、あまりにもお粗末。少なくとも、この信次の翻
訳には「イエス・キリスト」は、まったく協力してくれなかったようです。もちろん、こ
の翻訳Aの信憑性は、はなはだしく低いといわざるをえません。
次の「異言」も見てみましょう。
「ラトゥ ラッセバリニッシュ フアラー スクォラバリアラー ウォーティア スクォ
ラ ナッセテトゥラリー ウォーロースクォ アールバー ティニッシュフアー。ナウ
リバリシー アラウーティ エルクラヤルワー トラセヌーパワー レッセドォラ ウ
トゥー。(異言B)
私はその当時、大衆から税金を取り立てて生活をしておりました。ある時、商用の途中
でイエス様より、いろいろなお話をお聞きし、自分の間違いを知って郷里に掃り、自分の
生活を改め、後にイエス様が実在界にお帰りになりましてからは、ペテロ様の補佐役と
してキリスト教の伝道をし、所々方々を歩きました。(翻訳B)」
<梅仙人の解説B>
これも翻訳から異言に向かう一致がまったくないのがおかしいです。「大衆から税金を
とりたてて生活」ということは、イエス在世当時にユダヤで同胞に憎まれた「取税人」だ
とわかります。12使徒のひとりマタイもそうでした。ということは、この異言の主は
「ユダヤ=ヘブライ人」ということになります。
異言Aから類推しても「イスラエル生まれのイスラエル人」でなければなりません。と
なれば、「イエス様」は「ラビ・ィエホシュア」または「ラブニ・ィエホシュア」以外に
は考えられないのです。「ペテロ」も「岩」を意味するギリシャ語ですから、当時のユダ
ヤの言葉では「ケパ(ケファ)」となります。しかし、異言Bに両者と比定しうる単語は
見当たりません。
ゆえに、イエスとペテロであることを証明するギリシャ語かヘブライ語の単語の見つか
らない異言Bが、翻訳Bであることを証明する要素は何もないのです。すなわち「でたら
め」の可能性大と思わざるをえません。なぜなら、異言Aと翻訳Aでは「フリティー」
「N・T」の人名が、せめてもの「一致点」として存在するのに、翻訳Bではそれすらない
からです。
固有名詞や人名すら一致しない「翻訳」を、「翻訳」と呼べるのでしょうか。
三つ目の「異言」です。
「ターリバリ オストゥー ドゥアティア アウルストゥル バーニッシュ フアラー
セバーティニ スルードゥアティア ワールクラウォー。ナウティー アッセブティ
ー オッラッサダルクラヤーソー フォアラーナートゥワリ パッソーフー リドゥラー
トゥー。(異言C)
その頃、アラビア人、エジプト人、パリサイ人、ガリラヤ人など、皆それぞれの人種が、
いろいろと人種的な偏見のもとに自分達の部族が最高であるというような対立の激しい時
代でございまして、戦争で勝った国は、相手の人種をすべて奴隷として扱い、それはそれ
はむごたらしいものでございました。イエス様はその頃、実在界より使命をもって、この
人種差別をなくすよう、博愛・隣人愛を説かれたのでございます。(翻訳C)」
<梅仙人の解説C>
これもまた、ギリシャ語でもヘブライ語でも翻訳した文と一致する固有名詞が、まったく
見いだせません。「アラビア」「エジプト」「パリサイ(ペールシームまたはハベーリー
ム)」「ガリラヤ」は、みな地名と固有名詞ですから、これとにかよった単語がなければ
ならないのに、ひとつもないのです。もちろん、「イエス様」を意味する単語もありません。
さらに致命的なのは、アラビアとエジプトは「国名」なのに対し、「パリサイ」は「ユダ
ヤ人中の宗教の派のひとつ」であり、「ガリラヤ」は「イスラエルの北部地方の名前」です。
つまり「パリサイ人」「ガリラヤ人」とは「人種・民族名」ではないのです。
日本人にわかりやすくいえば、この翻訳Cの人種名のつもりでならべた単語は、「中国人、
韓国人、日蓮宗門徒、関西人など」と表現したにひとしい。これらを「皆それぞれの人種」
などとあらわす珍妙さは、類を見ないものではないでしょうか。
ほんもののイエス・キリストの意識が「守護・指導」しているなら、当時のユダヤ社会
における「国名」「宗派名」「地方名」を混同するなど、絶対にありえません。
つまり、この翻訳は、信次が持てる乏しい聖書知識を総動員して、「あてずっぽうにでっ
ちあげた」と見る方が、残念ながら自然です。百歩ゆずって、信次の翻訳が正しくて、異言
の主の言を直訳したとしても、この異言の主は「イスラエル人」でもなければキリストの弟
子でもありません。イエス在世当時の常識すら知らないものが、なんでキリストから直接に
話しを聞けた弟子でしょうか。
また、イエスが「人種差別」をなくすために生まれてきたように書いてありますが、それ
も正確さに欠けます。キリストは最初は「ユダヤ人」のためにのみ活動していたし、「世界
布教」をはっきり語るようになったのは「復活後」です。「山上の垂訓」が「民族差別撤廃
を目的として語られた」などと、だれが信じられるでしょうか?
いずれにせよ、キリストの意識が指導しているとは、とても信じられない内容です。
<梅仙人の解説総論>
上記のことより、この「資料」全体の信頼性はきわめて低く「輪廻転生の実証」には、
まるでなっていないということがいえます。異言も何語かわからず、翻訳もデタラメであ
てずっぽうでは、何をどう証明できるでしょうか。
信次の守護霊がイエスなどではなく、異言を翻訳する能力もないことが証明されただけ
ではないでしょうか。信次の異言解釈がでたらめであれば、彼の異言とその解説は、みな
思いこみや想像の産物としか、いいようがなくなります。
あるいは、異言A・B・Cを「天使語」「天上界」の言葉ではないかという説もあるか
もしれません。しかし、同書でこのあとに続く、同じN・Tという人の、釈迦時代の弟子
の前世記憶の異言は、意味不明ながらも、言語としてことなる発音様式になっています。
やはり「別の言語をしゃべっている」と見ても、あながちおかしくはありません。もちろ
ん、それが本当に「釈迦在世当時の言葉」かどうか、証明することは不可能ですし、その
ように翻訳した文も正しいとは、とてもいえないでしょう。
まとめに、作家・平井和正氏が公刊した著書より、当時の「異言」について、きわめて象徴
的なエピソードをご紹介します。
※翻訳家・矢野徹さんの証言(集英社文庫版『幻魔大戦』9巻に掲載)
<高橋佳子さんによるキリストの異言について>
平井和正氏が高橋佳子の超能力を信じていた頃、矢野氏らの翻訳勉強会に、
佳子さんに取り憑いたキリストの声と称するヘブライ語で録音されたテープを
持ってきたことがあったという。
ちょうど翻訳勉強会にきていたイスラエル人学者(ケンブリッジ大学に学び、
現テルアビブ大学教授)がいたので、一緒にテープを聞いてもらい意見を訪ね
たところ、「(佳子氏による)キリストの言葉と称する録音は全くのインチキ
音声(言語ではない)で、言葉と称するまでの論理体系を持っていない、ただ
の奇妙な音の羅列に過ぎない。そういう音を発声し、あるいはキリストの声と
信じるのはおかしいのではないか」と答えられたそうである。
矢野氏も「古代ヘブライ語と現代ヘブライ語にそう大きな違いはないので、
この意見は絶対に正しい」と補足されていた。
高橋佳子がこうであるのは、父親の信次の「異言」が、もともと「過去世の言葉」などで
はなかったから・・・・と考えると、納得がゆきます。
<関連掲示板>
宗教法人GLA(高橋信次・高橋佳子)関連情報サイト・掲示板一覧(15年6/13版)
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/358.html
宗教法人GLA(高橋信次・高橋佳子)関連情報サイト・掲示板一覧2(15年7/1版)
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/530.html
GLA(高橋信次と高橋佳子)の異言等に関する『文芸春秋』特集記事(1977年)
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/228.html
GLA・高橋信次関連〜「異言」に関するアメリカ・カナダの専門学者の研究資料
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/233.html
GLA(高橋信次・高橋佳子)の「異言」は「演技性の伝染心理現象」の可能性有。
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/247.html