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自分は現在、孝明天皇暗殺後における明治維新からの「近代天皇制」を
独自の陰謀史観で勉強しております。
最大の疑問は何故、戦争終結が8月15日だったのか?
これです。満州帝国建設から東南アジアへの侵攻と、英米世界権力の作業員であった
山本五十六による真珠湾攻撃による太平洋戦争。
大日本帝国戦争指導部の最大の国内犯罪とは何か?
米軍による都市焦土空爆作戦とヒロシマ・ナガサキへの原爆投下実験のために
戦争終結を8月15日まで遅らせたことです。
そして沖縄壊滅による巨大米軍基地建設は
あらかじめ東アジア要拠点として
プログラムされていたのです。
それゆえに山本五十六は英米世界権力のシナリオどおりに
作業したのです。
明治維新のとき、すでに
日本列島を英米の基地たる不沈空母システムにすることを
「奴ら」は100年計画としてプログラムしました。
22世紀まで米軍基地は日本に寄生します。
このうまみを鬼畜英米が手放すはずがありません。
おのれの問題意識へと書物はやってきます。
下降転載いたします文章は重要であると動物的に判断いたしました。
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昭和20年は革命前夜だったか
俵木浩太郎 諸君!1995年9月号 発行文藝春秋
昭和20年2月、近衛文麿は天皇に上奏し敗戦のやむをえざることを述べた。
多くの国民は至尊たる天皇にたいし、この時期このようなことが語られているとは
知るよしもなかったろう。近衛は単独上奏という形をとりはしたが、これとて当時の
日本の支配層の一定の勢力を背景とすることなしには起こりえなかったことである。
もとより、軍部の大勢と、それにひきずられざるをえなかった多くの国民にとっては、
おそらくは、こうした言は「非国民」のものとされたであろう。これにたいし、近衛ならびに彼を後援する人びとは、この時期すでに日本の敗戦の避けがたいことを承知していたのである。
試みに、この20年2月という時点で日本が降伏し、戦争が終結していたと考えてみよう。
3月10日の東京大空襲はなかったのである。4月から6月にかけて戦われた沖縄の地上戦も
なかったのである。広島・長崎の原爆投下もなく、なによりも、ソ連の対日参戦は起こりえなかったのである。
この2月から「ポツダム宣言」が受諾される8月までの間に、いくつの生命が失われたかを数えてみるとよい。
一般には第2次世界大戦によって日本人は310万人死んだという。
そのうちで、この半年間の死者は、広島・長崎の20万人、沖縄戦の20万人、
東京その他の都市空爆による犠牲、さらにソ連の満州侵入にともなう犠牲を加えれば、
女、子供、老人といった非戦闘員の比重が、それまでの戦争のどの時期よりも高く
なっているはずである。
近衛上奏文以後の半年間というのは、日本人にとってそのような意味をもつ時代だったのである。開戦についての責任はこれまで論じられぬでもなかったが、天皇と近衛の間で
とりかわされたこうした情報がありつつも、戦争終結までになお半年を要したことへの
責任はどこにあるか。
言い換えれば、負け戦を承知しながら降伏しなかった不作為(それによって前述の犠牲が生じたのだが)の責任はどこにあるのだろうか。
ここには今なお知るべき重大な事実が残されているのであり・・・・
---以下略----
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●戦争終結が半年間も延長されたのは、今やあきらかです。
「原子爆弾製造完成を待つ時間と実験投下」それが半年間の理由です・・・
ナガサキへの投下はヒロシマ型ではなく、プルトニウム原子爆弾でした。
ふたつの地点でふたつの物質核爆発 XM1・XM2臨界点を実験したのです。
まさに英米世界権力は鬼畜です。
そしてこの鬼畜と会い通じていた機構が
戦争指導部の中枢に君臨していたのです。
相対性理論アインシュタインの舌とは・・・・
これまで運命の8月15日「日本のいちばん長い日」に、だまされてきたのです。
物語はだますためにあります。
山本五十六物語、戦艦大和物語、海軍物語。
日本近代戦争文学は300人委員会機構が誘導してきました。戦争映画もです。
8月の原点に悲しい雨は降ります・・・・・・・・・眠れ・・・夢見る羊たち・・・
あなたの街に雨がふる・・・・
舌をだして笑え!ロンドン王宮から・・・・300人委員会の鬼畜どもよ!